NHK大河ドラマ「光る君へ」特集
ジャパンナレッジは約1900冊以上の膨大な辞書・事典などが使い放題の「日本最大級のオンライン辞書・事典・叢書」サービスです。
➞ジャパンナレッジについて詳しく見る
  1. トップページ
  2. >
  3. カテゴリ一覧
  4. >
  5. 文化
  6. >
  7. 伝統芸能・芸能
  8. >
  9. 祭事・行事・儀式
  10. >
  11. 熊送り(熊祭)

熊送り(熊祭)

ジャパンナレッジで閲覧できる『熊送り(熊祭)』の日本大百科全書・世界大百科事典のサンプルページ

日本大百科全書(ニッポニカ)
熊送り
くまおくり

熊を獣のなかで特別な存在とみなし、これを殺害するときに執行される儀礼の総称。この儀礼は、北方ユーラシア大陸を中心に、北アメリカ、ベトナム山地、バスク地方など、熊の生息する地域のほとんどの民族にみられ、俗に熊祭といわれることもあり、アイヌではイオマンテという。つまり、熊のすむ地帯では、他の獣を超えた力をもっていることから、熊は獣の王、野獣世界の支配者とみなされる。また、人間が森の中で遭遇するもっとも危険な存在であることなどから、森の主にも位置づけられる。この森と人間の村とが一つの宇宙を形成しており、儀礼の対象となる熊は、森の野獣世界から人間社会を訪問し、そこで手厚い歓待を受け、丁重な儀礼をもって殺害される。これによって初めて毛皮や肉などの仮装を脱ぐことができ、そして神のいる森へふたたび帰るために不可欠な霊的存在になることができるとされる。
熊と人間の同一視は普遍的にみられるもので、狩りをする男たちに対応して、熊は雌(つまり女)としてみなされる例も顕著である。あるいは、熊が雄(男)で、これに出会った女たちは、腰をまくって尻(しり)を出して呪術(じゅじゅつ)的行為をすることもこともアイヌ民族には存在していた。熊と人間は、男女の関係ばかりでなく、社会の集団組織にも反映されることがしばしばである。ニブヒ(ギリヤーク)民族では、儀礼の際に妻方の氏族の者をもっともだいじな客として招く。これは、人間社会と獣社会、また狩人(男)とその対象(女)といった対応関係の反映からくるものである。
熊送り儀礼は二つの形式に大きく分けられる。第一は山熊送りであり、森での猟による殺害である。この場合、殺害現場もしくは居住地において儀礼が行われる。第二の形式は飼い熊送りで、春先に生まれたばかりの子熊を捕獲し、これを一定期間檻(おり)の中で飼育したのち殺害するものである。よく知られるアイヌの事例はこの形式のもので、アイヌと隣接する樺太(からふと)(サハリン)およびアムール川下流域にしかみられないものである。つまりウイルタ、ニブヒ、オロチ、ウリチ、ナーナイなどの民族である。この飼い熊送りの成立は、アムール川およびウスリー川流域さらに中国東北部の、ブタ飼育を伴う雑穀栽培地帯であると考えられる。また、本格的なモンゴル牧畜文化からの影響も無視できない。なぜならば、儀礼の際に熊の頭と背を削掛(けずりかけ)で飾ることと、熊の背当てが鞍(くら)などの馬具に類似することから推察されるのである。
熊送りの習俗は、後期旧石器時代にその萌芽(ほうが)がみられ、土製の熊頭部に突き刺し孔(あな)のある遺物や、洞穴壁画に描かれた熊によって知ることができる。アイヌの熊送り儀礼成立の時期は、10世紀前後に北海道に押し寄せたオホーツク文化の影響を受けて13~14世紀ごろに成立した。
[大塚和義]



改訂新版 世界大百科事典
熊祭
くままつり
bear festival

熊の生息する北方ユーラシア,北アメリカ北部の森林地帯の狩猟民が熊を殺すときには,(1)熊の殺害,(2)肉の消費,(3)霊の送り(=甦り(よみがえり))という3場面で構成され,各場面が各種の呪言・禁忌を伴う一連の儀礼よりなる祭事を行っていた。所によってはいずれかの場面がとくに強調されることもあるが,このような〈熊の殺害をめぐる儀礼複合〉を総称して〈熊祭〉と呼ぶ(祭り的色彩の強いアイヌ,ニブヒ,ツングース,オビ・ウゴル,ラップの事例を熊祭と呼び,そのほかは熊崇拝=儀礼として区別する立場もある)。熊祭の汎北半球的分布(ツンドラ帯は除く)についてはアメリカの人類学者ハロウェルAlfred I.Hallowellの博士論文(1926)でつとに明らかにされており,各地の事例の間に驚くべき類似性のあることが注目された。日本ではアイヌの熊祭〈イオマンテ(イヨマンテとも呼ぶ)〉が有名である。これは熊狩りで生け捕られた子熊を一定期間飼育したのち,おおぜいの親族知己を招いて神の国へ〈それを送る(アイヌ語でイ・オマンテ)〉祭礼である。イオマンテはアイヌ文化の核心をなす重要な行事であるため,近年にもときおり挙行されることがあり,映像にも収録されている。アイヌはまた猟でしとめた熊に対しても略式の〈送り(オプニレ)〉を行ったことが知られており,日本の狩猟集団マタギもやはりオプニレ型の熊祭を残している。

ところで世界各地の熊祭の事例を比較してみると,オプニレ型が汎北半球的広がりを示すのに対して,飼育した子熊を送るというオマンテ型は北海道,サハリン(樺太),アムール流域(アイヌ,ニブヒ,ウイルタ,オロチ,ウリチ)にしか認めることができない。したがって,北東アジアのこの一角ではなんらかの歴史的経緯からオプニレ型よりオマンテ型への展開が生じたものと推察される。そこに動物飼育文化の影響を見る者もいるが,安定した漁労活動に支えられた比較的高い定住性こそが飼料をはじめとする熊の飼育のために必要な諸条件を整えたという意見も聞かれる。

しかし熊祭には,類型の違いを超越する,以下のような一連の共通項も認めることができる。(1)熊は野獣界に君臨する〈野獣の主〉〈森の主〉ないしはその使者である。(2)熊はまた〈仮装した人間〉であって,猟師に殺されることで毛皮から解放され,本来の姿へ戻ることができ,しかもそれを望んでいると信じられている。(3)熊は人間の言葉を解するゆえ,悪口や手柄話が禁句であるばかりか,熊の本名を口にすることもはばかられ,異称・通称(じいさん・ばあさん,おじ・おばなどの親族名称,黒い奴・蜜の脚)などで呼ばれる。(4)殺された熊は賓客として迎えられ,手厚くもてなされ,その霊はみやげ物を持たせて送り帰される。(5)肉は祭りの場で集団的に消費される。女性が前半身の肉を食べることは禁ぜられる(女性は祭りから排除されるか,遠ざけられるのが一般的である)。(6)骨は傷つけたり捨てたりしてはならず,とくに頭骨はたいせつに扱われ,保全の措置が講ぜられる(甦りは骨の保存によって保証されると信ずるのである)。このような共通項がはたして人類の普遍性に根ざすものなのか,あるいは歴史的に共通の根を持つゆえなのかはまだ明らかでない。ただし一部には,旧石器時代におけるホラアナグマcavebearの埋葬例(スイスのドラヘンロッホ洞窟)や洞窟絵画の熊の描写を熊祭と結びつける所説もあって,熊祭の淵源は旧石器時代にまでさかのぼる可能性もあるのである。だが熊祭の具体的あり方はまたそれぞれに個性的でもあって,婚礼の形をとったり(フィンランド),仮面劇の上演という演劇的方向へ発展したり(オビ・ウゴル),神話の再現を内容としたり(ツングース),オプニレ型のものが年回忌として盛大に催される場合(ニブヒ)などはその代表的事例である。
→狩猟儀礼
[井上 紘一]

[索引語]
bear festival 熊崇拝 ハロウェル,A.I. Hallowell,A.I. アイヌ イオマンテ イヨマンテ オプニレ またぎ
上記は、日本最大級のオンライン辞書・事典・叢書サービス「ジャパンナレッジ」のサンプル記事です。

ジャパンナレッジは、自分だけの専用図書館。
すべての辞書・事典・叢書が一括検索できるので、調査時間が大幅に短縮され、なおかつ充実した検索機能により、紙の辞書ではたどり着けなかった思わぬ発見も。
パソコン・タブレット・スマホからご利用できます。


熊送り(熊祭)の関連キーワードで検索すると・・・
検索ヒット数 26
※検索結果は本ページの作成時点のものであり、実際の検索結果とは異なる場合があります
検索コンテンツ
1. 熊送り
日本大百科全書
のである。 熊送り儀礼は二つの形式に大きく分けられる。第一は山熊送りであり、森での猟による殺害である。この場合、殺害現場もしくは居住地において儀礼が行われる。第
2. くま‐おくり【熊送】
日本国語大辞典
ばならないとした。熊祭。《季・冬》*随筆・百草〔1844頃か〕一「熊送り 実報 往昔亜伊能人種に於て行ふ祭例あり。之を熊送りと称ふ」
3. アイヌ
日本大百科全書
れる。たとえば、熊送り儀礼の祭壇であれば、熊神を中心に森の神、水の神、狩猟の神が祀られ、これより一段低い位置に先祖祭祀(さいし)の場が設けられる。 アイヌの儀礼
4. アイヌ
世界大百科事典
このころまでに,いわゆる伝統的アイヌ文化はニブヒなど北方少数民族と共通する文化や和人文化を融合させて,熊送り(イオマンテ)や種々の儀礼の様式を完成させ,樹皮衣で
5. アイヌ語/おもな語彙と実用例
日本大百科全書
祈りを捧げる inonnoitakイノンノイタク,inonnoytak〔自〕イノンノイタク 熊送り、動物を神の国へ送る儀式 iyomanteイヨマンテ 御弊
6. イオマンテ
日本大百科全書
熊送り
7. ウデヘ族
世界大百科事典
虎と熊には特別な畏敬の念がもたれていたが,ウデヘ族の起源神話では両者は始祖として語られている。熊送り(熊祭),シャマニズムはアムール川地域の他のツングース語系諸
8. かたむきやま【傾山】宮崎県:西臼杵郡/日之影町
日本歴史地名大系
捕ると祟られるという伝承もあり、それに対しては「熊掛ケ祭文」「くまの頭納様之事」(佐保家文書)などに記された熊送りの儀礼が伝えられている。
9. クマ画像
日本大百科全書
いう。クマの子を神からの預かり物として2~3歳まで飼育し、狩猟期の前になると儀礼的に殺害する熊送りも、親の国へ帰ったクマの子が、人間にたいせつにされたので、もっ
10. 熊祭
日本大百科全書
熊送り
11. くま‐まつり【熊祭】
日本国語大辞典
これをその祖国である神の世界に送り返すために、この儀式を盛大荘重に行なわなければならないとした。熊送り。《季・冬》*休明光記〔1807〕二「熊祭といふ事有り、是
12. 削掛画像
日本大百科全書
予祝するためにつくる所が多く、神棚、仏壇、大黒柱、長押(なげし)、堆肥(たいひ)の上、墓などに飾る。アイヌが熊送りのときに立てるイナウと称する幣束(へいそく)も
13. サハリン島占領日記1853-54 ロシア人の見た日本人とアイヌ 29ページ
東洋文庫
のである。たとえばこの地では冬期の衣服には犬皮やアザラシの毛皮が普通に用いられていることや、熊送りの際には熊を丸太で圧殺するのでなく、矢だけで殺すことなど、サハ
14. サハリン島占領日記1853-54 ロシア人の見た日本人とアイヌ 337ページ
東洋文庫
しては苗字を名乗っていたのであろう。(22)熊の捕獲の際に行われる祝祭 熊祭り(イヨマンテ/熊送り)は熊の捕獲の際に行われるものではない。アイヌたちは幼くして捕
15. 小シーボルト蝦夷見聞記 159ページ
東洋文庫
ころから、熊の穴をカムイチセと呼んでいた。おそらく、これはエペレチセのことで、イヨマ ンテ(熊送り儀礼)で神のもとに帰す仔熊などを飼っておく濫を指す。またプ〈
16. 小シーボルト蝦夷見聞記 208ページ
東洋文庫
彼らは共通の文化として、トリカブトの毒による狩猟技術を有している。おそらくは北 方文化の影響を通じて、熊送りの儀礼などと同様に、アイヌ文化に承け継がれたものと
17. じん‐しゅ【人種】
日本国語大辞典
往々「民族」と混同されるが、民族は文化的区分である。*随筆・百草〔1844頃か〕一「熊送り実報‐往昔亜伊能人種に於て行ふ祭例あり。之を熊送りと称ふ」*西洋道中膝
18. 動物崇拝
日本大百科全書
岩壁などにその姿を描いたり、その毛皮を身に着けて性的な踊りを踊って、豊穣を願うこともある。また、北方の熊送りのように、客として招くということで、山で熊狩りをし、
19. ニブヒ
日本大百科全書
クマは山の世界(天上界)の人間であり、下界に対応する氏族を形成していると考えられていた。したがって熊送りは氏族の祖先崇拝儀礼であった。まず森で子グマをとらえて数
20. 日本神話の研究 20ページ
東洋文庫
持って父母の家にお帰りなさいといって「送る」。こういう神送りのうち最も盛大なのは熊祭り、すなわち熊送りである。熊はアイヌの最も心に懸くる神である。山で熊を捕り、
21. 日本神話の研究 23ページ
東洋文庫
Koryak, 66-76, The Jesup pacific Expedition, VI)° 熊送りも鯨と同様である。殺した熊が家にかつぎこまれるとき、女
22. 日本神話の研究 6ページ
東洋文庫
135,171,172 一と国土を海中より釣る話173クバリイ 58熊送り 66「熊男ジャン」型 44,65
23. もろらん【モロラン】北海道:胆振支庁/室蘭市
日本歴史地名大系
恠む事殊に甚し」(安政三年六月晦日条)と述べている。また小熊や鷲の子を飼っていることを指摘し(同日条)、熊送り儀礼について述べたうえで、「云、是猛獣なれば其霊魂
「熊送り(熊祭)」の情報だけではなく、「熊送り(熊祭)」に関するさまざまな情報も同時に調べることができるため、幅広い視点から知ることができます。
ジャパンナレッジの利用料金や収録辞事典について詳しく見る▶

熊送り(熊祭)と同じ祭事・行事・儀式カテゴリの記事
田楽(国史大辞典・新版 能 狂言事典・改訂新版 世界大百科事典)
広義には稲作に関する芸能の総称として用いるが、狭義には田楽躍(おどり)を本芸とする職業芸能者が演じる芸能をいう。また田植の囃しや田楽躍に用いる太鼓を称する場合もある。広義の田楽は、(1)田植を囃す楽、(2)職業芸能者である田楽法師による芸能
民俗芸能(国史大辞典・世界大百科事典)
地域社会の中で、住民の信仰や風俗・習慣と結び付きながら伝承してきた郷土色ゆたかな芸能。郷土芸能・民間芸能などともいう。祭や宴遊・講などを主な伝承の場とし、特に農耕の祭に呪術的機能を買われて演じられ、また芸能をもって成人教育とするなど
精霊流し(国史大辞典・日本大百科全書・日本国語大辞典)
盆行事の最終段階で、精霊を送り出す儀礼。先祖の霊は、七月十三日の精霊迎えを経て、十五日または十六日夕方まで各家に滞在したのち、精霊流しによって、再びあの世へ送り返されると信じられていた。祖霊をはじめ、死者の霊は山の彼方の世界に行っているが
三社祭(国史大辞典・日本大百科全書・世界大百科事典)
東京都台東区浅草公園に鎮座する浅草神社の祭り。浅草神社は土師真中知(はじのまち)命・檜前浜成(ひのくまのはまなり)命・檜前武成(たけなり)命の三神を祭るところから三社権現と称されてきたが、明治元年(一八六八)、三社明神社
左義長(国史大辞典・世界大百科事典)
小正月に行われる火祭り行事。三毬杖・三毬打・三鞠打・三木張などとも書き、爆竹にこの訓をあてた例もある。打毬(だきゅう)は正月のめでたい遊戯とされ、これに使う毬杖(ぎっちょう)を祝儀物として贈る風習があった。その破損した毬杖を陰陽師が集めて焼く
祭事・行事・儀式と同じカテゴリの記事をもっと見る


「熊送り(熊祭)」は祭・祭事・イベントに関連のある記事です。
その他の祭・祭事・イベントに関連する記事
初詣(日本大百科全書・世界大百科事典・平成ニッポン生活便利帳)
新年最初に神仏に参詣(さんけい)すること。大晦日(おおみそか)の晩から元日にかけては、村の氏神にこもって起き明かすものであったが、前半は除夜の鐘を聞き、後半は初詣でと、二つを別々の行事に分けたのであろう。恵方(えほう)参りともいって、その年の明きの
書初(日本国語大辞典・日本大百科全書・世界大百科事典)
解説・用例〔名〕新年に初めて毛筆で文字を書く正月の行事。昔から、一月二日(江戸時代、寺子屋などでは五日)に恵方(えほう)に向かってめでたい意味の詩歌成句などを書いた。ふではじめ。吉書初(きっしょはじ)め。試筆。かきはじめ。《季・新年》*満済准后日記
初夢(日本国語大辞典・日本大百科全書・世界大百科事典)
解説・用例〔名〕年の初めに見る夢。(イ)節分の夜から立春の明けがたに見る夢。*山家集〔12C後〕上「たつ春の朝よみける年くれぬ春来べしとは思ひ寝にまさしく見えてかなふ初夢」*俳諧・増山の井〔1663〕正月「初夢立春の朝の夢也」*随筆・嬉遊笑覧
大晦日(国史大辞典・日本大百科全書・日本国語大辞典・日本の歳時記・日本方言大辞典)
一年の最終の日。毎月ある晦日(「みそか」とは三十日の意)に大の字をつけたのである。大つごもり(「つごもり」は月籠りの義)ともいう。商家では決算に忙しく、家庭では正月祝いの準備を整える。この夜は除夜とも大年の夜とも呼ばれ、その夜半をもって新年の訪れ
新嘗祭(国史大辞典・日本大百科全書・世界大百科事典)
「にいあえのまつり」、また音読して「しんじょうさい」ともいう。「にいなめ」は古代の稲の収穫祭であるが、民間儀礼と宮廷祭祀に分化している。民間の新嘗としては、『万葉集』の東歌(あずまうた)に女性だけで祭を行なっていたことを示す歌二首がみえる
祭・祭事・イベントに関連する記事をもっと見る


ジャパンナレッジは約1900冊以上(総額850万円)の膨大な辞書・事典などが使い放題の「日本最大級のインターネット辞書・事典・叢書サイト」です。日本国内のみならず、海外の有名大学から図書館まで、多くの機関で利用されています。
ジャパンナレッジの利用料金や収録辞事典について詳しく見る▶