俳人目安帖
俳人・中村裕氏による連載エッセイ。毎回、著名な俳人がその作品中で多用した単語、特に好んだ言葉や場面などを取り上げ、俳句の鑑賞を通じて作者の心中や性向を探ります。
茅舎散華~川端茅舎~
療養俳句というジャンルがあるくらいで、俳句と病気は因縁浅からぬものがある。病床にくぎ付けで行動の自由を奪われ、生死に思い致すことの多い日々は、自ずから、より純粋に俳句に向き合う意識を育てるだろうことは推察できる。だからといって、病気になれば誰だっていい俳句ができるなんてことは、もちろんあり得ない。
しかし、川端茅舎の場合は、その作品に見てとれる自然凝視の眼力の強さ、自然随順の宗教的性格からみて、明らかに病気がちだった生涯が、その作品世界に大きく影を落としていたことは疑えない。名高い露を詠った一連の作品がその最もよい例になるだろう。
一茶が子供を亡くした時につくった「露の世はつゆの世ながらさりながら」というよく知られた句がある。結んでもたちまち消えてしまうはかない露の命の短さを、人生の無常の象徴とみた仏教的通俗性をたっぷりたたえた作品だが、茅舎の露の句はそのような既成の通念をはるか越えたところにある。
茅舎は高浜虚子に師事する。したがって、花鳥諷詠、有季定型の徒であった。しかし茅舎俳句における季語の用い方、さらに一句中におけるその質的あり方は、凡百の有季定型俳人のものとは一線を画すように思われる。そのことをもって虚子に茅舎を評して「花鳥諷詠真骨頂漢」と言わしめたのかもしれない。
季語の歴史的発生を簡単に整理することは容易ではないが、少なくとも俳諧(連句)における発句(これが分離独立して『俳句』が成立する)では、「挨拶」としての機能を強く担っていたことは間違いない。つまり時候の挨拶としての機能である。この流れが現代の俳句における「取合せ」的に季語が用いられる背景に受け継がれているように思う。あるいは季語に心情や感慨を託すといったつくり方である。
茅舎俳句における季語は、このような取合せ的季語はきわめて少ない。もう少し彼の作品をみてみよう。
それぞれの句の中で季語は、その作品の向かう方向と同じ方を向いて、言葉としてはたらいているとでも言おうか。ほとんどその句と一体化してしまっている。まるでそれは自らの生命を俳句と一体化してしまっている茅舎を見るようでもある。そこからはある種の天衣無縫さやユーモアも生じてくる。しかし悪くすれば、自己陶酔的ナルシズム、嫌味な媚態、過度な感傷(たとえば「草餅のやわらかしとて涙ぐみ」)といったものに転じる場合もないこともない。いずれにしても、良いも悪いもそれらの特徴は、茅舎が自らの命を俳句と一体化させるという不断の努力の結果ではなかったろうか。
2005-10-11 公開