歌舞伎は三百数十年に及ぶ長い歴史を持つこと、江戸と上方との文化の質的な相違なども関係して、内に数多くの様式を持っている。その点で、かつて坪内逍遙がギリシア神話のカイミーラ(キマイラ)にたとえたのは巧みな比喩であった。武智鉄二は次の十二の様式に分類した。すなわち、(1)坂田藤十郎を頂点とする元禄歌舞伎、(2)市川団十郎を中心とした荒事、(3)義太夫節と操り芝居とから派生した歌舞伎、(4)義太夫狂言(丸本物)の影響から直接に生まれた歌舞伎、(5)豊後節系統の演劇、(6)義太夫狂言を写実化したもの、(7)南北を頂点とする市井写実劇、(8)能の様式を模倣した作品、(9)黙阿弥の新音楽劇、(10)団十郎の活歴、(11)狂言の影響を受けた舞踊劇、(12)二世左団次による外国演劇の影響を受けた新歌舞伎の十二種である。厳密に言えば、演技・演出はそれぞれの様式によって異なっているわけで、非常に多様である。しかし、ごく基本的な部分ではそれらの全般にわたってほぼ共通する。
歌舞伎は基本的な構造としては、俳優の演技、すなわち〈芸〉を中心にして展開するものである。その〈芸〉は、舞踊的要素を基底に持って様式化された演技である。これは、歌舞伎踊から出発したこの芸能が歴史的に担った性格であるとともに、能・狂言や人形浄瑠璃の影響を受けた結果である。江戸末期の〈生世話〉も徹底した写実主義の演劇になったわけではなかった。たとえば、正面を向いてする演技、見得、立廻り、だんまりといった様式、大道具、小道具、化粧、扮装などは、いずれも絵画的もしくは彫刻的な景容の美しさを目標とし、下座の音楽や効果、ツケの類は写実性をめざすものではなく、情緒的な音楽性をねらい、あるいは擬音を様式化して誇張したものである。どんな場面の、どんな演技・演出も、舞台に花があり、絵のように美しい形に構成されていなければならない。
歌舞伎の演技は、近代劇のそれのように戯曲によって強く制約されるものではない。逆に、演技術そのものに多数のパターンがあり、それをストーリーの中に組み合わせ展開させるという方法によって劇が仕組まれていくのである。〈傾城事〉〈怨霊事〉〈物語〉〈身替り〉〈やつし〉〈濡れ場〉(→濡れ事)〈責め場〉〈縁切り場〉〈殺し場〉〈
歌舞伎における音楽の重要性は、前記のごとくせりふもその意図のために用いる例があるが、楽器や道具を使って奏する伴奏・効果の音楽・鳴物は大別して三種類になる。第一は、舞台下手(古くは上手)の〈
第二は観客から見える場所で演奏する音楽で、これは下座音楽のように劇の進行を助けるための伴奏ないし効果の域に止まらず、俳優の芸と対等のものとして、演奏者個人の〈芸〉を聴かせる性格が強い。〈竹本(チョボ)〉と呼ばれる義太夫節の場合は、本来は
第三は〈拍子木(柝)〉と〈ツケ〉である。〈拍子木(柝)〉は、幕明、幕切、道具替りのきっかけなどを知らせる合図である。同時に、俳優の楽屋入りを告げる〈
化粧・衣裳・鬘は、様式と人物の役柄とによって、それぞれ定式になっている独自のものを用いる。荒事の〈隈くま〉(→隈取)はそれを取る役の性格によって、色と形の基本に違いがある。正義と勇気を表すのが〈紅隈〉と呼ぶ赤い隈、超人的な悪を表現するのが〈藍隈〉である。また、二枚目の〈白塗り〉、敵役の〈赤っ面〉などのように、顔の化粧の色によって、ただちに役の類型がわかるものが多い。歌舞伎の化粧の特徴は、全体をむらなく塗ることで、陰影をつけるなどリアルな表現をねらわない点である。〈顔をこしらえる〉と呼ぶこの独特な化粧法は、かつて共同体の祭に際して村人が神に変身を果たした古い芸能伝承を、無意識のうちに受け継いだものではなかったかと想像される。
鬘にも役柄によって定められた類型がある。実事の役に使う〈
大道具や小道具も、特殊な例外を除いては、写実を避け、様式性を重んじて製作される。
幕の用法にも見るべき点がある。〈黒幕〉は、背後にこれがかけられていれば夜の情景であることを示す。抽象的で自由な空間を示す〈浅葱幕〉のほか、〈網代幕〉〈浪幕〉〈山幕〉〈霞幕〉〈雲幕〉などのいわゆる道具幕、〈野遠見〉を描いた幕もある。これらの幕を、それぞれの用途によって使い分け、素朴で味わいの深い効果をあげる。舞台の死骸を片づける時、前面を隠すための幕を〈消し幕〉という。様式性の濃い時代物狂言の場合は緋の幕、やや写実味のある狂言の場合は黒の幕を用いる。とくに古風な演出をねらった狂言で、舞台上で化粧をし直して変身の様子を見せる必要がある時、緋の幕で俳優を隠しておくことがある。《鳴神》がこれである。その幕を〈化粧幕〉と呼ぶが、これなどは思い切って素朴なスタイルでありながら、かえって人の意想外に出る洗練された演出になり得ている。
古典的な歌舞伎の演出には、特定の作品ごとに固定した〈型〉と呼ぶものがある。とくに丸本歌舞伎系の時代物では、〈型〉の固定が著しく、〈型物〉と呼ばれる作品群もある。〈型〉は、歌舞伎が長い期間にわたり幾多の俳優たちによって繰り返し上演された結果、くふうにくふうが重ねられ、洗練に洗練が加えられ、さらに厳しい取捨選択が行われて現代に伝承した、いわば決定版的な性格を持つ〈演出〉のことである。ただし、現代に伝わっている〈型〉は一種類だけとは限らない。ごく普通に行われているのは近代以後一種に定まってしまっているものでも、時には変化をつけるために別の〈型〉を採用することもある。〈型〉には、〈市川家の型〉〈音羽屋型〉〈成駒屋型〉などというように、俳優の家系によって伝承されている〈型〉、〈仲蔵の型〉〈五代目幸四郎の型〉〈九代目団十郎の型〉〈芝翫型〉などというように特定の名優が創出し完成させた〈型〉、〈江戸の型〉〈上方の型〉のように地域に伝承し、その地方的特徴をよく体現している〈型〉などがある。また、一狂言全体の演出のすべてが〈型〉となっている例と、ある場面の演技の形や手順や心得だけが〈だれそれの型〉と称して伝承されている例の別がある。
〈型〉は、その狂言の主役となる俳優の演技を中心にして定まっている。そして、役に即して言えば、鬘・化粧・衣裳の色や模様、演技の形や手順、小道具の扱い方など、全体の演出の面では大道具・鳴物に至るまで、細かく定まっている。〈型〉の存在は、古典演劇としての歌舞伎を将来にわたって規範を崩さずに守っていくために、きわめて重要な意味を持っているが、それらの中には偶然の機会から解釈を誤った演出や、中心となる俳優の仕勝手から生まれた悪い演出が、検討されることなく、盲目的に伝承されている例もないとはいえない。〈型〉はつねに問い返されることによって新しく生きる。それが〈型〉に入って〈型〉を出るということである。〈型〉が歌舞伎の演技・演出の根幹となっている以上、今後の創造の中で十分検討が加えられる必要もあるだろう。