俳人目安帖

俳人・中村裕氏による連載エッセイ。毎回、著名な俳人がその作品中で多用した単語、特に好んだ言葉や場面などを取り上げ、俳句の鑑賞を通じて作者の心中や性向を探ります。

背負われ木歩富田木歩(とみたもっぽ)

富田木歩は明治30年、本所向島小梅町で細々と鰻かばやき屋をいとなむ貧しい家に生まれる。2歳の時の病気が原因で、足が萎え、生涯、完全な歩行困難の身となる。小学校には1日も通うことができず、いろはがるたや軍人めんこで文字を知り、ルビ付きの少年雑誌で漢字を覚え、17歳ころから句作を始める。原石鼎(せきてい)臼田亜浪(うすだあろう)に師事し、18歳で「ホトトギス」に初入選。20歳そこそこで俳壇の石川啄木にも擬される生活派の作家と評されるようになる。しかし彼は生涯にわたって、次々に不幸に見舞われつづけ、最後は関東大震災の猛火にのみ込まれ、27年の生涯を終える。したがって彼の俳句は、その不幸な生涯を色濃く反映した「境涯俳句」と呼ばれることが多いのだが、そんな簡単なことでいいのだろうか。

  • 背負はれて名月拝す垣の外
  • 五月雨や鶏の影ある土間の隅
  • 夜寒さや吹けば居すくむ油虫
  • 我が肩に蜘蛛の糸張る秋の暮
  • 大雪や手毬の音の軒つづき
  • 秋の夜や人形泣かす一つ宛
  • 鰻ともならである身や五月雨
  • 己が影を踏みもどる児よ夕蜻蛉
  • 夢に見れば死もなつかしや冬木風
  • 夕焼けて雲くづれゆく茂かな
  • 秋風の背戸からからと昼餉かな
  • 街折れて闇にきらめく神輿かな
  • 遠火事に物売通る静かかな

境涯俳句というのは、その俳句作品に、その作家の生涯が投影されている度合いが、より強い俳句といった意味だが、その作品に作家の人生が、本人が意識しようとしまいと、なんらかの意味で反映されていないはずはないので、こういっただけでは、俳句の定義としては、いまひとつ弱い。一般に流布しているこの語の意味は、貧困や病気による苦しみや悲しみを背景とした俳句をさす場合が多い。つまり「逆境俳句」である。逆境にある弱者にしか見えてこない世界というものが、確かにあるわけだから、これはこれで、ひとつの傾向の俳句をさす言葉としては有効である。

ここにある木歩の作品を、彼の生涯を知らずに読んでも、これらが生まれた背景に思いを致すことは、それほど難しいことではない。「背負はれて」「我が肩に」「鰻とも」(木歩が歩けないだけでなく、弟は聾唖者で、この家は長年、商ってきた鰻のたたりを受けているのだという陰口が耳に入ったのだろう)などからは、直接、彼の境涯を読み取ることができるし、「五月雨や」「夜寒さや」には身体不自由者ゆえの小動物への慈しみの思いが伝わってくるし、「大雪や」「己が影を」「秋風の」などからは、身体が不自由ゆえの狭い世界にしっかり耳目をそばだてている彼の息遣いが聞こえてくるようだ。

しかし全体をみれば、やはり行動の不自由さからくる題材の狭さは否めない。見えたものの範囲でしか俳句をつくっていない貧弱さを感じざるを得ないのである。

ところが僕が瞠目したのは「街折れて」の一句である。この句を知ってから、それまで知っていた木歩の句も、俄然にわかに輝き出した。この句を木歩の代表句に挙げる人はほとんどいないが、結局、この句に導かれるように、それ以前の作品がつくられたのではないだろうか、とさえ思う。

街中を練っていた祭神輿が、少し細い道か路地に入っていったのだろう。当時のことだから、街灯は少ない。少ない光をきらきら反射する神輿だけが、この世のものではないかのように闇に浮き上がって見えているのである。そこからは生きること自体に、人一倍の苦労を強いられた人の、ある種の諦観、安堵感といったものが伝わってくる。そして、そのような境地に誰でもが到達できるわけでもないのである。

境涯俳句と一緒くたにいってみたところで、結局、一人一人の境涯はみな違うわけで、その境涯を突き抜けて、どれだけの境地に達したかを見ないかぎり、一人の俳人と向き合ったことにはならないと思う。

2005-07-11 公開