1. しまばら の 乱(らん)
日本国語大辞典
寛永一四年(一六三七)一一月から翌年二月にかけて、肥前国高来郡島原の原城に籠ってキリシタン教徒と農民が反乱した一揆。幕府のキリシタン弾圧と島原藩主松倉勝家の執政 ...
2. 島原の乱
世界大百科事典
江戸初期の1637-38年(寛永14-15)に肥前島原藩と同国唐津藩の飛地肥後天草の農民が,益田時貞(天草四郎)を首領に,キリシタン信仰を旗印としておこした百姓 ...
3. しまばらのらん【島原の乱】
国史大辞典
[参考文献]岡田章雄『天草時貞』(『人物叢書』五一)、助野健太郎『島原の乱』、中村質「島原の乱と鎖国」(『(岩波講座)日本歴史』九所収)、同「島原の乱と佐賀藩」 ...
4. 島原の乱
日本史年表
1637年〈寛永14 丁丑③〉 10・25 島原の乱 起こる(実紀)。 1637年〈寛永14 丁丑③〉 11・9 幕府、 島原の乱 鎮圧のため、 板倉重昌 ・ ...
5. 島原の乱
日本大百科全書
→島原・天草一揆 ...
6. しまばら‐の‐らん【島原の乱】
デジタル大辞泉
⇒島原天草一揆 ...
7. 柳生十兵衛七番勝負 島原の乱
デジタル大辞泉プラス
日本のテレビドラマ。放映はNHK(2006年4月~5月)。時代劇。全7回。2005年に同局で放映された『柳生十兵衛七番勝負』の続編。脚本:池田政之。音楽:梅林茂 ...
8. あいぜんいん【愛染院】熊本県:熊本市/熊本城下/京町懸
日本歴史地名大系
忠利より預かった弘法大師真筆の愛染明王の絵像一幅を所持すると伝える(国誌)。境内には住職・国友家や島原の乱で戦死した松岡久左衛門の墓など、寛永期(一六二四―四四 ...
9. あいつむら【合津村】熊本県:天草郡/松島町
日本歴史地名大系
圏内にあり、そのコンフラリヤ(信徒の講)に属したと推定できる。寛永一四年(一六三七)の天草・島原の乱には村民のほとんどが一揆に加わり、同年一一月六日の天草にて切 ...
10. あいつむら【愛津村】長崎県:南高来郡/愛野町
日本歴史地名大系
江戸時代は島原藩領の北目筋に属する。慶長国絵図に「会津」とみえ、高五五〇石余。寛永一四年(一六三七)の島原の乱では千々石村(現千々石町)庄屋から状況の注進を受け ...
11. あいづ-げんさつ【会津玄察】
日本人名大辞典
1611−1638? 江戸時代前期の医師。慶長16年生まれ。小西家につかえ,のち天草大矢野(熊本県)にすむ。島原の乱では蘆塚忠右衛門らとともに軍奉行となり,幕府 ...
12. アイヌ【Ainu】
国史大辞典
抱く者であった。遠地の者はかえってこれによって交易が絶えるのをおそれ、友好的な態度さえ示した。この乱は島原の乱以来の事件で、世の注目を蝦夷地に集める契機となった ...
13. あかさきむら【赤崎村】熊本県:天草郡/有明町
日本歴史地名大系
端の村。村名は海に向かってそびえる赤肌の断崖にちなむという。慶長国絵図に村名がみえる。天草・島原の乱時には全村民が一揆に加わり、乱後無人の亡所と化した。栖本組に ...
14. あかぼし-ないぜん【赤星内膳】
日本人名大辞典
関ケ原の戦いに敗れて改易となった織田信長の孫織田秀信(ひでのぶ)の遺臣。寛永14年(1637)島原の乱に参加,幕府軍とたたかったという。 ...
15. あきづきはん【秋月藩】
国史大辞典
十三石が、本藩領穂波郡二ヵ村・夜須郡一ヵ村千七百七十三石と「御内証替」になった。同十五年正月島原の乱に出陣。その二百年祭に藩主長元が命じて画かせた島原陣屏風は著 ...
16. あきづきはん【秋月藩】 : 秋月藩/(一)
国史大辞典
十三石が、本藩領穂波郡二ヵ村・夜須郡一ヵ村千七百七十三石と「御内証替」になった。同十五年正月島原の乱に出陣。その二百年祭に藩主長元が命じて画かせた島原陣屏風は著 ...
17. あさいむら【浅井村】福岡県:久留米市/旧山本郡地区
日本歴史地名大系
余、開高五斗余・物成高一斗余(「本地開本免帳」中村家文書)。旧高旧領取調帳では高二〇四石余。島原の乱に際し、百姓三人が参陣した(上野家文書)。宝暦三年(一七五三 ...
18. あさひやま【朝日山】佐賀県:鳥栖市/村田村
日本歴史地名大系
日山―筑後国御笠郡の日尾―四王寺山(大宰府裏)火の尾へと継いでいたもののようである。近世では島原の乱当時に使用されたらしく、幕末には文化五年(一八〇八)英艦フェ ...
19. あしきたぐん【葦北郡】熊本県
日本歴史地名大系
いたが、下級役人化した彼らと違い、葦北地侍は国境警備のため武備を整え特権も守り抜いた。郡筒は島原の乱後葦北郡のみに残された制度である。彼らは新田開発や道路・水路 ...
20. あしづかちゅうえもん【蘆
忠右衛門】
国史大辞典
?―一六三八 島原の乱の指導者の一人。生年は明確でないが、一説では天正十六年(一五八八)に生まれ、小西行長の奉公人であったともいうが、有馬修理大夫晴信の旧臣で ...
21. あしづか-ちゅうえもん【蘆塚忠右衛門】
日本人名大辞典
キリシタン大名有馬晴信(はるのぶ)の旧臣。小西行長につかえたともいう。寛永14年(1637)島原の乱がおこると,農民軍指導者のひとりとして原城への籠城(ろうじょ ...
22. あだちやま【足立山】福岡県:北九州市(旧豊前域)/小倉北区
日本歴史地名大系
り、長州側へは火の山(現山口県下関市)につなぐ定であった(小倉市誌)。寛永一五年(一六三八)島原の乱に派遣された老中松平信綱が「足立山」で鹿狩を行った(「忠真公 ...
23. 阿部氏
日本大百科全書
大久保忠隣(おおくぼただちか)らとともに、旗本や5か国に在住する家臣団を管掌する任にあたった。嫡子正次は島原の乱時の大坂城代で、適切な処置により賞せられた。その ...
24. 天草[市]
世界大百科事典
漁は有名で,タイ,ハマチ,クルマエビの養殖が盛ん。南西部の大島子(おおしまご),小島子一帯は島原の乱の際の殉教戦発端の地である。町内にはキリシタン遺跡が多い。 ...
25. あまくさ‐いっき【天草一揆】
日本国語大辞典
首領とする、天草・島原のキリシタンが起こした乱。一時幕府勢は苦戦したが、同一五年鎮圧。天草の乱。島原の乱。*仮名草子・浮世物語〔1665頃〕一・五「肥前の天草一 ...
26. あまくさいっき【天草一揆】
国史大辞典
⇒島原の乱(しまばらのらん) ...
27. あまくさぐん【天草郡】
国史大辞典
圧が始まり、慶長八年(一六〇三)から天草を支配するようになった唐津城主寺沢氏のもとで、有名な島原の乱が起った。乱後は幕府の天領となり、初代の代官は鈴木重成で代官 ...
28. あまくさぐん【天草郡】熊本県
日本歴史地名大系
当時天草の生産力は推定二万石程度と目され、実態をはるかに上回るこの石高格付がのちに寛永一四年(一六三七)天草・島原の乱の一因となるのである。なお「島鏡」によれば ...
29. あまくさけん【天草県】
国史大辞典
明治時代初期、肥後国(熊本県)天草地域に置かれた県。天草地域は島原の乱以後、寛文四年(一六六四)から十一年までの七年間を除き幕府領であった。明治維新によって明 ...
30. 天草下島
世界大百科事典
16世紀にキリスト教が伝わり,旧河浦町に1592年(文禄1)天草学林が建てられキリシタン布教の中心となった。島原の乱には幕府軍と信徒との間に富岡城攻防の激戦があ ...
31. 天草諸島
世界大百科事典
2万石として過大に評価し,高い課税で島民を苦しめ,後の大乱の原因をつくった。1637年(寛永14)に起こった島原の乱で島は荒廃し人口は激減した。その後天草は一時 ...
32. あまくさ‐しょとう[‥ショタウ]【天草諸島】
日本国語大辞典
熊本県南西部の島々。上島、下島、大矢野島ほか、一二〇余の島々から成る。室町時代末以後キリスト教が広がり、島原の乱の後は幕府直轄地となる。雲仙天草国立公園の一部。 ...
33. あまくさ-しろう【天草四郎】
日本人名大辞典
?−1638 江戸時代前期,島原の乱の首領。天草甚兵衛の子。寛永14年圧政とキリシタンの弾圧に対して島原と天草に一揆(いっき)がおこると,小西行長の遺臣らにおさ ...
34. あまくさしろう【天草四郎】
日本架空伝承人名事典
益田時貞。江戸初期、島原の乱の首領とされる少年。居住地から江辺四郎、大矢野四郎、一揆の首領として天草四郎太夫時貞、天の四郎秀綱などと呼ばれ、洗礼名はジェロニモと ...
35. あまくさしろうせいどうあと【天草四郎聖堂跡】熊本県:天草郡/大矢野町/中村
日本歴史地名大系
[現]大矢野町中 西に有明海を望む字宮津にある。寛永一四年(一六三七)天草・島原の乱時、天草四郎(益田四郎時貞)は当聖堂を根拠に天草各所へ往来し、キリシタンへの ...
36. あまくさちょう【天草町】福井県:福井市/福井城下
日本歴史地名大系
福井城の東方郭内、鷹匠町の南方、奥平門内南にあり、東西に走る通りに沿った町。寛永一四年(一六三七)島原の乱に派遣された藩士一二名が帰還して賜った屋敷町。当町の東 ...
37. あむら【阿村】熊本県:天草郡/松島町
日本歴史地名大系
東・西・南を囲まれ、北は阿村港を隔てて大矢野島と相対している。寛永一四年(一六三七)の天草・島原の乱には村民のほとんどが一揆に加わり、同年一一月六日の天草にて切 ...
38. あらまきみょう【荒牧名】長崎県:南高来郡/南串山町/南串山村
日本歴史地名大系
・三六メートル)に「里阿ん」、切妻蓋石型墓碑に同年銘、扁平蓋石型墓碑に同一七年銘が刻まれる。島原の乱後に平戸から竹下氏が門山に、大村より森下氏が白頭に移住したほ ...
39. ありあけまち【有明町】熊本県:天草郡
日本歴史地名大系
中世上津浦氏が割拠し、キリシタン全盛期には南蛮寺が建てられた。寛永一四年(一六三七)の天草・島原の乱時、天草における初戦が展開され、乱後、移民によって各村を再建 ...
40. ありえ【有家】
国史大辞典
ミナリヨ、また豊後府内のコレジヨが一時この地に移されたこともある。のち寛永十四年(一六三七)島原の乱勃発の際には農民蜂起の中心となった。 (岡田 章雄) ...
41. ありえまちむら【有家町村】長崎県:南高来郡/有家町
日本歴史地名大系
陰刻した二基のキリシタン墓碑(県指定史跡)がある。小川の榎田には入母屋式のキリシタン墓碑(県指定史跡)がある。島原の乱後には小川の熊野神社などが復興されている。 ...
42. ありえむら【有家村】長崎県:南高来郡/有家町
日本歴史地名大系
「ありまの内有江村」生れで、元和四年長崎五島町に来住し、同時代に改宗したという。寛永一四年の島原の乱の直前、南目筋の諸村の庄屋らが有家村の庄屋甚右衛門の家に集ま ...
43. ありたむら【有田村】長崎県:南高来郡/有家町
日本歴史地名大系
十四日類子」と刻まれる平形墓碑など二基がある(うち一基は県指定史跡)。類子はルイスであろう。島原の乱後に山川の温泉神社などが復興されている。江戸時代は島原藩領の ...
44. ありま【有馬】
国史大辞典
は信徒の弾圧迫害が繰り返された。寛永十四年(一六三七)重政の子勝家の誅求に堪えかねて勃発した島原の乱の発端はこの地に起った農民の蜂起であった。 (岡田 章雄) ...
45. ありまころうものがたり【有馬古老物語】
国史大辞典
沈めたこと(マードレ=デ=デウス号事件、慶長十四年の誤り)、同十六年日向転封のこと、寛永十四年(一六三七)の島原の乱、同十五年松倉家の滅亡に至るまで三十一年間の ...
46. ありま-ただより【有馬忠頼】
日本人名大辞典
1603−1655 江戸時代前期の大名。慶長8年生まれ。有馬豊氏の次男。島原の乱に出陣,功をたてる。寛永19年父の跡をつぎ,筑後(ちくご)(福岡県)久留米(くる ...
47. ありまとようじ【有馬豊氏】
国史大辞典
丹波福知山六万石を得た。家康の養女を妻とし、元和六年(一六二〇)久留米二十一万石に移された。島原の乱に出征し、寛永十九年(一六四二)九月三十日久留米に没した。七 ...
48. 有馬直純
世界大百科事典
強化し,殉教者を多く出す。14年日向国県5万3000石に転封。そのとき,家臣を多く残したが,島原の乱で旧領民を攻めた。森山 恒雄 有馬晴信 ...
49. ありまなおずみ【有馬直純】
国史大辞典
松平伊豆守信綱に従って功労をたてた。寛永十八年(一六四一)四月二十五日、大坂にて没す。五十六歳。→島原の乱(しまばらのらん) [参考文献]『有馬晴信記』、『駿府 ...
50. ありま-なおずみ【有馬直純】
日本人名大辞典
馬家初代となった。5万3000石。幼時洗礼をうけたが幕府の禁令にしたがい棄教,旧領でおこった島原の乱で功をたてる。寛永18年4月25日死去。56歳。洗礼名はミゲ ...