国史大辞典
世界大百科事典
祓の儀式。天下万民の罪穢を祓うという意味で大祓という。初見は《古事記》の仲哀天皇の段で,〈更に国の大奴佐(おほぬさ)を取りて,生剝(いきはぎ),逆剝(さかはぎ),阿離(あはなち),溝埋(みぞうめ),屎戸(くそへ),上通下通婚(おやこたはけ), 馬婚(うまたはけ), 牛婚(うしたはけ),鶏婚(とりたはけ),犬婚(いぬたはけ)の罪の類を種種求(ま)ぎて,国の大祓して〉とある。律令制の確立後は,6月,12月の晦日に恒例に執行されるもののほか,大嘗祭(だいじようさい),斎宮斎院の卜定,疫病蔓延などのときに臨時に行われた。神祇令には〈凡六月,十二月の晦日の大祓には,中臣は御祓麻を上れ。東西文部(やまとかふちのふひとべ)は,祓刀を上(たてまつ)り,祓詞を読め。訖(おわ)りなば,百官男女を祓所に聚め集へて,中臣は祓詞を宣り,卜部(うらべ)は解除をせよ〉と規定している。このうち,東西文部の祝詞は漢風で,中臣の読む祝詞がいわゆる〈大祓詞〉であって,ともに《延喜式》に収められている。また,祓所は宮城の正門である朱雀門に設けられた。儀式は諸司官人の参入着座ののち贖物(あがもの),祓物を持ち出し,祓馬を引き立てる。神祇官人が切麻(きりぬさ)をわかち,祝師は祝詞を読み,大麻(おおぬさ)を各官人の前に引き,祓物を撤してこの儀を終わる。臨時の大祓もまた同様に行われた。このほか,諸国で大祓を行う場合は〈郡毎に,刀一口,皮一張,鍬一口,及び雑物等,戸別に麻一条を出せ。其の国造は,馬一疋を出せ〉(神祇令)とある。応仁の乱以降は,他の朝儀と同様廃絶した。その後1691年(元禄4)にいったん復興をみるが旧儀には復さず,1871年(明治4)になって正式に再興した。祓所は賢所(かしこどころ)前庭に設けられて行われる。伊勢神宮では,6月,12月の恒例の大祓のほか,祈年,月次,神嘗,新嘗の各大祭前月の晦日にも行う。また各地の神社では,〈夏越(なごし)の祓〉に茅の輪くぐりなどの行事を行う所も多い。
→天津(あまつ)罪・国津罪
日本大百科全書(ニッポニカ)
罪 (つみ)や穢 (けがれ)を除くための祓式。普通の祓式は短文の祓詞 (はらえことば)を奏するのに対して、大祓は長文の大祓詞を奏上もしくは宣 (の)り下して行う。恒例の大祓は、宮中や全国の神社、それに神道系教団において、6月と12月の晦日 (みそか)に行われ、6月晦日の大祓を名越祓 (なごしのはらえ)、水無月祓 (みなづきのはらえ)、夏祓などともいう。これは半年間の罪や穢を定期的に祓い除く行事で、名越祓には現在も各地で「茅の輪 (ちのわ)くぐり」が行われている。また、古くから臨時の大祓もしばしば行われたことが、「六国史 (りっこくし)」その他の文献に散見し、現在も災難にあったときなどに行われる。大祓の初見は『古事記』に仲哀 (ちゅうあい)天皇が崩御のとき国の大祓をしたことがみえ、制度としては大宝令 (たいほうりょう)(現存のものは養老令)に始まり、令の施行細則である『延喜式 (えんぎしき)』、それに『儀式』『北山抄 (ほくざんしょう)』『江家次第 (ごうけしだい)』その他の文献によって、上代の大祓式をうかがうことができる。神祇令 (じんぎりょう)によると、宮廷の大祓は、6月と12月の晦日に、中臣 (なかとみ)が祓の麻 (ぬさ)を、東西 (やまとかわち)の文部 (ふびとべ)が祓の刀 (たち)(罪穢を断つ義)を奉り、祓所(多くは朱雀 (すざく)門)にて、中臣が百官の男女に大祓詞を宣り下し、卜部 (うらべ)が解除 (はらえ)をした。その宣読文 (せんどくぶん)は『延喜式』巻8にみえる。中臣が宣読したものは中臣祭文 (さいもん)ともいわれ、現在の大祓詞はこれを一部改訂したものである。
日本国語大辞典
解説・用例
(1)人々の罪やけがれをはらい清めるための神事。中古には、毎年六月と一二月のみそかに、親王、大臣以下百官の男女を朱雀門(すざくもん)前の広場に集めて行なった。現在でも宮中や各神社の年中行事になっている。臨時には、大嘗祭(だいじょうさい)、大神宮奉幣、斎王卜定(ぼくてい)などの事ある時にも行なわれた。中臣(なかとみ)の祓え。おおはらい。《季・夏/冬》
*古事記〔712〕中「爾(ここ)に驚き懼(お)ぢて、殯宮(あらきのみや)に坐(ま)せて、更に国の大奴佐(おほぬさ)を取りて、〈略〉罪の類(たぐひ)を種種(くさぐさ)求(ま)ぎて、国の大祓(おほはらへ)為て」
*令義解〔718〕神祇・大祓条「凡六月十二月晦日大祓〈謂。祓者。解除不祥也〉者。中臣上御祓麻。東西文部上祓刀。読祓詞。訖。百官男女。聚集祓所。中臣宣祓詞。卜部為解除」
*延喜式〔927〕祝詞・六月晦大祓「官官(つかさづかさ)に仕へ奉る人の過(あやま)ち犯しけむ雑雑(くさぐさ)の罪を、今年の六月の晦(つごもり)の大祓(おほはらへ)に、祓(はら)へ給ひ清めたまふ事を、諸(もろもろ)聞(きこ)し食せ」
*俳諧・増山の井〔1663〕六月「大祓(ヲホバラヘ) 卅日〈略〉むかしは百官ことことく朱雀門に出てはらへをし侍と也」
(2)中世の春日社領などで行なわれた一種の刑罰で、犯罪によって生じたけがれを清めるための神事。費用は犯人や縁者の負担となった。清祓(きよめはらえ)。
*春日社記録‐中臣祐春記・弘安一〇年〔1287〕一一月一五日「且令追放庄内、且懸与力縁者等行大祓事」
発音
オーハラエ
オーバレー〔鳥取〕
[ハ]
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