1. 遣渤海使画像
日本大百科全書
728年(神亀5)から811年(弘仁2)にかけて日本から渤海に13回にわたって派遣された公式の使節。日本と渤海(698~926)との交渉は727年の渤海使来日に
2. 遣渤海使画像
世界大百科事典
で新羅を背後より牽制するために日本と結ぶことにあった。これに対して日本は翌年送使を付して初の遣渤海使とした。これ以後日本と渤海の使節による国交は,その時期・性格
3. けんぼっかいし【遣渤海使】画像
国史大辞典
日本と結ぶことを意図していた。翌五年の第一回遣渤海使引田虫麻呂らはこの渤海使の送使であり、以後、送使が十三回のうち十回を数える。このように遣渤海使は受動的性格を
4. 遣渤海使
日本史年表
4・24 内蔵賀茂麻呂らを 遣渤海使 に任命(6年1貢を渤海に提示)(類聚国史一九三渤海上)。 798年〈延暦17 戊寅⑤〉 12・27 渤海使 大昌泰 ら、
5. 遣二渤海一使 (見出し語:使)
古事類苑
外交部 洋巻 第1巻 315ページ
6. 遣渤海使一覧[図版]画像
国史大辞典
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7. 遣渤海使一覧[百科マルチメディア]画像
日本大百科全書
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8. 遣渤海使 : 表1-遣渤海使表画像
世界大百科事典
[回] [出発年] [使節] 1 728 引田虫麻呂(渤海使送使) 2 740 大伴犬養(送使) 3 758 小野田守,高橋老麻呂(帰路渤海使同道) 4 760
9. さいきん【崔忻】(Cuī Xīn)
世界人名大辞典
中国唐の渤海使者.唐の遣渤海使.鴻臚卿となり,大祚栄(だいそえい)を左驍衛大将軍・渤海郡王・忽汗州都督に冊命する使者として,玄宗が渤海に派遣[713:開元1]
10. あらたまぐん【麁玉郡】静岡県:遠江国
日本歴史地名大系
これは「続日本紀」天平宝字二年(七五八)一〇月二八日条にみえる帰国した遣渤海使への叙位記事に対応するものと考えられ、遣渤海使に荒玉郡出身者が随行していたことがわ
11. 伊吉益麻呂
日本史年表
762年〈天平宝字6 壬寅⑫〉 10・1 遣渤海使 伊吉益麻呂 、 渤海使 王新福 以下23人とともに帰国し越前国に着く。閏12月19日入京(続紀)。
12. えちぜんのくに【越前国】福井県
日本歴史地名大系
、このことからも日渤交流の拠点が越前であったことがうかがえる。三五回の渤海使の来日、一三回の遣渤海使の派遣が知られるが、たとえば安禄山の変を日本に伝えた天平宝字
13. 王孝廉
世界大百科事典
その後瘡にかかり病死する。王孝廉は学才豊かで《文華秀麗集》に漢詩を残し,空海とも親交があった。→遣渤海使鈴木 靖民
14. 王新福
日本史年表
762年〈天平宝字6 壬寅⑫〉 10・1 遣渤海使 伊吉益麻呂 、 渤海使 王新福 以下23人とともに帰国し越前国に着く。閏12月19日入京(続紀)。
15. おうみのくに【近江国】滋賀県
日本歴史地名大系
書紀」持統天皇九年七月二六日条)、遣唐使になった滋野(「続日本紀」宝亀九年一〇月二二日条)、遣渤海使になった田守(同書天平宝字四年九月一六日条)など外交に活躍し
16. おきのくに【隠岐国】島根県
日本歴史地名大系
正七位下板振鎌束らが隠岐に漂着している(「続日本紀」同年一〇月六日条)。延暦一八年(七九九)遣渤海使内蔵宿禰賀茂麻呂が帰国途中、船が進路を見失ったとき、遠方に火
17. おさ【訳語】
国史大辞典
学ばせたりした。『延喜式』では遣唐使に、四等官に次ぐ待遇の(唐)訳語のほか新羅訳語・奄美訳語などを添え、遣渤海使や遣新羅使にもそれぞれ訳語や大通事・少通事を随行
18. 小野田守
日本史年表
758年〈天平宝字2 戊戌〉 9・18 没。 758年〈天平宝字2 戊戌〉 12・10 遣渤海使 小野田守 、安禄山の乱など唐の情勢を奏上.よって 大宰府 に
19. 甲子夜話続篇 8 222ページ
東洋文庫
又名大日婁貴、禁裏内侍所三十番神第一有二離火神岨是也。『日本後紀』〔桓武〕延暦十八丙辰〔士二日〕、前遣渤海使外従五位下内蔵宿禰賀茂麻呂等言。帰レ郷之日、海中夜暗
20. 内蔵賀茂麻呂
日本史年表
4・24 内蔵賀茂麻呂らを 遣渤海使 に任命(6年1貢を渤海に提示)(類聚国史一九三渤海上)。 798年〈延暦17 戊寅⑤〉 12・27 渤海使 大昌泰 ら、
21. 遣新羅使画像
世界大百科事典
。779年遣唐使の送還のための両国使節の往来を最後に実質上の公の交流は終わった。→遣唐使 →遣渤海使鈴木 靖民 新羅 吉士(きし)氏 新羅使
22. こだい【古代】画像
国史大辞典
わが国は日本海岸に松原客館(今の敦賀)や能登客院を設けて渤海使に応対した。日本側も十数回にわたって遣渤海使を派遣して友好関係を保ち、互いに文物の交流をはかった。
23. 高麗殿継
日本史年表
帰国、 高麗殿継 を送使に任命し、ともに出発(続紀)。 778年〈宝亀9 戊午〉 9・21 遣渤海使 高麗殿継 ら、 渤海使 張仙寿 らとともに 越前国に帰着
24. 続日本紀 1 315ページ
東洋文庫
八月己丑(七日) 太白(金星)が太微宮(天平元年六月二十六日条参照)に入った。 辛亥(二十九日) 遣渤海使・正六位上の引田朝臣虫麻呂らが帰朝した。 九月壬子朔
25. 続日本紀 2 73ページ
東洋文庫
遣新羅大使に任じた。 夏四月戊午(二日) 遣新羅使らが天皇に出発のいとまごいをした。 丙子(二十日)遣渤海使らが天皇に出発のいとまごいをした。 五月乙未(十日)
26. 続日本紀 3 21ページ
東洋文庫
朝臣田守に従五位上を、副使・正六位下の高橋朝臣老麻呂に従五位下を授けた。その他の六十六人〔の遣渤海使の一行〕にもそれぞれ功労に応じて〔官位を〕授けた。 美濃国席
27. 続日本紀 3 22ページ
東洋文庫
破毀した。先帝(聖武天皇)の寵愛をうけていながら、忠誠の心を裏切ったからである。 戊申(十日) 遣渤海使の小野朝臣田守らが唐国の情勢を〔つぎのように〕奏上した。
28. 送渤海客使
日本史年表
12・4 林東人らを 送渤海客使 とする.翌年4月27日、辞見、 渤海使 の帰国に同行し出発(最後の遣渤海使)(後紀)。
29. たいがいかんけい【対外関係】 : 古代
国史大辞典
わが国は日本海岸に松原客館(今の敦賀)や能登客院を設けて渤海使に応対した。日本側も十数回にわたって遣渤海使を派遣して友好関係を保ち、互いに文物の交流をはかった。
30. 大昌泰
日本史年表
798年〈延暦17 戊寅⑤〉 12・27 渤海使 大昌泰 ら、 遣渤海使 内蔵賀茂麻呂 の帰国に同道して来朝、国書・方物を献上(類聚国史一九三渤海上)。
31. 大宰府
日本史年表
745年〈天平17 乙酉〉 6・5 大宰府 を復置(続紀)。 758年〈天平宝字2 戊戌〉 12・10 遣渤海使 小野田守 、安禄山の乱など唐の情勢を奏上.よっ
32. ちぶりぐん【知夫里郡】島根県:隠岐国
日本歴史地名大系
天平四年(七三二)時の郡司は、大領は外正八位上勲一二等海部諸石、主帳は外大初位上勲一二等服部在馬。延暦一八年遣渤海使内蔵宿禰賀茂麻呂が帰郷の日、当郡に漂着し、そ
33. 張仙寿
日本史年表
778年〈宝亀9 戊午〉 9・21 遣渤海使 高麗殿継 ら、 渤海使 張仙寿 らとともに 越前国に帰着 (続紀同日条・宝亀一〇年正月一日条)。
34. 奈良時代画像
日本大百科全書
日本に送ってきた。こうして渤海との通交が始まり、奈良時代の終わりまでに渤海使の渡来は合計10回、遣渤海使の派遣は送渤海客使をあわせて9回に及び、親善関係が持続し
35. 奈良時代
世界大百科事典
は,唐・新羅に対抗する必要からしばしば使者を日本に送って国交を求めてきた。これに対して日本も遣渤海使を派遣し,また遣唐使など中国との交流の中継地としても利用した
36. のとのくに【能登国】石川県
日本歴史地名大系
数える(続日本紀・日本後紀・三代実録)。帰国のための基地として指定されていたようで、天平宝字七年の遣渤海使船が能登と命名されていた(「続日本紀」同年八月一二日条
37. 引田虫麻呂
日本史年表
730年〈天平2 庚午⑥〉 8・29 遣渤海使 引田虫麻呂 ら帰国(続紀)。
38. ひけたの-むしまろ【引田虫麻呂】
日本人名大辞典
神亀(じんき)5年(728)送渤海客使(そうぼっかいかくし)となり渡海,天平(てんぴょう)2年遣渤海使として帰国,その功により3年外従五位下。主殿頭(とのものか
39. 渤海
世界大百科事典
後919年(延喜19)まで続くが,その間渤海からの使節の来日は34回に及び,一方,日本からの遣渤海使派遣は13回で,その多くは渤海の使節を送る使であった。こうし
40. ぼっかい【渤海】
国史大辞典
り、以後、安定した友好的な関係が保たれ、渤海使の来日は渤海滅亡直前まで続いた。一方日本からの遣渤海使は主に来日渤海使を送るために派遣されたが、弘仁二年(八一一)
41. 渤海使
日本史年表
国書・方物・遣唐大使藤原清河の上表文を献上(続紀)。 762年〈天平宝字6 壬寅⑫〉 10・1 遣渤海使 伊吉益麻呂 、 渤海使 王新福 以下23人とともに帰国
42. 萬葉集 222ページ
日本古典文学全集
、この能登島も船木を伐り出す島山として有名であったのであろうという。天平宝字七年(七六三)の遣渤海使船が「能登」の船号を持つのも船材の調達地と関係があるか。幾代
43. 730年〈天平2 庚午⑥〉
日本史年表
定める(続紀・令集解職員令式部省大学寮条所引令釈所引天平二年三月二七日官奏)。 8・29 遣渤海使 引田虫麻呂 ら帰国(続紀)。 9・28 諸国の 防人 を
44. 758年〈天平宝字2 戊戌〉
日本史年表
10・25 国司 の任期を4年から6年に改め、3年ごとに 巡察使 を派遣(続紀)。 12・10 遣渤海使 小野田守 、安禄山の乱など唐の情勢を奏上.よって 大
45. 762年〈天平宝字6 壬寅⑫〉
日本史年表
勅旨省 創設。 7・‐ 遣唐使 、渡海できず、8月9日、中止される(続紀)。 10・1 遣渤海使 伊吉益麻呂 、 渤海使 王新福 以下23人とともに帰国し越
46. 778年〈宝亀9 戊午〉
日本史年表
【政治・経済】 9・21 遣渤海使 高麗殿継 ら、 渤海使 張仙寿 らとともに 越前国に帰着 (続紀同日条・宝亀一〇年正月一日条)。 10・23 遣唐第3
47. 798年〈延暦17 戊寅⑤〉
日本史年表
1・24 神宮司・神主などの任期を6年とする(類聚三代格一)。 4・24 内蔵賀茂麻呂らを 遣渤海使 に任命(6年1貢を渤海に提示)(類聚国史一九三渤海上)。
48. 810年〈弘仁元(9・19) 庚寅〉
日本史年表
12・4 林東人らを 送渤海客使 とする.翌年4月27日、辞見、 渤海使 の帰国に同行し出発(最後の遣渤海使)(後紀)。 12・20 鋳銭司 、新銭1040貫