NHK大河ドラマ「光る君へ」特集
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普通選挙(日本国語大辞典)
すべての成年者に選挙権、被選挙権を与える制度。財産・教育・性などによって選挙権、被選挙権を制限する制限選挙に対するもの。日本では、財産による制限は大正一四年(一九二五)、性別による制限は昭和二〇年(一九四五)に除かれた
自由(日本国語大辞典)
自分の心のままに行動できる状態。思いどおりにふるまえて、束縛や障害がないこと。また、そのさま。思うまま。先例、しかるべき文書、道理などを無視した身勝手な自己主張。多くその行為に非難の意をこめて使われる。わがまま勝手。
今昔物語集(日本古典文学全集・日本大百科全書・世界大百科事典・全文全訳古語辞典)
1000以上の説話を載せる、仏教&世俗説話の集大成 〈今昔(いまはむかし)……〉で始まる和漢混交文で書かれた1059の説話を、1~5巻「天竺(てんじく)部」(インド)、6~10巻「震旦(しんたん)部」(中国)、11~20巻「本朝(日本)仏法部」、21~31巻「本朝世俗部」の31巻で構成
玉鬘(源氏物語)【玉かづら】(日本古典文学全集・日本架空伝承人名事典)
日本古典の最高傑作――光源氏の波瀾万丈の生涯を描いた大長編 主人公・光源氏の恋と栄華と苦悩の生涯と、その一族たちのさまざまの人生を、70年余にわたって構成。王朝文化と宮廷貴族の内実を優美に描き尽くした、まさに文学史上の奇跡といえる。藤原為時の女(むすめ)で歌人の紫式部が描いた長編で
東大寺(国史大辞典)
奈良市雑司町にある華厳宗の総本山。大華厳寺・金光明四天王護国寺・総国分寺などの別称がある。南都七大寺・十三大寺・十五大寺の一つ。東大寺の寺号は平城京の東方にある大寺を意味し、『正倉院文書』の天平二十年(七四八)五月の「東大寺写経所解案」に初見するが
興福寺(国史大辞典)
奈良市登大路町にある法相宗大本山。南都七大寺の一つ。寺伝では「こうぶくじ」という。縁起によると、天智天皇八年(六六九)藤原鎌足の死去に際し、妻の鏡女王が鎌足の念持仏の釈迦丈六像などを祀る伽藍をその山階(山科)邸に設けたのに始まり(山階寺)、その子不比等によって藤原京の厩坂に移遷(厩坂寺)
社会学(国史大辞典)
人間の社会的行為を最も基本的単位とする社会の構造や変動を、地位・役割、関係、集団・組織、階級・階層、制度、体制などの概念を用いながら、理論的、実証的に分析し、社会を構成する一定の法則性の発見をめざすとともに、諸社会問題の解決に貢献するという応用的領域をも含んだ
歴史学(国史大辞典)
歴史学すなわち学問としての歴史研究は、現代の日本では、本項目の以下の区分のように、国史学・東洋史学・西洋史学の三つの分野に分けられるのが、普通である。このうち国史学は、日本文学の研究が国文学とよばれているのと同様に、自国の歴史を対象とする意味の名称であるが
君が代(国史大辞典)
日本の国歌に準ずるものとされてきた歌。歌詞は「きみがよは ちよにやちよに さざれいしの いわおとなりて こけのむすまで」。歌は『古今和歌集』の読み人知らずの古歌に始まり、『和漢朗詠集』にとられ、その後筑紫流箏曲や隆達の小唄、琵琶歌「蓬莱山」、浄瑠璃、常磐津
関ヶ原古戦場跡(日本歴史地名大系)
慶長五年(一六〇〇)九月一五日に行われた徳川家康の率いる東軍と石田三成の率いる西軍との合戦場跡。決戦は東西約四キロ、南北約二キロ、標高一三〇メートルの関ヶ原台地で展開され、この戦いに勝利したことで家康は事実上天下の支配者となり、慶長八年の征夷大将軍補任によって名目上からも全国統一の権威をもった
科学(日本大百科全書(ニッポニカ))
近代科学の誕生 古代・中世の自然学から脱皮して近代科学が形成されていく歴史を考えるとき、その端緒として位置づけられているのが、1543年、コペルニクスが地動説(太陽中心説)を世に問うた『天球の回転について』であろう。後にカントが“コペルニクス的転回”という表現を用いて評価したように
東京オリンピック(日本大百科全書(ニッポニカ))
第18回オリンピック競技大会。1964年(昭和39)10月10日開会式、同24日閉会式の15日間にわたって行われた。政府は10月10日の開会式を記念して国民の祝日、体育の日を定めた。なお、体育の日は1998年(平成10)「国民の祝日に関する法律」の改正により
OPEC(改訂新版・世界大百科事典)
Organization of Petroleum Exporting Countriesの略称。石油輸出国機構と訳される。1960年9月,イラン,イラク,サウジアラビア,クウェート,ベネズエラの5ヵ国が,イラクのバグダードで開催した会議で結成された。その後カタル(1961),インドネシア,リビア(1962),アブ・ダビー(1967。74年にアラブ首長国連邦(UAE)に
黄砂(日本大百科全書(ニッポニカ))
中国大陸奥地のオルドス、ゴビなどの砂漠の砂が強風に舞い上げられ、上空の偏西風に流されて海を渡り、日本にまで飛んでくる現象。沖縄では赤霧という。黄砂は西日本ほど多い。そして同じ九州でも、長崎県五島地方は年間平均10日間は黄砂をみるが、九州東岸では2日間である。
人工多能性幹細胞(iPS細胞)(日本大百科全書(ニッポニカ))
人体のどの組織にもなる能力をもった万能細胞の一種。略称iPS細胞。誘導多能性幹細胞ともいう。2007年(平成19)11月、京都大学再生医科学研究所の山中伸弥(しんや)(1962― )のチームが、人の皮膚や関節内の細胞に複数の遺伝子を組み込んだiPS細胞を作製することに成功したと国際誌『セル』Cellに発表し、世界的な話題になった。
大暑(日本国語大辞典)
(1)はげしい夏の暑さ。夏のきびしい暑さ。酷暑。極暑。烈暑。(2)二十四節気の一つ。太陽の黄経が一二〇度のときをいう。陰暦では六月中旬、新暦では七月二三、四日頃で、気候的にも梅雨明け後の、もっとも暑気のはげしい頃にあたる。《季・夏》
立夏(改訂新版・世界大百科事典)
二十四節気の一つで暦法上では4月節といい,七十二候では〈蛙始めて鳴く〉候に当たる。現在では太陽が視黄経45°にあるときと定義されていて5月5~6日ころになるが,旧暦の日付では3月15日~4月15日の間のどこかになる。その時代には4月を孟夏といい4~6月を夏としていたが
土用(日本大百科全書・世界大百科事典)
暦の雑節の一つ。中国では、1年春・夏・秋・冬の四季に、木・火・土・金・水の五行をあてようとしたが、四季に五つを割り当てるのはむりである。そこで春・夏・秋・冬の四季に木・火・金・水をあて、各季の終わり18日余に土気をあてた。これを土用といい、土曜用事を略したものである。
エルニーニョ(日本大百科全書(ニッポニカ))
南アメリカのペルー、エクアドル沖で数年に一度、熱帯系の温暖水が突入する海洋の現象。この海域は南大洋(南極海)から北上する寒流のペルー海流(フンボルト海流)が流れており、また岸近くの冷たい湧昇(ゆうしょう)流もあって水温は低い。
大坂城跡(日本歴史地名大系)
日本歴史地名大系/平凡社/[現]東区大阪城。東区の北東の一角にある城跡で、本丸と二ノ丸のほぼ全域七三万平方メートルが国の特別史跡。城跡にもと玉造定番屋敷・同与力同心屋敷の一部を加えた約一〇三万平方メートルが大阪城公園となっている。
リオ・デ・ジャネイロ(リオ)(改訂新版・世界大百科事典)
ブラジル南東部のリオ・デ・ジャネイロ州の州都で,大西洋に臨むブラジル第2の都市。単に〈リオ〉と呼ばれることも多い。1763年から1960年まで首都の地位にあった。人口614万(2005)。年平均気温22~24℃(最高36.7℃,最低14.9℃)。年間降水量1500~2500mm。平均湿度77%。
徳川秀忠(国史大辞典)
江戸幕府第二代将軍。一六〇五―二三在職。法号台徳院殿。徳川家康の三男。母は家康の側室西郷氏於愛の方(宝台院)。天正七年(一五七九)四月七日遠江浜松城に生まれた。童名長松君、のちに竹千代と改めた。長兄信康が自害、次兄秀康が羽柴(豊臣)秀吉の養子になったため
細川ガラシャ(国史大辞典)
安土桃山時代の代表的なキリシタン女性。細川忠興夫人。永禄六年(一五六三)明智光秀の次女として生まれる。本名玉子、ガラシャGraciaは霊名。諡は秀林院。天正六年(一五七八)織田信長の媒酌により細川藤孝の息忠興と結婚し、細川氏の居城山城勝竜寺城(京都府長岡京市)に輿入れ
オリンピック(日本大百科全書・世界大百科事典)
近代スポーツは19世紀のなかばごろからイギリスで組織され、施設に力を入れたアメリカの選手育成で発展普及してきたが、この各種類のスポーツを総合的に大成させたのがオリンピックであり、古代ギリシアに起源を有するスポーツの祭典を現代に復活させたものである
真田十勇士(日本架空伝承人名事典・日本大百科全書・世界大百科事典)
安土桃山時代の武将真田幸村につかえて、武勇をあらわしたという一〇人の勇士の総称。猿飛佐助、霧隠才蔵、三好清海入道、三好伊三いさ入道、穴山小介、海野うんの六郎、筧かけい十蔵、根津甚八、望月六郎、由利鎌之助の一〇人だが、三好清海入道と伊三入道は兄弟とされている
猿飛佐助(新版 日本架空伝承人名事典)
甲賀流忍術の名人とされる伝説上の人物。玉田玉秀斎による創作講談『忍術名人猿飛佐助』の主人公であるが、一九一一年に刊行された「立川文庫」により大衆のあいだに定着した。戸沢白雲斎に忍術をならい、真田幸村につかえ、いわゆる真田十勇士の一人として活躍するが
福島正則(国史大辞典)
安土桃山・江戸時代前期の武将。安芸国広島藩主。尾張の住人福島市兵衛正信の長男。母は豊臣秀吉の伯母木下氏と伝えられている。永禄四年(一五六一)尾張海東郡二寺邑(愛知県海部郡美和町)に生まれる。幼時より秀吉に仕え、市松と称した。はじめ知行二百石を領し、天正六年(一五七八)
酒井忠次(国史大辞典)
戦国・安土桃山時代の武将。大永七年(一五二七)三河国に生まれる。小平次・小五郎と称す。左衛門尉酒井家の系譜では、忠次は第二代とされており、徳川宗家との姻戚関係に加えて、譜代大名の中では最古参の譜代の一人であった。忠次の妻は碓井姫といい
石川数正(国史大辞典)
安土桃山時代の大名。与七郎、伯耆守、出雲守、のちに康正、吉輝。箇三寺と号す。右近大夫康正の子。天文十八年(一五四九)松平元康(家康)が岡崎から駿府へ人質として送られたとき随行。桶狭間の戦を経て永禄四年(一五六一)二月石ヶ瀬合戦で先懸けとなる。この戦いの直後から
吉野太夫(国史大辞典)
江戸時代初期の京都の代表的な遊女。文化九年(一八一二)の序文のある『吉野伝』には、天正から寛文・延宝ごろまでに、吉野を名乗った遊女が十人あったと記している。しかし二代目以外はほとんどその実体がよくわからない。二代目の吉野太夫は、『色道大鏡』の
豊臣秀長(改訂新版・世界大百科事典)
安土桃山時代の武将。豊臣秀吉の異父弟。筑阿弥の子。小一郎,のち美濃守。初め長秀,1585年(天正13)ころより秀長に改めた。1577年以降秀吉の中国征伐に従って頭角をあらわし,但馬竹田・出石城主などとして但馬・播磨経略に努めた。本能寺の変後も秀吉の片腕として山崎の戦
豊臣秀次(国史大辞典)
安土桃山時代の武将。孫七郎。中納言、内大臣、関白、左大臣。号高厳寺(瑞泉院・善正寺)。永禄十一年(一五六八)生まれる。父は豊臣秀吉の近臣三好吉房、母は秀吉の実姉日秀で秀吉の甥にあたる。天正十二年(一五八四)の小牧・長久手の戦には八千人を率いて出陣したが、有力家臣を失い
直江兼続(国史大辞典)
安土桃山・江戸時代前期の大名上杉家の宰相。永禄三年(一五六〇)越後国魚沼郡上田荘坂戸城で生まれる。樋口総右衛門の嫡男。幼名与六、元服して兼続、のち重光と改む。上杉景勝の近習となり、天正九年(一五八一)与板城主直江家を嗣ぎ、山城守を称し、戦国大名上杉氏の家宰の地位にあって
豊臣秀吉(日本大百科全書・国史大辞典・改訂新版 世界大百科事典)
安土桃山時代の武将。小者から身をおこし、織田信長の後を継いで天下を統一し、近世封建社会の基礎を確立した。尾張中村(名古屋市中村区)の百姓弥右衛門の子。母は尾張御器所村(名古屋市昭和区)の生まれで、名はなか(後の大政所)。秀吉の生年については2説あり
千利休(国史大辞典・日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
室町時代末期・安土桃山時代に出た茶の湯の大成者。抛筌斎利休宗易居士。堺の納屋衆の一人千与兵衛の子として大永二年(一五二二)に生まれ与四郎と称し、天文四年(一五三五)十四歳の時にはすでに千家の当主となっていた。彼は当時堺の町衆の間に流行していた茶の湯に興味を抱き
大坂の陣(国史大辞典・世界大百科事典・日本国語大辞典)
関ヶ原の戦の戦勝により、政治の主導権を獲得し、かつ戦勝者として大名の支配を可能にした徳川氏にとっては、中央政権を樹立し、その支配権を正当化し確立することが今後の課題となった。そのため戦後一門・譜代大名の創出とその要衝配置、ならびに豊臣秀吉恩顧の大名をはじめとする外様大名
本多忠勝(国史大辞典)
戦国時代から江戸時代前期にかけて徳川家康に仕えた武将。江戸時代前期の有力譜代大名。幼名は鍋之助。通称平八郎。中務大輔。天文十七年(一五四八)三河国に生まれる。父は岡崎城主松平広忠の家臣本多平八郎忠高、母は植村新六郎氏義の娘。父忠高が天文十八年安城の城攻めで討死したため
阿茶局(日本大百科全書(ニッポニカ))
徳川家康の側室。名は須和。甲斐武田氏の臣、飯田直政の娘。駿河今川氏の臣、神尾忠重と結婚したが、1577年(天正5)、一子を抱えて寡婦となる。2年後、家康に仕え、阿茶局と称した。しばしば戦場にも従い、1584年の小牧長久手の戦いの際には戦場で流産した。才知に優れ
淀殿(淀・茶々)(国史大辞典・改訂新版 世界大百科事典)
豊臣秀吉の側室、秀頼の母。父は近江浅井郡小谷城主浅井長政。母は織田信長の妹お市の方。長女として小谷城で生まれた。幼名はお茶々。正確な生年月日は不明であるが、『翁草』によって生年を永禄十年(一五六七)とする説がある。天正元年(一五七三)信長に包囲された小谷城から母に伴われて
高台院(北政所・寧々)(国史大辞典)
豊臣秀吉の夫人。北政所といわれた。天文十八年(一五四九)生まれる。尾張の杉原助左衛門定利の次女で、幼名はねね(禰々)。のち一時吉子と称したこともあるが、『(備中足守)木下家譜』その他の文書には寧子とある。叔母の嫁ぎ先である尾張津島の浅野又右衛門尉長勝に養われ
大谷吉継(国史大辞典)
安土桃山時代の武将。永禄二年(一五五九)に生まれる。父は豊後の国主大友宗麟の家臣大谷盛治であるといわれている。はじめ紀之介と称し、のち吉継と改めた。豊臣秀吉に近侍して信任を受け、天正十三年(一五八五)七月、従五位下刑部少輔に叙任された。賤ヶ岳の戦に軍功をあらわし
本多正信(国史大辞典)
戦国時代から江戸時代前期にかけて徳川家康に仕えた吏僚的武将。その側近にあり謀臣として著名。通称は弥八郎。諱ははじめ正保、正行。佐渡守。天文七年(一五三八)三河国に生まれる。父は本多弥八郎俊正。母は不詳であるが松平清康の侍女だったという。徳川家康に仕え
石田三成(国史大辞典・日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
安土桃山時代の武将。幼名は佐吉、はじめ三也と名乗る。永禄三年(一五六〇)近江国坂田郡石田村(滋賀県長浜市石田町)に生まれる。父は隠岐守正継。長浜城主であった羽柴秀吉にその俊敏さを認められ、年少のころから近侍として仕えた。秀吉の中国征伐・山崎の戦にも従い
加藤清正(日本大百科全書(ニッポニカ))
安土桃山時代の武将。秀吉「子飼い」の肥後熊本の大名。尾張国愛智郡中村(名古屋市)の生まれ。幼名夜叉丸、元服後は虎之助清正と改名。幼少時より豊臣秀吉に仕える。1580年(天正8)播磨国神東郡(兵庫県神崎郡)120石を給せられ、翌年の鳥取城攻め
真田信之(真田信幸)(国史大辞典)
安土桃山時代から江戸時代前期にかけての武将。初代松代藩主。幼名は源三郎。はじめ信幸、のち信之と改めた。号は一当斎。真田安房守昌幸の嫡男として永禄九年(一五六六)生まれた。母は菊亭(今出川)晴季の娘。幸村の兄。昌幸が徳川家康に属したため
真田昌幸(国史大辞典)
安土桃山時代の武将。初代上田城主。幼名源五郎、通称喜兵衛。安房守。真田弾正幸隆の第三子として天文十六年(一五四七)信濃国に生まれる。信之・幸村の父。武田信玄・勝頼父子に仕えて足軽大将を勤め、甲斐の名族武藤家をついだが、兄信綱・昌輝が天正三年(一五七五)に
診療報酬(日本大百科全書(ニッポニカ))
診療所や病院または薬局が行った医療サービスに対する報酬。公的医療保険のもとでは、病院、診療所、薬局などの保険医療機関が保険診療(診療、検査、投薬など)を行った場合に、その対価として保険者から医療機関に支払われる法定の報酬をいう。この診療報酬は一般に
ニウエ(日本大百科全書(ニッポニカ))
ニュージーランドの北東2400キロメートル、トンガの東480キロメートル、サモアの南東560キロメートルにあるポリネシアの単島国家。グリニジ時より11時間遅い。国土面積260平方キロメートル、ほぼ楕円形の島の周回道路は67キロメートルで、隆起サンゴ礁島としては世界でもっとも大きな島の一つに数えられる
暮しの手帖(改訂新版・世界大百科事典)
花森安治(1911-78)が設立した衣裳研究所,のち暮しの手帖社から刊行されている隔月刊の婦人家庭雑誌。1948年9月《美しい暮しの手帖》という誌名で創刊。54年3月から《暮しの手帖》と改称されたが,〈暮しの変革を理念よりも日常生活の実践を通して〉行おうとする編集方針は当初より一貫している
茶臼山(日本歴史地名大系)
[現]天王寺区茶臼山町 四天王寺南西、天王寺公園のなかにある比高約八メートルほどの小丘。茶磨山(摂陽群談)・茶磑山(摂津名所図会大成)とも書く。東面して三段築成された前方後円墳とみられ、西側から南側にかけてめぐる河底かわぞこ池は周濠の遺構と推定されている。全長約二〇〇メートルで
上杉景勝(国史大辞典・日本大百科全書・世界大百科事典)
一五五五 - 一六二三 安土桃山・江戸時代前期の大名。越後春日山城・会津若松城主、出羽国米沢藩主。幼名を卯松、喜平次と称し、はじめ顕景と名乗った。弘治元年(一五五五)十一月二十七日に生まれる。父は越後国魚沼郡上田荘坂戸(新潟県南魚沼郡六日町)
代理出産(日本大百科全書(ニッポニカ))
生まれた子を引き取り、自分の子として育てる目的で、第三者の女性に妊娠し出産してもらう行為。そうした慣行はさまざまな社会で古くからあるが、現在は、体外受精などの生殖技術を介して行うものに限っていうのが普通である。代理母、代理懐胎ともいう
ネコ(猫)(日本大百科全書(ニッポニカ))
広義には哺乳綱食肉目ネコ科に属する動物の総称で、狭義には家畜化されたイエネコFelis atusをさす。普通、欧米では前者の、日本では後者の意味で用いられることが多い。ネコ科の動物は肉食性で、食肉目のなかで、獲物をとらえるのにもっとも高度に特殊化している
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