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  11. 物忌

物忌

ジャパンナレッジで閲覧できる『物忌』の国史大辞典・日本大百科全書・世界大百科事典のサンプルページ

国史大辞典
物忌
ものいみ

(一)

「物忌」と書いた札を用いる謹慎行為。平安・鎌倉時代の諸記録や物語類で単に物忌とある場合の大部分は、怪異(物怪)・悪夢の際に陰陽師の六壬式占で占申される物忌期をいう。たとえば占文の「期怪日以後三十日内、及来八月節中、丙丁日也」は、怪日より三十日以内の丙丁両日と、一年以内の八月(節切(せつきり))中の丙丁両日が物忌日。怪日を剋する五行の十日ごとの兄弟(えと)両日が特徴。推断内容により、病事物忌・口舌物忌・火事物忌・失物物忌などといい、二つ以上の怪異の物忌が同日に重なる時二合物忌などという。蔵人・家司らが暦に注し、毎月陰陽師が書き進める物忌簡を陣・門・庭中に立て、当日は閉門して外来者を禁じ、所定の所々の簾などに出納・家司らの書いた物忌札を付け、自身も冠や袖などに紙・柳木で作った物忌札を付け籠居する。また宿紙など屋内の物を使用し、必要な者は夜前に参籠させる。物忌軽く一部開門の際は縄をかける。九世紀中ごろより知られ、怪異の種類や起った場所(怪所)の性格により、律令制国家の政治理念を体現する大怪と、内裏・諸司・諸氏・諸家など貴族社会の集団規制的側面を体現する小怪とに大別すると、大怪では主に天皇が、小怪では天皇・諸司長官・氏長者・家長などの各集団の長と各集団構成員の指年の者とが、物忌を行い、怪所ごとの怪異に対する責任体制を示す。しかし世人には厄災や外来鬼物の侵害に対する防護と強く意識され、『江談抄』や『今昔物語集』などに説話化される。鎌倉幕府でも摂家将軍以後物忌の式が整備されたが、院政権下や幕府の諸司間では発達せず、占文上は十六世紀中ごろまで確認されるが、南北朝時代ごろより漸次現実の意味を失っていった。物忌にはこのほかに占術によるものとして、陰陽道の八卦忌勘文中の大厄日に相当する八卦物忌(当該方位の閉門)、儒者や僧侶の易筮勘文による易物忌(年筮とみられ、毎年特定の月の特定の二支の日が特徴)、宿曜道の宿曜勘文・禄命勘文による宿曜物忌(多く行年勘文とみられるが、藤原行成の毎年正月二十七日は本命勘文か)・禄命物忌があり、いずれも占術の名を冠して呼ばれ、十一世紀以降見出される。占術によらないものでは、十一世紀ごろ以降の病後七日の物忌、喪家七日ごと・十三日目の物忌、院政時代ごろ以降の祇園・今宮御霊会の物忌があり、十世紀代の史料には「斎」ともある疫神横行・百鬼夜行の妖言による「物忌」との関係が注意される。この種の物忌札は鎌倉・室町時代では陰陽師が書き進めた例もみえる。元興寺極楽坊の物忌札はこの類のものか。五節童女・祭使童・大田楽参会人の物忌札は神事と関係するか、失火後七日の物忌は触穢と関係するかとも思われるが、特殊性が考えられ、また犯土を物忌とする例(『殿暦』永久五年(一一一七)四月二十三日条)、特定の干支の日を物忌とする例(物忌札あり。『明月記』天福元年(一二三三)八月八日条)もあるが、普通神事の斎や服忌・忌日、日時・方角の忌などは物忌と区別され、院政時代以降混用が進行し、使用範囲も拡大されるに至った。
[参考文献]
元興寺文化財研究所編『日本仏教民俗基礎資料集成』四、小坂真二「物忌と陰陽道の六壬式占」(古代学協会編『後期摂関時代史の研究』所収)、三和礼子「物忌考」(『宗教研究』一四九)、奥野義雄「物忌札とその世界」(『どるめん』一八)、和田萃「呪符木簡の系譜」(『木簡研究』四)
(小坂 真二)

(二)

魔物や不浄に触れないようにするために謹慎すること、また神霊を迎えるに際して、不浄を遠ざけ、何もしないで心身の安静な状態を保つこと。斎戒・斎忌・諱忌などとも書く。「潔斎(けっさい)」「おこもり」「参籠」ともいい、また仏教の「精進(しょうじん)」と結びついて「精進潔斎」とも称される。『日本書紀』神武天皇即位前紀に「斎戒して諸神を祭りたまふ」とみえ、崇神天皇七年条に「沐浴斎戒して、殿の内を潔浄りて、祈みて曰く」とある「斎戒」は、神を祭るために心身ともに清浄な状態に入り、これを保つことを意味している。このような斎戒は早くに制度化され、神祇令によれば散斎(あらいみ)と致斎(まいみ)の二段階に分け、散斎は、喪を弔うこと、病を問うこと、肉を食うこと、刑殺を判ずること、罪人を決罰すること、音楽を奏することを禁ずる、いわゆる六禁を掲げ、穢悪の事に触れないようにとあり、致斎はただ祭祀の事のみを行い、他の一切の事を行わないと規定している。つまり致斎は散斎の後に行う最も厳重な斎戒で、祭事の執り行われる三日前から始まるのである。このような規定は国家祭祀に関するものであるが、物忌ないし忌みの生活や思想は民間の祭りなどにも顕著にみられ、祭りの前夜に行われるヨミヤ・参籠などは神を迎えるに際しての一種のつつしみの期間で、物忌を厳重に守る必要のあったことを示している。また『日本書紀』雄略天皇七年七月条に、天皇が斎戒をしないで三諸岳(みもろのおか)の神を見ようとしたが、神は雷のように鳴りかがやいて見ることができなかったと記している。これは、神に近づくためには物忌が不可欠であるということを示すもので、このような観念は古くから著しかった。→散斎・致斎(あらいみ・まいみ),→斎戒(さいかい)
[参考文献]
岡田重精『古代の斎忌』、井之口章次「禁忌と物忌」(『日本民俗学』一〇九)

(三)

伊勢神宮をはじめ賀茂・春日・平野・松尾・香取・鹿島などの大社に仕えた童女・童男のことを物忌と称する。なかでも伊勢・鹿島の物忌は有名。延暦二十三年(八〇四)の『皇太神宮儀式帳』に、大物忌をはじめ宮守・地祭(とこまつり)・酒作(さかとく)・清(きよ)酒作・滝祭・御塩焼(みさき)土師器作(はじのうつわものつくり)山向(やまげ)などの物忌の名がみえ、『止由気宮儀式帳』にも大物忌・御炊(みかしぎ)・御塩焼・菅裁(すがだち)・根倉・高宮などの物忌が記されている。このうち大物忌が重職で、もっぱら天照大御神の大御饌に奉仕した。各物忌には、補佐役である物忌父(ものいみのちち)が付き添ったが、それが婦人の場合を母良(もら)と称した。物忌は童女が多く、子良館(こらのたち、こらかん)に忌み籠って神饌を調え神楽に奉仕したりするので、のちに子良子(こらこ)・御子良子(おこらご)、単に子良・子等・子娘(こら)、あるいは御座子(おくらご)などと称された。→子良(こら)
[参考文献]
『内宮子良館記』、『外宮子良館旧記』、『内宮子良年中諸格雑事記』、度会益弘『外宮子良館祭典式』
(三橋 健)


日本大百科全書(ニッポニカ)
物忌み
ものいみ

公事、神事などにあたって、一定期間飲食や行動を慎み、不浄を避けることをいう。潔斎、斎戒。平安時代には陰陽道(おんみょうどう)により物忌みが多く行われ、貴族などは物忌み中はだいじな用務があっても外出することを控えた。物忌み中の人は家門を閉ざして、訪客がきても会わず、行事にも出席しない。家にあっても冠や髪に「物忌」の札をつけていた。夢見なども陰陽師がよくないというと物忌みをした。当時における公家(くげ)などの物忌み日数は1年間に1か月ぐらいに及んだ。また物忌みのため自家に忌み籠(こも)りするだけでなく、他の特定の場所に出かけることもあった。
また、伊勢(いせ)神宮などの大社で、神事に参与する童男・童女を「物忌」とよんだ。鹿島(かしま)神宮では、7、8歳から12、3歳までの経水のない女子のうち、「物忌」役は亀甲(きっこう)を灼(や)いて亀卜(きぼく)により定めたという。伊勢神宮や出雲(いずも)大社はもちろん、山形県の鳥海(ちょうかい)山大物忌神社などは厳重な物忌みで知られている。富士山麓(さんろく)「吉田の火祭り」は北口本宮冨士浅間(せんげん)神社の祭礼であるが、忌中の氏子は自家を離れて一定の場所に外泊し、祭りの主要行事の済むのを待つという不文律がある。沖縄県宮古(みやこ)島に「ンナフカ」という豊作をもたらす神を迎える神事があるが、その物忌みは厳しく、かつては祭りの日には人も牛馬も外出せず、明りもつけず声もたてなかった。祭りを行う巫女(みこ)は以前は断食して神を迎えたといわれている。「ンナフカ」とは仮死の意で、人間の活力が一時停止した状態をいう。
[大藤時彦]



世界大百科事典
物忌
ものいみ

神事ないし凶事の非常にあたって一定期間宗教的な禁忌を守り身を慎むこと。斎戒,諱忌とも書く。また,聖別の行為一般を指すところから特に聖別された神役の名ともなり,伊勢神宮をはじめ大社などでもっぱら禁忌を守り神事に仕える童女・童男をも指す。《日本書紀》に神武天皇がみずから斎忌(ものいみ)して諸神をまつったとあり,《常陸国風土記》に福慈(富士)の神が新穀の祭りに際して家中が諱忌していると語っている。古代法制では神祇令に,神事の前後の散斎(あらいみ)と当日の厳重な致斎(まいみ)とが定められ,散斎については弔問,病気見舞,肉食,刑罰,音楽,触穢(しよくえ)などが禁じられ,致斎には神事以外のいっさいを控えるとある。神事そのものが忌籠(いみごもり)であって,別火し沐浴(もくよく)していっさいの不浄を退け,徹夜して神に仕えるという物忌の形式をとる。その意味から,古く伊勢,春日,賀茂,鹿島,香取,平野,枚岡などの諸大社では特に〈物忌〉と称する1人ないし数人の童女(まれに童男)をおき,厳重な禁忌を課しておもに神饌や神楽を供する役などにあたらせた。伊勢では男児を〈物忌子(ものいみのこ)〉,女児を〈子良(こら)〉,その介護者を男性は〈物忌父〉,女性は〈母良(もら)/(おもら)〉と呼んだ。鹿島では亀卜(きぼく)によって童女の物忌を定めた。いずれも神近くに仕え神職の上位にあるところから,斎宮,斎王,斎院など女性祭主に通じるところがある。なお平安時代に陰陽道(おんみようどう)の影響をうけた貴族たちは凶事を恐れてしきりに物忌し,その間は門戸を閉じて忌み籠り,殿舎にすだれを垂れて〈物忌〉と記したヤナギ,シノブ,紙などの札をつけ,軽い場合は冠や髪にその札をつけて外出した。また祇園や賀茂の祭りに〈物忌〉の札を身につけたり門に張ったりしたが,これは〈物忌〉という名の鬼王がいて,この名札を見ると他の邪鬼が退散するという信仰があったからである。
→忌
[薗田 稔]

[索引語]
斎戒 諱忌 散斎 致斎 物忌子 子良 物忌父 母良 母良
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検索ヒット数 1192
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検索コンテンツ
1. ぶっ‐き【物忌】
日本国語大辞典
〔名〕「ものいみ(物忌)」に同じ。*いろは字〔1559〕「物忌 モノイミ ブッキ」
2. もっ‐き【物忌】
日本国語大辞典
〔名〕「ものいみ(物忌)」に同じ。*塵添〓〓抄〔1532〕四「迦
3. もっ‐き【物忌】
仏教語大辞典
この王の名が厄除けにされたものという。 塵添壒囊鈔 四・三 「迦毘羅衛国中有桃林。其下有一丈鬼王、号物忌。其鬼王辺他鬼神曾以不得寄」
4. もの‐いまい[‥いまひ]【物忌】
日本国語大辞典
〔名〕(「いまい」は、動詞「いまう(忌)」の連用形の名詞化)「ものいみ(物忌)」に同じ。*仙覚抄〔1269〕一四「いはふこのとをとはものいまひする心也」*俳諧・
5. 物忌
世界大百科事典
伊勢では男児を〈物忌子(ものいみのこ)〉,女児を〈子良(こら)〉,その介護者を男性は〈物忌父〉,女性は〈母良(もら)/(おもら)〉と呼んだ。鹿島では亀卜(きぼく
6. ものいみ【物忌】
国史大辞典
丙丁両日が物忌日。怪日を剋する五行の十日ごとの兄弟(えと)両日が特徴。推断内容により、病事物忌・口舌物忌・火事物忌・失物物忌などといい、二つ以上の怪異の物忌が同
7. 物忌(ものいみ)
古事類苑
方技部 洋巻 第1巻 220ページ
8. 物忌(ものいみ)[大神宮職員]
古事類苑
神祇部 洋巻 第3巻 861ページ
9. 物忌(ものいみ)[齋戒]
古事類苑
神祇部 洋巻 第1巻 119ページ
10. もの‐いみ【物忌】
日本国語大辞典
ミ)すべし」(3)(2)の時のしるしとして、柳の木の札、または忍草などに「物忌」と書いて冠、簾などにかけたもの。物忌の札。*蜻蛉日記〔974頃〕下・天祿三年「こ
11. 【物忌】ものいみ
新選漢和辞典Web版
《国》 ①祭りなどのため、一定の期間、飲食をつつしみ、身を清めること。斎戒(さいかい)。 ②陰陽道(おんようどう)で、天一神(なかがみ)などのふさがりを犯すこ
12. ものいみ【物忌】[標準語索引]
日本方言大辞典
よーまり出産によるものいみ:物忌ちぶく出産や月経の時のものいみ:物忌にごれ漁師などが、死人を出した家の火を使った時のものいみ:物忌ひがまいものいみ:物忌する日ひ
13. 依物忌二孟旬 (見出し語:物忌)
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14. 元日節會依物忌天皇不出御 (見出し語:物忌)
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15. 新嘗祭依物忌天皇不出御 (見出し語:物忌)
古事類苑
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16. 物忌時官奏 (見出し語:物忌)
古事類苑
政治部 洋巻 第1巻 421ページ
17. 物忌時小朝拜有無 (見出し語:物忌)
古事類苑
歳時部 洋巻 第1巻 445ページ
18. 物忌時無四方拜 (見出し語:物忌)
古事類苑
歳時部 洋巻 第1巻 389ページ
19. 齋戒(さいかい)
古事類苑
神祇部 洋巻 第1巻 119ページ
20. 物忌み
日本大百科全書
により物忌みが多く行われ、貴族などは物忌み中はだいじな用務があっても外出することを控えた。物忌み中の人は家門を閉ざして、訪客がきても会わず、行事にも出席しない。
21. もの-いみ【物忌み・斎戒】画像
全文全訳古語辞典
古典のなかの暮らし外出できない「物忌み」物忌みは、暦に記される凶の日などの公的なもののほかにも、悪い夢を見たり、けがれに触れたりした時の個人的なものもあったから
22. ものいみごう【物忌郷】岐阜県:美濃国/海西郡
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「和名抄」所載の郷。尾張国海部郡一二郷の一。諸本とも訓を欠く。郷域は現愛知県海部郡八開村・立田村辺りを中心とした一帯とされる。古木曾川は現羽島市小熊町辺りで長良
23. ものいみごう【物忌郷】愛知県:尾張国/海部郡
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24. 物(もの)忌(い)みて胴(どう)打(う)つ
故事俗信ことわざ大辞典
して地面に落とされること。 浮世草子・夫婦気質(1751~64頃)上「あたら色盛りの花も散かかれば、身代も行ず、物忌(モノイミ)て胴(ドウ)うつとは気も付ず、悪
25. ものいみなのみことじんじや【物忌奈命神社】東京都:大島支庁/神津島村/神津島地図
日本歴史地名大系
前浜の集落北部に位置し、物忌奈命を祀る。旧府社。「延喜式」神名帳にみえる伊豆国賀茂郡の同名社(名神大社)に比定され、旧府社。「続日本後紀」承和七年(八四〇)一〇
26. ものいみなみこと‐じんじゃ【物忌奈命神社】
日本国語大辞典
東京都大島支庁神津島村にある神社。旧府社。祭神は事代主命の子といわれる物忌奈命。定(さだむ)明神。明神さま。
27. 物忌女(ものいみのおんな)
古事類苑
神祇部 洋巻 第2巻 1507ページ
28. 物忌子(ものいみのこ)
古事類苑
神祇部 洋巻 第2巻 1511ページ
29. ものいみ の 字(じ)
日本国語大辞典
物忌の時に言ったり使ったりしてはならない字。*吾妻鏡‐貞応二年〔1223〕五月一四日「若君御物忌也。物忌字注〓札」
30. ものいみ の 館(たち)
日本国語大辞典
「かんだち(神館)」に同じ。
31. ものいみ の 父(ちち)
日本国語大辞典
三人〈禰宜一人。大内人三人。物忌十三人。物忌父十三人。小内人十三人〉」*止由気宮儀式帳〔804〕「職掌禰宜内人物忌事。合弐拾壱人〈禰宜一人。大内人三人。物忌六人
32. 物忌父(ものいみのちち)
古事類苑
神祇部 洋巻 第2巻 1508ページ
33. ものいみ の 札(ふだ)
日本国語大辞典
物忌〓」*吾妻鏡‐貞応二年〔1223〕五月一四日「若君御物忌也。物忌字注
34. 物忌札(ものいみのふだ)
古事類苑
神祇部 洋巻 第1巻 122ページ
35. 物忌霊(著作ID:4134730)
新日本古典籍データベース
ものいみたま 神祇
36. 物忌之事(著作ID:4392148)
新日本古典籍データベース
ものいみのこと 真言
37. 物忌札 (見出し語:札)
古事類苑
神祇部 洋巻 第1巻 122ページ
38. 物忌父
古事類苑
神祇部 洋巻 第3巻 862ページ
39. 大物忌
日本大百科全書
山向(やまげ)の九物忌、豊受(とようけ)大神宮には大物忌、御炊(みかしぎ)、御塩焼(みさき)、菅裁(すがだち)、根倉(ねくら)、高宮(たかのみや)の六物忌がいた
40. 大物忌
世界大百科事典
のねぎ)家である荒木田系の子女を時の大物忌父(おおものいみのちち)の養女として奉仕させた。大物忌父とは,大物忌をたすけてその職を勤め行わせる役で,他の物忌父を率
41. おお‐ものいみ[おほ‥]【大物忌】
日本国語大辞典
〔名〕伊勢神宮の神官で、朝夕の大御食(おおみけ)に奉仕するもの。*皇太神宮儀式帳〔804〕「大物忌。無位神主小清女」*古事談〔1212~15頃〕一・永長大田楽事
42. 大物忌神社
世界大百科事典
山形県飽海郡遊佐町,鳥海山上に鎮座。旧国幣中社。正称は鳥海山大物忌神社。吹浦と蕨岡に口ノ宮がある。倉稲魂(うかのみたま)神と同神格という大物忌神をまつるが,本来
43. おおものいみ‐じんじゃ[おほものいみ‥]【大物忌神社】
日本国語大辞典
山形県飽海郡遊佐町、鳥海山にある神社。旧国幣中社。祭神は大物忌神。山頂に本殿、ふもとの吹浦、蕨岡に口之宮(里宮)がある。出羽国一の宮。鳥海山大物忌神社。鳥海山。
44. おおものいみじんじゃ【大物忌神社】
国史大辞典
宝永元年(一七〇四)幕府の判決により、一宮大物忌神社は山頂の祠をさすことになった。明治四年(一八七一)吹浦社が国幣中社に定められたが、同十四年国幣中社大物忌神社
45. 大物忌神社(おおものいみじんじゃ)【篇】
古事類苑
神祇部 洋巻 第4巻 918ページ
46. おおものいみじんじゃふくらくちのみや【大物忌神社吹浦口之宮】山形県:飽海郡/遊佐町/吹浦村
日本歴史地名大系
社と両口之宮を合せた法人名を鳥海山大物忌神社とした。当社の大祭は五月三日の大御幣立行で、ほかに特色ある祭礼として、物忌祭と管粥神事・御浜出神事がある。物忌神事は
47. おおものいみじんじゃわらびおかくちのみや【大物忌神社蕨岡口之宮】山形県:飽海郡/遊佐町/蕨岡上寺村
日本歴史地名大系
鳥海山山麓の南西端、上蕨岡に鎮座。鳥海山山頂にある社殿を本殿とする鳥海山大物忌神社の里宮で、明治初年の神仏分離まで鳥海修験の拠点であった。祭神は大物忌神。末社と
48. おおものいみ‐の‐かみ[おほものいみ‥]【大物忌神】
日本国語大辞典
山形県、鳥海山上の大物忌神社の祭神。倉稲魂神(うかのみたまのかみ)と同神ともいう。オーモノイミノカミ
49. おおものいみのかみ【大物忌神】
日本人名大辞典
物忌神社の祭神。山形県鳥海山上にまつられ,倉稲魂命(うかのみたまのみこと)と同一神とされる。「続(しょく)日本後紀」の承和(じょうわ)5年(838)に正五位下
50. おおものいみ の 父(ちち)
日本国語大辞典
伊勢神宮の重職の一つ。大物忌をたすけてその任を全うさせ、また、他の物忌の父を率いて、神饌(しんせん)を調理したり供したりするもの。*皇太神宮儀式帳〔804〕「年
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書初(日本国語大辞典・日本大百科全書・世界大百科事典)
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初夢(日本国語大辞典・日本大百科全書・世界大百科事典)
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