昭和47年から51年の間に全20巻が刊行された『日本国語大辞典』初版は、45万項目、75万用例を収めた、日本で初の本格的歴史主義による国語辞典です。その編集過程を詳細に記録した「初版」の編集後記を全文掲載します。
「日本国語大辞典」は、編集顧問、編集委員を中心にして大勢の協力者の参画を得、その叡知と熱意とによって完成された。
編集顧問の助言を仰ぎつつ、編集委員会で企画が練られ、必要な部会を設け、それぞれの分野の専門家の参加を得て、具体的な作業が進められた。
事業が進むにつれて、協力者の数は日を追って増していったが、その間、三名の顧問を失ったことは、大きな悲しみであった。 昭和四十二年八月十七日に新村出先生が、同年十月二十七日に時枝誠記先生が、そして、四十六年十一月十四日に金田一京助先生が、それぞれ世を去られた。 今日、完成の喜びを共にしていただけないのは誠に残念である。 ここに謹しんで三先生の御霊に完結の報告をいたし、改めてご冥福をお祈り申し上げる次第である。
編集委員会は、三十九年から四十三年にかけて特に精力的に開かれ、内容や作業の方針について検討が加えられた。 問題によっては、専門の小委員会を作り、また、必要な部会、分科会が相次いで設けられ、会合の数が月に十回を越えることもあった。 それらの会合に参加してくださった方々は二百名に及ぶが、いくつかの分野を分担、主宰していただいた編集委員諸氏におかけした負担は非常に大きかった。 ほとんどの会合は夜行なわれ、議論が白熱して深夜に及ぶこともしばしばであった。
一方では、資料の収集が進み、それを配列整理するなどの作業が続けられたが、これに協力された方は、延べ千名にのぼろう。 カードに写す、カードに貼る、それを配列する、そして、さらに大きな台紙に貼るなどの作業は、実に地味な根気のいる仕事であった。 しかも、その段階では、自分の進めている作業が、のちにどのように役立ち、どのような形になっていくものであるかを想像することが困難であったら、なおさら苦しかったわけである。
執筆は、十年間にわたり四百名近い方々と編集者が協力して作業が積み重ねられた。 用意された資料が多いために書きやすいという反面、それ故に調査しなければならないことも多く、全資料をじゅうぶん消化することが困難で、かなりめんどうな仕事であったと思う。 用例だけについていっても、資料の中から、その三分の一、四分の一、時には何十分の一かのものを選び抜くわけであるから、ともかく時間のかかる執筆であった。
そして、原稿推敲の段階では、広範な分野の専門家が、この企てのために、積極的に参画された。 ともすれば国語国文の世界に閉ざされがちな国語辞典の編纂が、今日いうところの学際的な側面を持ちえたのは、これら専門家の方々のご好意と献身によるものであった。 こうして経過を振り返っていると、特にお名前をあげて謝意を表したいと考える方々が次々に思い浮かぶのである。
編纂業務を実務的に推進したのは、大勢の編集者であった。 資料の整理に始まり、原稿の執筆、推敲、校正すべてにわたって、それら協力者と一体になって推進した。 一般にいう編集と趣を異にする点は、最後の校了に至るまで、校正作業を含めてあらゆる過程がすべて推敲の作業であったことであろう。 未熟さのための勇み足も多かったと思うが、ほとんど毎日、夜の九時十時まで頑張った者もあり、この熱意が予定通りの刊行に与って力あったと考える。
予定通りということでは、協力を惜しまれなかった図書印刷株式会社の方々に心から感謝したい。 入稿はともすれば遅れがちであったし、回校も、どうしても編集側が遅れがちであった。 編集者の手離れの悪さとでもいう面をじっと待って、その遅れを活字の拾いや植字の過程で埋めてくださった場面がしばしばであった。 その裏には、図書印刷の幹部の方々をはじめ、この企画に参与された方々の並々ならぬご理解とご好意があった。 約八千万本の活字が生み出す企画は、恐らくこの辞書が最後ではなかろうか、そんな思いがお互いの胸にあったのだった。
大勢の方々の参与のされ方はさまざまで、全巻にわたって渾然と残された業績を個個に取りあげて網羅することは至難であるが、ここに編集作業の概略を記録しつつ、主な方々のお名前を掲げさせていただきたいと思う。 手元の記録の落ちから、お名前を逸することもあるのではないかと危惧するものであるが、あらかじめ大方のご寛容をお願いしておく次第である。 なお、各項にまとめてあげるお名前は五十音順とし、敬称は略させていただくことにする。
まず、松井簡治・松井驥・松井栄一氏と三代にわたる辞書編纂に対する情熱が、この辞典を大きく支えたことを記したい。
上田万年・松井簡治共著「大日本国語辞典」は、何かにつけて編集作業の拠り所となった。 両先生のご遺族の賛同を得て、この栄光ある国語辞典を支えとすることができたことは幸いであった。 そして、顧問・委員をはじめ多くの方々が、この遺産を発展させるべく結集された。 故松井驥氏が守り培ってこられた、その増補カードは、この企画を動機づけるものとなった。 それは、結果的には、資料全体の中のわずかな部分に過ぎないが、考えれば、小学館の相賀徹夫社長をはじめとする関係者の夢をふくらますもといとなったものといえよう。 そして、松井栄一氏は、企画当初から終始一貫して作業の中心にあった。 しかも、氏は、昭和四十二年、教職を辞して、この編集業務に専念されたのであった。 この熱意が同志を呼び、近藤豊勝、前沢豊子の両氏が相前後して、同様に教職をなげうって参加されることになったことも付記しておきたい。
なお、松井家三代にわたる因縁を述べるとき忘れられない人は、芳賀矢一氏の令息芳賀定氏である。 氏は、「大日本国語辞典」の縮冊版を手がけられて以来、その増訂に心を砕かれたが、結局、この「日本国語大辞典」のために、その半生を棒げてこられたのである。
企画着手を決断するまでに、小学館内部において、さまざまな調査、研究がなされたことはもちろんであるが、ある程度具体的な作業についての試行錯誤ともいうべき実験が行なわれた。 その幾つかは当然継承され、貴重な基礎となっていったが、昭和三十六年以来それらの相談にあたり、指導されたのは、中村通夫・林大・松井栄一・三谷栄一・山田巖の各氏であった。
小学館においてなされた用例収集等の基礎作業の成果を継承して、日本大辞典刊行会が編集の任に当たって今日の成果を見るまでの事柄を述べるに当たり、便宜、次の項目に分けて記述することにしたい。
執筆に先立って行なわれた基礎資料を収集、整理する作業、および原稿推敲の前段階に行なわれた作業は、次のようなものがあった。
(1)文献を読んで、語彙・用例を収集することさまざまな分野の文献から語彙・用例を収集するために、上代・中古・中世・近世・現代の時代別部会と、記録・仏教・訓点語・外来語・漢籍・法律の専門部会が設けられた。
各部会では、語、用例を採録すべき作品・資料の選定を行ない、それぞれの資料を部会のメンバーが分担した。 そして、定期的に部会を開き、採録の方法や経過を検討し、適宜、対象とする作品・資料の増補を行ない、着々用例カードを増していった。 この作業の大方のものは、総索引のように全部の語を網羅するわけにはいかないため、ある程度、一例一例の成果を予想しての作業であった。 その際、目安として「大日本国語辞典」と照合することによって、効率を上げることができた。
〈上代・中古部会〉
まとめ役には、三谷栄一氏が当たられた。
内尾久美・岡崎正継・岡村和江・賀古明・神岡静子・小杉商一・小松登美・斎藤義光・島田良二・杉崎一雄・高橋正治・田口庸一・中村啓信・森昇一・両角倉一
〈中世部会〉
まとめ役には、山田巖氏が当たられた。
青木伶子・奥田勲・木村晟・京極興一・国田百合子・小山敦子・篠原昭二・寿岳章子・鈴木一彦・鈴木雅子・土井洋一・広浜文雄・北条政子・松井栄一・三木紀人
(謡曲・狂言)
池田広司・表章・片桐登・野村和世・古川久
〈近世部会〉
まとめ役には、中村通夫氏が当たられた。
有川美亀男・安藤和三郎・池上秋彦・黄色瑞華・蟹江秀明・金田弘・小林保夫・菅井時枝・日向一雅・古田東朔・堀信夫・松井栄一・森岡健二・森川昭・山崎久之・笠栄治
(雑俳)
岡田甫・浜田義一郎・山沢英雄
鈴木勝忠氏からは、雑俳の用例を全面的に提供していただき、さらに、のちに同氏がまとめられた「雑俳語辞典」のお世話にもなった。 また、故三木孝氏の努力によって、河竹黙阿弥の豊富な、語彙と成句のカードが残された。 なお、個別に、朝倉治彦・浅野晃・鈴木棠三・中野三敏・松本隆信の各氏の協力を得た。
〈現代部会〉
まとめ役には、林大・山田巖両氏が当たられた。
伊賀上正俊・市川孝・乙骨明夫・進藤咲子・滝沢典子・新間進一・西垣脩・林巨樹・日野資純・平岡敏夫・古川清彦・松井栄一・水谷静夫・宮城達郎・山田博光
なお、キリスト教関係語彙について、関根文之助・原恵の両氏に、また、季語について、楠本憲吉氏に協力を仰いだ。 また、別個に大屋幸世氏の協力も得た。
〈記録部会〉
石井進・今江広道・今枝愛真・岩沢愿彦・笠松宏至・川田貞夫・桑山浩然・是沢恭三・鈴木茂男・辻彦三郎・土田直鎮・新田英治・羽下徳彦・林陸朗・百瀬今朝雄・山中裕・山本信吉・吉川泰雄・龍福義友・渡辺直彦
(有職)
遠藤武・鈴木敬三・鷹司綸子・中村義雄
(地方)
石井謙治・石井良助・岩橋勝・宇田正・大石慎三郎・郡司勇夫・小松和生・桜田勝徳・高橋久一・所三男・二野瓶徳夫・服藤弘司・丸山雍成・水原正享・宮本又次・森泰博
なお、神道関係語彙については、菟田俊彦・西田長男両氏の協力を得た。
〈仏教部会〉
石田瑞麿・鎌田茂・塩入良道・田村芳朗・中村元・早島鏡正・平川彰
計画に当たっては、中村元氏がまとめ役に当たられ、日本における仏教関係の文献に力が注がれた。 そして、次の方々の協力をも得た。
瓜生津隆真・江島恵教・大河原義行・太田久紀・小笠原隆元・木内央・筒井泰道・新田雅章・平井俊栄・福田亮成
また、別個に、佐藤亮雄氏のほか、阿部秋生・菊地良一・小林智昭の各氏にもお世話になった。
〈訓点語部会〉
大坪併治・曾田文雄・広浜文雄
なお、個別に、中田祝夫・鈴木一男・築島裕の各氏の協力を仰いだ。 また、築島氏から、膨大な訓点語索引の写しを提供していただいた。
〈外来語部会〉
石綿敏雄・菅野謙・坂本恭章・柴田武・須賀川誠三
全体のまとめ、および項目の調整を柴田武氏にお願いし、執筆要領の検討から資料の収集、さらに実際の執筆に及んで協力していただいた。
なお、別個に、安田尚道・沢木幹栄両氏から用例が提供された。
〈漢籍部会〉
今井宇三郎・大曾根章介・尾関富太郎・小嶋政雄・坂本右・丹直能・前野直彬
日本および中国の漢文について検討したが、別途、次の分科会が設けられた。 計画に当たっては諸橋轍次・山岸徳平両先生のご指導を仰いだ。
(中国俗語の和訓読み)
前野直彬氏を中心にして、次の方々の協力を得た。
高橋稔・伝田章・中島敏夫
(中国の用例)
中国の文献については、「大日本国語辞典」所収の引例を再検討したものを用意した。 引例の適否を考え、必要に応じてさしかえたり、補ったりして、それらの引例をおのおのの原典に当たった。 この作業は、前野直彬・今井宇三郎両氏を中心に次の方々の協力を得た。
青木五郎・新井真澄・今西凱夫・謡口明・大坂泰・緒形暢夫・糟谷一・上坪まり・川桃代・許常安・児玉公彦・清水栄・杉田進・杉山兆旦・高島俊男・陳明新・津田亨・中島束・長谷川節三・原田松三郎・枡本洋子・宮内保・山之内正彦・湯浅麗・若林治尚
〈法律部会〉
石田穰一・井上文三郎・川口順啓・塩田澄夫・丹羽晟・松井和治・松村義弘・柳川俊一
「大日本国語辞典」所収の法令からの引例再検討からはじめ、終極的には、法律用語の立項と法令からの用例を採集し、加えて、経済用語にも及んだ。
以上の部会の各担当者がテキストに印した語は、適当な長さの用例文として抽出され、カードや台紙に書き写された。 このため、各担当者は、それぞれ補助員を委嘱したが、それは、教え子であったり、ご家族であったりした。
部会とは別途に、近世、近代の作品数点を選び、その中の語を細かく拾い上げてカードを作成した。 これは、今日普通に使われる現代語についての資料が意外に乏しいという、途中段階の反省の上に立って行なわれたものである。
また、松井栄一・近藤豊勝両氏がそれぞれ個人的に集められた用例カードが、別途提供され、同様に、近世・近代の用例を補うところとなった。
なお、現代語については見坊豪紀氏が収集された、新聞・雑誌からの資料を拝借して反映させることも検討されたが、実現できなかった。 それは、その資料の膨大さに圧倒されたことと、この辞典の性格として、戦後の資料を積極的に取り入れるゆとりのなかったことに起因する。
十数点に及ぶ辞典および「大日本国語辞典」の増補カードが、語ごとに一覧できるようにしたものであるが、各辞典のかなづかいの違いや、親見出し子見出しなど標出の仕方の違いによって配列が異なるため、必ずしも単純な作業ではなかった。
この作業は、共立女子大学および実践女子大学を主体とする学生諸氏の協力によって完成した。 春と夏の休みを利用して足かけ三年に及ぶ作業であったが、この間、延べ千名に及ぶ学生諸氏が手伝ってくださったことになり、関係大学の先生方にもこまごまとお世話になった。
資料として用いた作品辞典・分野別辞典および諸雑誌の語彙特集号は二十余種にのぼるが、次の三点は、著者の補訂を加えたものを提供していただくことができた。
古川久著「狂言辞典」
前田勇著「近世上方語辞典」「上方語源辞典」
楳垣実著「隠語辞典」
なお、前田勇氏は、この辞典の第一巻を手にしてくださることもなく、昭和四十七年六月十七日に長逝された。 誠に心残りである。
日本古典文学大系(岩波書店)・日本古典全書(朝日新聞社)をはじめ、古典作品の注釈書に付された頭注などをカード化して、用例と語釈との参考のための資料とした。 なお、西鶴、漱石、鴎外などの個人全集の注も同様に一覧できるようにした。
この作業は、主として、実践女子大学の学生および卒業生の方々の協力によって進められた。
「古事記」をはじめとする諸作品の語彙索引に当たり、それらにあるかないかを語ごとにわかるようにチェックした。 この際、(2)で作った諸辞典の貼り込み台紙を照合した結果、台紙にないものは新たにカードに写し、増補の候補とした。 索引は、古事類苑、故実叢書などの索引を含め、三十九点を用いた。 この作業は、次の諸氏が前半を担当され、後半は各大学の卒業生の方々の協力によった。
〈索引照合〉
大野晴男・佐藤秀夫・田中新一・鳥居邦朗・深津胤房・松井栄一・三木孝
なお「柳多留」全一六七篇の初句索引が別に作られたが、これは、近藤豊勝氏が早稲田大学・明治大学および都立足立高等学校の学生諸氏の協力を得て作成した。
研究論文の類を点検し、ある語について、どういう論文が言及しているかを一覧できるようにした。 関連する単行本、雑誌、紀要の類を調べカード化し、のちに、語ごとにまとめたものである。 各種図書館へ出向いて調べるなどして、研究機関の紀要類にも及んだ。 この作業は、松井栄一氏が次の諸氏の協力を得て進めた。
〈参照文献〉
遠藤和夫・大野晴男・佐藤秀夫・田中新一・鳥居邦朗・深津胤房・三木孝
いわゆる百科語彙は、高等学校や大学の教養課程で出てくる語彙という目安で集められた。 そのため、高等学校の教科書や大学の教養課程で用いるテキストの類を選び、必要と思われる語彙を収集し、立項の資料とした。
このため、各教科、専門の方々にいろいろな形で参画していただいた。 和光学園では、かなりまとまった部分を担当していただいたが、三谷栄一氏・春田正治氏のお世話によって、石川清氏が中心となってまとめてくださったものである。
なお、地名、固有名詞については、日本と中国の文学作品からの採録に重点を置き、吉田精一・前野直彬両氏のもとで作業が進められた。 能・狂言の曲名については、表章・古川久両氏のお世話になった。
〈百科〉
磯田恵・伊藤高弘・植田啓子・江種満子・大久保忠国・大沢勝也・大塚正八郎・尾形仂・葛西菊太郎・笠原良郎・粕谷藤一・片山芳子・金沢孝・金子守勝・鎌井敏和・木村敬太郎・木村幸雄・倉成美敏・小林功長・斎藤博・佐野大和・渋川謙一・清水貞夫・白倉司朗・新川昭一・鈴木康司・筒井利行・徳久球雄・西田藤次郎・西村誠・箱島勝・林玉樹・飛高隆夫・尾藤武・平井輝章・平田喜信・平林浩・藤原澄子・堀井謙一・本間雅夫・丸木政臣・渡辺正彦
古辞書十四点の索引をカード化し、ある語がどの古辞書に採録されているかを一覧できるようにし、古辞書欄の資料とした。 記載の方法等については、馬淵和夫氏を中心にして検討された。
語源について言及された文献を読み、必要な部分をカードに写し、のちに、語ごとに一覧できるようにまとめた。
作業は、鈴木棠三氏を中心に、次の諸氏の協力を得て進められた。
〈語源〉
石原綏代・牛島軍平・遠藤鎮雄・大谷栄子・黒田礼子・柴崎功一・鈴木棠三・鈴木序夫・鈴木友子・田村マサ子・千原美沙子・中島恵子・長谷川政春・服部幸雄・平良豊子・宮越美知子・宮坂千代・山内益次郎・渡辺キヨ子
なお、「名語記」については、用例資料とともに、北野克氏のご好意によって、ほとんど網羅的にカード化することができた。
語音・アクセントに関する資料を集める作業は、金田一京助先生の御発案により、金田一春彦氏を中心として、柴田武・馬淵和夫両氏の協力のもとに発足した発音部会において行なわれた。 発音部会では、資料の選定、採集の方法についてはもちろん、その記述の方法などについても検討が重ねられた。
語音・アクセントの歴史、現代の東京および京都における語音・アクセント、標準語における発音のゆれ、方言のなまり、などについて、それぞれ専門分野の方々の協力を仰いだ。
〈発音部会〉
秋永一枝・井口虎一郎・伊藤とし子・伊藤芳照・稲垣正幸・井上史雄・楳垣実・大友信一・奥村三雄・加藤貞子・加藤正信・金井英雄・川上蓁・川本栄一郎・小松英雄・阪田雪子・桜井茂治・佐藤武義・佐藤宣男・下河辺行輝・菅野謙・鈴木一男・鈴木丹士郎・武田由美子・徳川宗賢・飛田良文・前田富祺・馬瀬良雄・松本宙・水谷修・南不二男・山本信道
代名詞、形式名詞、副詞、接続詞、感動詞、助詞、助動詞、接辞など、いわゆる文法語彙について、その項目の選定と記述方法を検討するために、林大氏を中心として、山田巖・中村通夫・阪倉篤義氏の協力のもとに、文法部会が設けられた。 そこでは、項目表・見本原稿の作成に始まり、実際の執筆にも及んだ。
〈文法部会〉
青木伶子・宇野義方・岡崎正継・岡村和江・金田弘・京極興一・杉崎一雄・鈴木一彦・竹内美智子・田中章夫・辻村敏樹・土屋信一・野村和世・林巨樹・日野資純・古田東朔・松井栄一・山崎久之
また、この部会の分科会において、全体にわたる執筆要領、参照資料の扱い方など手引書の類が検討されていった。 協力していただいたのは次の方々であった。
(執筆要領等)
京極興一・杉崎一雄・鈴木一彦・林巨樹・松井栄一
なお、文法部会が実際の執筆に移行していくに従って、いわゆる文法語彙以外の基本的な名詞、動詞、形容詞などの大項目にも及び、部会に参加された方のほかに次の方々の協力を得ることになった。
(文法大項目)
浅見徹・東節夫・遠藤邦基・大塚光信・奥村三雄・梶原正昭・久保田淳・小林賢次・小松登美・今野達・斎藤義光・桜井光昭・佐治圭三・寿岳章子・鈴木雅子・田口庸一・田中喜美春・田中新一・谷脇理史・塚原鉄雄・外山映次・中野幸一・西宮一民・冨士昭雄・宮地敦子・森田良行・両角倉一・矢野貫一・山口明穂・山崎馨・吉田金彦・渡辺実
集まった原稿を推敲する課程で、作品や史料から用例を採録するに当たって使用する底本を再検討し決定することと、各作品の表示の仕方、ジャンル・作者名・小題・番号の注記の仕方など細部の取り決めがなされていった。 市古貞次氏を中心に、原稿調整の任に当たる方々の協力を仰いだが、これには思いの外の日時を要した。 なお、個々の作品について教えを請うた方は数限りないので割愛させていただく。
〈出典表示等〉
青木美智男・浅野晃・石塚晴通・今泉淑夫・今西凱夫・遠藤宏・大曾根章介・大屋幸世・梶原正昭・神作光一・久保田淳・小町谷照彦・近藤豊勝・桜井光昭・鈴木茂男・延広真治・早崎捷治・前沢豊子・三木紀人・三谷邦明・山田昭全
集まった資料をもとに、編集作業に入り、原稿を作成し推敲する過程に行なわれた作業は、次のようなものがあった。
(1)収集されたカード類を語ごとに整理し、資料台紙を作ること用例採録と語釈を加えるための資料は、Iで述べた(1)(2)(3)(4)(5)(6)の作業の積み重ねによってできたものであるが、これらにはABC…十数種の分類呼称がつけられ、順次、一望しやすい形に統合されていった。 語の認定、活用の形の決定など、特に用例カードの整理には、幅広い知識と細心の注意、そして、根気が要求される仕事であった。 この作業には、主に次の方々が参与された。
〈資料統合〉
池上秋彦・内尾久美・大野晴男・岡村和江・乙骨明夫・加藤貞子・京極興一・今野達・斎藤煕子・坂本恭章・佐藤秀夫・杉崎一雄・鈴木一彦・田中新一・林巨樹・日向一雅・藤井信乃・堀信夫・水上甲子三・宮内勉・山崎馨
なお、この作業は、各大学の卒業生の方々の協力を得て、最終的には資料台紙としてまとめられ、全資料を五十音順に並べた「語彙表」が順次作成された。
採録する項目を決定していくことを立項と称したが、この作業は実にさまざまな試行錯誤がなされた。 まず、立項基準を作って、それをもとにしていくらか進めてみると、基準とする項目が足りないことや、例外として扱いたいものなどが次々に出てくる。 そこで、また、立項基準を手直しして最初からやりなおす。 こんな繰り返しが幾度かなされるうちに、複数の人の作業にはおのずから差の現われることがわかった。 これが、辞書の見出しを、ひいては全体の性格を決めていく大きな部分であるだけに慎重が期されたわけであるが、(1)の統合に当たってくださった方々が、懲りずに、さまざまな試みをしてくださった。
しかし、結局は、一人で行なうべきものだという結論に達し、松井栄一氏が担当されることになった。 資料台紙を山のように積んで採否を決定しながら、側の語彙表にその結果を記録していく。 孤独でしかも神経を使う作業であった。 四十二年から四十四年にかけて三年近くかかってようやく完成された。
立項された資料は、さらに執筆者を想定して分類された。 文法大項目・国語項目・特殊国語項目・百科項目・外来語項目がその主な分類であった。
執筆は、四十年七月に開始された。 編集委員会の推薦による執筆者に集まっていただき説明会を開いた。 二百名以上に及ぶので、数回に分かれて資料と執筆要領の説明を行ない、形式や解説文の調子が大きく違わないように要請した。 そして、第一回の分として三十語位ずつ書かれたものを集めてさまざまな検討を加えた。 その結果、そのまま引き続いて執筆を進めることを躊躇させる要素がいくつか出てきた。 執筆要領などの不備、不足も多く発見された。 そのため、執筆を中断し、さまざまな面から再検討を加えた。 一つは、執筆要領の改訂であり、一つは、原稿を推敲する作業を進めてみて、原稿に立ち返って反省することであった。
執筆を再開したのは、一年後の四十一年八月であった。 再び説明会に集まっていただくなど手数をおかけした場合もあるが、編集者が個別に会って細かいお願いをする場合が多くなった。 そして、原稿受け取りの度に、疑問点を話し合っていくというやり方が定着していった。 このため、執筆者には実際に書く時間の外に話し合いの時間を割いていただくという負担もおかけし、中には、この方をより重視してくださった方もあり、編集者の勉強になった。 そして、それは横の情報を豊富にすることにもなり有益であった。
執筆は先の立項に伴う分類に従って進められたが、いわゆる百科項目、固有名詞については、資料台紙を離れて、別途分野ごとの立項と執筆が進められた。 その結果、国語項目として執筆されたものと、百科項目として執筆されたものとが重複する場合が少なくなかった。 それらは、のちの原稿調整および専門検討の段階で、統合整理されていった。
十年にわたる経過の中で、多くの出入りもあり、執筆項目の多寡などさまざまであるが、次の方々が参画された。
〈執筆〉
青木一男・青木茂・青木幹雄・青木美智男・青木伶子・赤松昇・秋沢美枝子・浅井幸夫・浅野晃・麻原美子・浅見徹・東節夫・阿蘇瑞枝・阿部健二・新井栄蔵・新井慧誉・有川治男・有川美亀男・有馬煌史・安藤千鶴子・安藤和三郎・飯泉六郎・飯島俊明・飯田満寿男・池内輝雄・池上秋彦・池上洵一・池上雄三・池田拓朗・池田親・池田光・石井謙治・石井速夫・石井秀夫・石井文夫・石井良助・石上善応・石田拓也・石埜敬子・石原昭平・井関義久・磯部勇・板場家利・伊丹昇・糸井通浩・伊東祐幸・伊藤秀・糸賀きみ江・出雲路猛・稲垣真美・稲沢好章・井上秀一・井上勤・井上敏幸・井之口章次・伊吹一・今泉淑夫・今江広道・今坂晃・岩井尭彦・岩瀬博・岩橋勝・岩淵匡・植田啓子・上野民夫・上野務・氏家洋子・牛島軍平・宇田正・内尾久美・内海琢己・梅津彰人・江連真木夫・榎本昭・遠藤和夫・遠藤邦基・遠藤潤一・遠藤宏・大石慎三郎・大木正義・大久保恵子・大久保晴雄・大久保広行・大熊五郎・大須賀雄一・太田博太郎・大谷愛人・大塚光信・大野晴男・大原誠・大森郁之助・岡上登喜男・小笠原恭子・緒方惟章・緒方惟精・岡村和江・岡村昌夫・岡本卓治・岡本勝・岡本豊・奥田勲・奥村恒哉・奥村三雄・小田原栄・乙骨明夫・鬼束隆昭・小野寛
影山美知子・柏原司郎・梶原正昭・加藤貞子・加藤冬樹・門倉正二・金沢とも子・蕪木秀敏・上参郷祐康・神谷馨・唐井清六・河北騰・川田貞夫・川村文彦・神田直人・菊地沙恵子・菊地靖彦・木越隆・岸得蔵・北野克・吉川周平・木村晟・木村清孝・京極興一・雲英末雄・金原理・草下孝也・草深清・窪添慶文・久保田淳・桑原博史・郡司勇夫・河内山清彦・国領不二男・小島俊夫・小杉商一・後藤祥子・後藤良雄・小林一臣・小林一仁・小林国雄・小林敬子・小林賢次・小林祥次郎・小林正治・小林保夫・小林吉一・小町谷照彦・小松和生・小松正・小松登美・込谷和之・近藤豊勝・近藤正尚・今野達
斎藤茂・斎藤博・斎藤恂・酒井昭夫・酒井義博・坂上博一・榊原晃三・坂本右・桜井光昭・桜田勝徳・迫野虔徳・佐々木重治郎・佐々木均・佐治圭三・佐藤彰・佐藤茂・佐藤静子・佐藤秀夫・佐藤秀太郎・佐藤佳子・沢井耐三・椎野正之・信太周・篠原昭二・島田良二・島貫隆光・島村静雄・清水幸太郎・清水幹生・清水凱夫・寿岳章子・白石克己・白石悌三・白方勝・新間進一・菅井時枝・須賀川誠三・菅野雅雄・杉崎一雄・鈴置浩一・鈴木一彦・鈴木勝忠・鈴木貞美・鈴木茂男・鈴木杜幾子・鈴木則郎・鈴木久夫・鈴木雅子・瀬川ヒサエ・勢頭力・妹能孝昌・瀬良垣広明・相馬大・添田建治郎・曾田文雄・染田一郎
高木昭作・高崎徳次・高田衛・高野繁男・高橋和夫・高橋久一・高橋浩司・高橋哲也・高橋宏幸・高橋ほつ枝・高橋六二・高宮正夫・滝口悦郎・滝沢公明・田口恵子・田口庸一・竹内公誠・竹内美智子・竹浪聡・田島光平・田尻英三・橘豊・田所周・田所寛行・田所義章・田中喜美春・田中新一・田辺重右衛門・谷川博隆・谷脇理史・樽井正義・近角聡信・千葉豊・千原美沙子・塚原鉄雄・月洞譲・辻田昌三・辻村敏樹・土屋信一・土屋行雄・都築久義・続橋達雄・角田匡巳・都倉義孝・所三男・杤尾武・留目スミエ・友部浩・外山映次・鳥居邦朗・鳥居フミ子
内藤磐・中井和子・長尾勇・永島達夫・中根暢也・中野幸一・中野三敏・中松竹雄・中村欽・中村要・中村菊一・中村恵次・中村栄・中村直子・中村正明・中村光生・中村幸弘・中山信夫・中山渡・名和千枝子・名和利也・新山茂樹・西宮一民・西村義明・二野瓶徳夫・沼沢和子・根本順吉・根本今朝男・野上隆・野口武彦・野口元大・延広真治・野間正英・野村精一・野山嘉正
配島成光・萩原軍平・萩原昌好・萩原廸夫・長谷川博隆・長谷川政春・畠山義和・蜂谷清人・服部幸雄・羽鳥一英・花田治郎・花輪茂道・浜田義一郎・浜松俊男・早崎捷治・林巨樹・林茂男・林順・林泰民・林田明・林田孝和・林田洋子・原道生・服藤弘司・飛高隆夫・日野資純・平林文雄・比留間一成・広田徹・福田益和・福谷幸子・冨士昭雄・藤井信乃・藤野功二・船曳政夫・堀信夫・堀井哲夫・堀内秀晃・堀江晉・堀口和吉・堀越祥・本田康雄
前川幸雄・前沢豊子・前田愛・前田勇・前田慎一・前中昭・牧野正敏・増井元・増田佐吉・松井栄一・待井新一・松枝繁之・松岡芳朗・松下進・松原芙佐子・松村雄二・松本隆治・松山義夫・間野典彦・丸山雍成・味方健・三瓶達司・三木紀人・水原正享・三谷陽子・三苫浩輔・緑川妙子・緑川佑介・南崎晉・峰岸明・宮内功子・宮城達郎・宮崎荘平・宮地敦子・宮田秀男・美山靖・宮本又次・向井富徳・向山武男・武藤昭広・村田啓二・毛利正守・望月かほり・望月真・森昇一・森泰博・森本元子・森山晴美・両角倉一
矢代和夫・安田尚道・柳原博・矢野貫一・山口明穂・山口治子・山口康子・山口雄輔・山崎馨・山崎賢三・山崎孝雄・山崎豊彦・山崎久之・山崎喜信・山路興造・山中清孝・山中宏樹・山本澄子・湯沢賢之助・湯本祐之・横手武則・横山俊彦・吉沢靖・吉田金彦・吉田一・吉田煕生・吉田弥寿夫・依田憙家・米田千鶴子・米山安一・笠栄治・若林重栄・和田信昭・渡瀬昌忠・渡辺輝道・渡辺実・渡辺守邦・渡辺康子
いわゆる百科項目・固有名詞の素稿は、その多くが表現研究所(代表…亀田秀夫氏)の協力によってまとめられた。 分野ごとに担当者を決め次々に執筆され、のちには、百科項目の多い外来語の一部についても協力を得た。
(表現研究所)
大久保義晴・大原淳一・小倉瑠美子・北沢武雄・小松浩子・柴田久治・鈴木銀一郎・高安久恵・竹村尚紘・根本啓子・野村昭子・山本明子・山本賢一・山本忠昭・吉田憲司
なお、執筆に先立って、百科項目の立項調整についても委嘱したが、この作業には主として柴田久治・鈴木銀一郎両氏が当たられた。
用例と語釈は不即不離の関係にあるわけで、当初は原稿調整の作業を、用例を当たりなおすことから始めた。 しかし、用例を当たるだけでかなりの時間を要し、原稿内容そのものを見るという視点が、欠けがちであった。 それは、用例を当たる作業が複雑をきわめたからである。 執筆者が採用した例を決められたテキストで当たりなおす、文字・かなづかいを点検し適当な長さに引く、決められた注記、即ちジャンル名・小題・番号・作者名等を付記する、そしてさらに、資料台紙を再点検し、初出例や適例が落ちている場合は新たに拾って、同様の手続を経て追加していく。 出てくる用例は時代を問わず、ジャンルを問わずであるから、その意味を読みとり、語釈と合わせ考え、さらに、時代順に並べるという、実にたいへんな作業であった。
そこで、専門に用例を当たる作業部門を設けることになった。 幸い、最初に委嘱した方々の努力によって間もなく軌道に乗った。 そして、多くの大学関係者のお世話によって、各大学の国文科の卒業生や大学院の学生諸氏がこの作業に参与された。 そして、後半においては、日本大辞典刊行会の職員が多数参加して進められた。
〈出典検討〉
浅見和彦・阿部一彦・阿部八郎・天野牧子・荒川洋子・安東守仁・飯島朝子・飯田優子・石黒吉次郎・石橋真理・石割透・市古夏生・揖斐高・今村千草・岩下紀之・氏家洋子・大島徹・大矢喜恵子・大屋幸世・岡村通代・加藤聡子・金子磁・川岸絢子・川平均・菊地仁・木越治・木下初子・小池清治・古賀勝彦・小島雅明・駒田貞夫・近藤不二子・近藤百合子・佐岡芳江・佐藤節子・柴広子・島田裕子・所田隆久・鈴木彰子・関修司・瀬田充子・副島義樹・鷹尾純・高杉寿彦・高橋繁樹・田口恵子・宅野博子・田崎純子・田嶋一夫・田中愛・田中喜美春・忠鉢仁・辻元明子・津田薫・鶴島俊一郎・寺田恭子・徳橋真理・富田淑・鳥居明雄・中里弘子・中松竹雄・新島真佐子・箱石敏子・橋口裕子・橋本朝生・橋本仲美・畠山普美子・林暁子・林恒徳・平井仁子・深野浩史・福与芳子・船城俊太郎・古垣内雅子・星野洋子・細川英雄・前田一郎・松林靖明・松原瑞穂・松本智恵子・丸山明・三浦佑之・三田村雅子・村川和子・森斌・山口直人・湯沢質幸・湯本みつ子・鷲尾邦子・鷲山茂雄・渡辺憲司
なお、国会図書館・斯道文庫・松宇文庫・神宮文庫・静嘉堂文庫・尊経閣文庫・東洋文庫・内閣文庫、および京都大学・国学院大学・天理大学・東京大学・東北大学・早稲田大学の各付属図書館、法政大学能楽研究所・早稲田大学演劇博物館等で、多くの資料を利用させていただいた。 このために、次の諸氏の協力を仰いだ。
石原志津子・植谷元・内山美樹子・小野沢うばら・小林元江・徳田武・鳥越文蔵・福田美知子・古川久・松園宣郎・矢島真気子・山本二郎
用例を当たる出典検討部門が発足してから原稿調整も本格化した。 大勢の執筆者によって書かれた原稿は、表現の仕方はもとより、用例の採否、全体のまとめ方に至るまでさまざまであった。 原稿調整は、それらを補いつつ全体の調子を極力整えていく作業であるが、必然的に用例の加除、修正が中心になった。 そして、国語・国文関係の専門的視点からの校閲と相俟って、統一的な手を加え、関連項目との調整や、他分野の専門家への校閲依頼を注記していくのが、主な内容であった。
この作業には、国語国文学の分野の方が中心になり、執筆から回って協力された方も多かった。 そして、日本大辞典刊行会の職員も多数参加して進められた。
〈原稿調整〉(国語国文学関係の専門検討を含む)
青木伶子・秋沢美枝子・浅野晃・浅見和彦・荒木功光・石塚晴通・伊地知鉄男・市古夏生・伊藤博・井上豊・内尾久美・遠藤宏・大曾根章介・大塚光信・大野晴男・大村沙華・大屋幸世・岡田甫・岡村和江・小田原栄・乙骨明夫・小野寛・梶原正昭・片桐登・蟹江秀明・神作光一・木越治・北野克・京極興一・雲英末雄・草深清・久島茂・久保俊文・久保田淳・桑原博史・小西至・小林賢次・小町谷照彦・坂上博一・桜井光昭・佐藤秀夫・沢井耐三・沢木幹栄・白石梯三・杉崎一雄・鈴木一彦・鈴木勝忠・鈴木博・諏訪春雄・関修司・鷹尾純・高橋一男・高橋宏幸・高見三郎・竹内美智子・谷脇理史・千原美沙子・忠鉢仁・枋尾武・鳥越文蔵・永井義憲・仲田政男・中野幸一・野口武彦・延広真治・橋本朝生・蜂谷清人・浜田義一郎・早崎捷治・平田喜信・広田二郎・冨士昭雄・古田東朔・堀内秀晃・前田愛・間瀬興三郎・三木紀人・御園生保子・三谷邦明・美山靖・安田尚道・矢野貫一・山崎馨・山崎幸雄・山田昭全・山沢英雄・山本二郎・吉沢靖・鷲山茂雄
なお、国語と深いかかわりを持つ、漢籍については今西凱夫氏に、歴史については、今泉淑夫・鈴木茂男・龍福義友の三氏に、そして仏教については石田瑞麿氏に、それぞれの分野のご校閲を原稿調整と特に緊密に進めていただいた。 また、「日本書紀」の訓については、石塚晴通氏のご尽力によって、詳細に示すことができた。
(語構成・歴史的かなづかい・品詞の調整)
語構成・歴史的かなづかい・品詞づけについての統一的な点検は杉崎一雄氏にお願いした。 この点検は、校正刷での校閲にわたって行なわれたが、解説用例等全体に及ぶ要素が多く、内容の推敲に大きく寄与した。
専門的な視点から検討を加えていただく場合に二つのケースがあった。 一つは、原稿調整から専門校閲が必要として回されたものであり、一つは、いわゆる百科項目として執筆されたものについてであった。
ご校閲いただいた方々のお名前をどのようにあげさせていただくか、大いに迷うところがあった。 それは、ご専門の分野を示しつつお名前を掲げるべきかということであるが、結局それはむずかしいという判断に立たざるを得なかった。 ことばがかかわる専門分野の分類はかなりむずかしいことであるし、いくつもの分野にわたって校閲された場合も多く、校閲後、分量の関係等から調整させていただいたものも数多い。 一方、十数年にわたる編纂作業の中である時期だけある部門を、あるいは全期間を通して数語を見てくださったという場合もある。 もちろん、ご専門の部門をほとんど全部を通して校閲してくださった方も多いわけで、それを明記し得ないのは、心残りであるが、ご海容いただいて、お名前だけ掲げさせていただくことにしたい。
なお、中には、項目の選定から再検討を加えていただいた場合もあり、その結果、追加原稿を執筆していただいたものも多かった。 不定期でしかも急ぐことの多い依頼に応じて校閲してくださったことを、心から感謝するものである。
〈専門校閲〉(専門項目の立項およびその調整を含む)
青木雨彦・青木淳一・青木美智男・安居院猛・新井良一・荒川浩和・安藤信敏・池上夫・石井良助・石井謙治・石井東吉郎・石田穣一・石田肇・石田瑞麿・伊藤順蔵・伊東祐幸・稲垣栄三・稲垣真実・井之口章次・井原一恵・今泉淑夫・今泉吉典・今江広道・今島実・今西凱夫・上田穣・薄葉重・莵田俊彦・内山一也・梅田博之・梅本徳次郎・浦田暎三・浦山政雄・浦本昌紀・遠藤武・太田博太郎・大塚恭男・大場秀章・小笠原信夫・尾形洋一
加藤一二三・蒲生郷昭・川田貞夫・河鰭実英・岸辺成雄・吉川英史・木村孝・清弘智昭・金七紀男・草下孝也・楠山春樹・久野健・熊本裕・桑田忠親・郡司勇夫・小泉仰・河野元昭・腰原久雄・近藤一成
斎藤茂・坂本右・崎川範行・桜井元・桜井治男・佐竹寛・佐藤馨・佐藤茂雄・佐藤魚水・佐藤秀太郎・沢田章・重田定正・柴田武・島田一男・島貫隆光・清水幸太郎・下崎吉矩・寿岳文章・白井明・進士慶幹・鈴木敬三・鈴木貞夫・鈴木貞美・鈴木茂男・鈴木尚・赤摂也・関忠夫・関根文之助
鷹司綸子・滝口宏・竹内理三・竹内公誠・田久保周誉・立石庸一・田中作太郎・近角聡信・辻寿男・槌田満文・鶴田武良・徳久球雄・所三男・友部直・杤尾武
永井信一・長尾十三二・中川千咲・長崎一・中村守純・成田頼明・仁戸田六三郎・根本順吉
羽賀貞四郎・橋本光男・長谷川博隆・畠中弘・浜口乃二雄・林裕・樋口秀雄・日野西資孝・福井重雅・福岡成一・福島八郎・福田泰二・福原敏彦・福山敏男・堀越知已
前田徹・前野直彬・松井和治・松尾真利・松崎巖・松沢正二・三隅治雄・箕輪京四郎・宮次男・宮本又次・三好一光・村井省三・村井不二子・村井実・村上昭子・村瀬美樹・森恒夫
柳沢孝・柳下徳雄・矢部良明・矢野貫一・山口格太郎・山口康助・山口好文・山下袈裟男・山中裕・山根至二・山辺知行・山本亨介・芦ヶ原伸之・吉田昇・龍福義友・渡辺一郎
方言、約四万の原稿は、故大岩正仲氏が全部執筆された。 そして、それは、完全原稿とでもいうべき内容のものであったが、一般項目と合わせる段階で、加藤貞子・河原井いく子・福与芳子・三石泰子の各氏の協力を得た。
なお、ここに方言原稿の完成するまでの経緯を述べておきたい。 「大辞典」の方言項目、「全国方言辞典」「分類方言辞典」などを手がけられた大岩氏は、夙に方言大辞典とでも呼ぶべき畢生の大著を計画されて、資料集めにかかっておられた。 そして、「日本国語大辞典」の計画をお話すると、その方言項目の執筆を全面的に引き受けられ、合わせて資料の充実をはかる計画を立てられた。 この間、中村通夫・三谷栄一の両氏が相談に当たられ、執筆方法等が検討され、四十一年から四十四年にかけて、約四万項目を全くお一人で執筆される一方、資料の補充に力を注がれた。 そして、当辞典の方言原稿が他のすべての分野にさきがけて完成された頃には、お手元の資料カードもかなりなものになり、いよいよ方言大辞典の執筆にかかられるため、特別の原稿用紙もお作りになられたようである。 然るに、その執筆にかかろうとされた時、不運にも病に臥せられてしまった。 昭和四十七年六月十九日、帰らぬ人となられた大岩氏の書斎には、膨大な方言資料が残されたのだった。 この辞典の原稿執筆のために、ご自身の大著に着手されるのが遅れたのではなかろうかという責めを感ずるとともに、この辞典の第一巻をすらひもといていただけなかったことが悔やまれてならない。
語源の扱い方については、かなり議論の分かれるところであったが、鈴木棠三氏の力強い参画によって基礎ができた。 収集した資料をまとめるに当たっては、積極的な扱いを控え、語源説として掲げるにとどめた。
文献に記載されている語源的な説明の趣旨を要約するに当たっては、鈴木棠三氏のほかに、大久保恵子・大島貴子両氏の協力を得た。
発音資料の収集等については、Ⅰ(10)で述べたように、大勢の方々の協力を仰いだが、具体的なまとめの段階では、次の方々が分担された。
現代の標準的な語音・アクセント……秋永一枝・川上蓁・清水郁子
現代の京都の語音・アクセント……楳垣実
アクセントの歴史……金田一春彦
語音の歴史……秋永一枝
なまり……柴田武・井上史雄
なお、この間、全般にわたって資料の整理のために伊藤とし子氏が協力された。
古辞書のカードができたところで、その総索引原稿を作り、各項目に追記していった。 語の同異を決定する作業とともに、必要に応じて、本文に古辞書からの引例を追加することが行なわれた。 そして、語形や慣用された漢字の考証等について、多くの手がかりを提供した。
〈古辞書追記〉
石井由紀夫・岩井憲幸・桑山俊彦・高梨信博・高橋宏幸・輝博元・林史典
五十音の解説は、林大氏が執筆され、主として、金田一春彦・見坊豪紀・阪倉篤義・中田祝夫・馬淵和夫の各氏の加筆を得て推敲されたものである。
変体がな・異体がなの欄は、中田祝夫氏の指導のもとにまとめられたものである。 採集資料を選定し、そこから選ばれた文字は、長沼雅彦氏によって、模写された。
図版は、極力典拠のあるものを載せるという方針に従って立項された。 もちろん、語釈の助けとなる図版は積極的に取り入れたが、いわゆる図鑑的な要素は割愛することとした。
資料は、用例の採集と同様に、あらかじめ図絵資料を選定し、そこから材料を集める作業によった。 そして、校正刷の出を待って、順次図版項目を決定し、さらに渉猟する資料の範囲を広げていった。 この間、次の方々の指導を仰いだ。。
〈図版資料〉
石井謙治・遠藤武・河鰭実英・郡司勇夫・斎藤正・鈴木敬三・槌田満文・中西幹根・長沼雅彦・中村義雄・額田巖・柳沢孝
なお、近世の資料については、遠藤武氏が集められた「近世風俗図絵資料」を全面的に利用させていただいた。 河鰭実英氏は、これまでに集収された図録の大部分の提供を申し出られた。 また、中村義雄氏は、「新選古語辞典」(中田祝夫著)のために描かれた図版の幾つかを提供してくださった。 図版作製には次の方々の協力を得た。
〈図版作製〉
井上千賀子・井上宏・川田清実・河野貞治・須貝稔・長沼雅彦
なお、船の項の多くは、石井謙治氏が、その研究成果の上に立ってご自身が直接描かれたものである。 また、鈴木敬三・遠藤武両氏も、何点かを描いてくださった。
字音語素は、林大氏の発案に基づいて、親字の分類の仕方や、熟語の分類、並べ方に創意を残すことができた。 字音語素の素稿は、高野繁男氏が全項にわたってまとめられた。 なお、当辞典で使用する漢字の字体についても、林大氏のもとで統一的な検討が加えられ、「使用漢字一覧表」が作成された。
隠語は、隠語集数点を貼り込んだ資料と、楳垣実氏の提供された「隠語辞典」の書き込み資料によってまとめられた。
姓氏については、佐久間英氏に協力を仰いで、項目の選定から執筆まで一貫してお願いした。
以上各項に記した方々には、間接的に他の編集過程にわたってご協力いただいた場合も多かったが、ほかに、次の方々からも、さまざまな形でご援助やご助言をいただいた。
秋山虔・荒正人・稲垣達郎・井上宗雄・今井卓爾・今泉忠義・岩淵悦太郎・遠藤嘉基・岡一男・大野晉・春日和男・佐藤喜代治・神保五弥・暉峻康隆・土井忠生・中西進・中村幸彦・前田金五郎・山中襄太
各分野で推敲された原稿は、五十音順に配列された。 このため、配列のためのキーカードが作成されたが、配列の要素に、親見出し子見出しの別、品詞・漢字表記などがあるため、結局、一語一語原稿を点検することになった。 従って、この段階で逆に、統一的な事柄については、原稿の内容に及んで再検討することも多かった。 最初二人の協力者によって展開したが、日本大辞典刊行会において本格的に推進された。
統合、配列された原稿は、その担当者の手によって、外部の協力を得て浄書された。 何人かの手が複雑に加わった原稿は、この段階で大きな浄書用紙に書き写され、読みやすい、そして、活字を拾いやすい形になったわけである。 とかく遅れがちな全体の進行に中にあって、この部分の進捗は、一つの指標となっていった。
〈浄書〉
秋元美晴・阿部仮名子・天野牧子・新井恵子・飯田優子・市古いく子・井手昌子・梅沢宣夫・榎本千枝子・江原香代子・大内秋子・大城美知子・大須賀雄一・大野陽子・大畑厚子・岡崎桂子・沖野順子・奥田恵子・奥津雅子・小貫洋子・柏村節子・川岸絢子・岸みほ・草川麗子・小島雅明・近藤和子・斎藤悠子・酒井直子・笹原敏子・渋谷美禰子・新海のぞみ・鈴木恵里子・高橋倭子・竹内律子・田中愛・丹純子・千葉啓子・辻元明子・椿本晴子・手柴優子・寺島その子・寺田恭子・中山明夫・成川成子・箱石敏子・早崎明実・菱田美枝子・飛野温美・日比野マリ子・平川恵美子・藤波幸子・古垣内雅子・麻殖生素子・牧野恵子・宮内功子・宮原泰子・三好明子・元木まり子・山本美穂・和田恵美子
浄書された原稿には、別途まとめられた、語源説・発音・古辞書各欄が追記され、本文との調整が行なわれた。 さらに、見出し語、歴史的かなづかい、漢字、品詞、親見出し子見出しの別などについての統一的な点検も加え、より完全な形にするための努力がなされた。
一方、編集委員による校閲もこの段階でなされ、その指示に従っての訂正、補遺や再検討が加えられた。 校閲の内容はあらゆる部分に及び、新たに補われた項目もあり、原稿にさかのぼって大幅な修正を行なうという場合もしばしばであった。 四年間にわたる進行に合わせての校閲は、多大のご負担をおかけすることとなった。
活字に組まれた各項目は数回にわたって校正を繰り返すなかで、順次ページにまとめられた。 日本大辞典刊行会に参画した校閲担当者の手によって、各種の校閲・校正要領が整備されてから、徐々に体制が整えられていった。
校正は、文字校正のほか、いわば原稿の推敲という面が強かった。 一語一語では見落としがちな関連語相互の調整や統一的な注記などについては、しばしば手が加えられた。 原稿調整ないし、浄書段階における校閲・調整を経ても、なお、活字に組んではじめて発見される不備がかなり残らざるを得なかったのである。
原稿、赤字との照合、および素読みの一部については、次の方々の協力を仰いだ。
〈校正〉
秋元光子・浅野勇夫・東美智子・天野伸子・新井政江・荒木功光・粟田悦子・飯田祐子・池上武志・石堂清俊・石橋靖子・市村耀子・伊藤明子・伊藤とし子・梅谷文子・梅谷真弘・遠藤順孝・太田開華・岡田正子・小川武敏・垣下あい子・片山篤子・加茂成子・川嶋治子・菊池暁子・北川正洋・小池芳美・郷戸真理子・小林洋子・近藤茂代・斎藤和・斎藤葉津・佐川道子・桜井さつき・桜井よし子・佐々木静枝・佐藤文子・柴末子・嶋文子・志村敏子・神弘・鈴木蓁子・鈴木清一・鈴木美代・角田文子・平武二・竹内宏・立川スエ・田中俊夫・津田潤・恒次悦子・鶴谷憲三・暉峻由紀子・所圭子・永井幸子・中川祥子・中島恵津子・中島紀久子・中田きぬ子・西元淳・野末昌子・法由日出子・萩原洋子・箱田宗六・原田拓・平川恭子・福岡一治・福地しげ子・古谷進三・松田日出子・松本静子・水橋直子・村上陽子・守屋泰子・山崎謙治・山田ひさ子・山田道紀・好見真理子・吉村典子・渡辺笹子
「日本国語大辞典」が現実の形となるための契機は、日本大辞典刊行会の発足にあったといえよう。
基礎資料がほぼ揃って、執筆が進められたが、集まってくる原稿を前にして途方に暮れざるを得なかった。 それは、一般の出版物と違って、そこからがたいへんな作業であり、事実、先へ進めるに従って、当時の進行状況では八十年ないし百年の歳月が必要だと考えられたものであった。 誤解を恐れずにいえば、片手間の作業の連続ではどうしようもなく、辞典専門の編集者がまとまって取り組む必要が痛感された。 八十年計画、百年計画がむずかしいとされる以上、これしか方法がなかったといえよう。 OEDやグリムの辞典のような幾世代にもわたる辞書編纂は、今日の日本においては夢物語でしかあり得ないし、せっかく集まった基礎資料と、ようやく現実のものとなり得る見通しを前にして、関係者の苦慮するところであった。
日本大辞典刊行会設立の趣旨は、幸い大方の賛同を得、編集顧問・編集委員の支援のもとに有志が中心となって発足するところとなった。 そして、次々に意欲に満ちた人々がこの企画のために参集し、業務の推進力となった。
二十余名で発足した日本大辞典刊行会職員は、多い時は九十名を数え、さまざまな編集過程に参画した。 もとより、今まで述べてきたような基礎作業の積み重ねや、外部からの積極的なご協力によって可能となったことではあるが、この五年間に集中した日本大辞典刊行会職員の執念と努力が、編集完成のために大きく寄与したことを述べさせていただきたい。 ここに、日本大辞典刊行会職員として参画した人々の名前を記録する次第である。
〈日本大辞典刊行会〉(代表…劔木亨弘・鈴木昌夫)
相川好男・相田満里子・青木明子・秋山孝子・穴沢貞幸・阿部倬也・荒井幸子・新井妙子・粟田宜子・安藤正子・飯田紀久子・石川江里子・石川順・石川ひろみ・磯部泰憲・市川和代・井上純子・岩井節子・江口英子・江橋珠子・遠藤充彦・遠藤陽子・大島史洋・大武知子・大竹真知子・大畑幸恵・岡崎百合子・奥田まち子・小野弘尭
片田町子・鹿納和子・嘉陽宗精・川崎昭子・神達輝子・木村真知子・倉島長正・栗本窈子・黒羽千秋・郷戸志江・河本恭子・小林幹三・小林旬子・小林節子・小林増子・小枚芳枝・小向龍・小森照文・近藤豊勝・今野悦子
妻藤瑞枝・酒井君子・坂入征男・坂本れい子・佐々木千恵子・笹原真知子・佐藤由利子・渋谷知子・菅田良子・鈴木絹子・鈴木淳子・鈴木一・関根悠子
高木四郎・高橋恵子・滝山節子・田中一郎・田中夏美・田村文子・塚本雅子・手代木英子・土居美知子・洞庭昭彦・冨松省二
長浜留美子・並木孝・新田由起子・能美三千代・野上純与
芳賀定・萩下和美・早川こう・原英子・平野雄彦・藤井万津野・藤波誠治・古屋洋子・文弥和子・堀田明子
前沢豊子・前田利枝子・真柄愛子・松井栄一・松坂あき子・松永裕子・緑川謙二・宗田和子・村松恵子・百武英美子・森本美和子
八塩千鶴子・柳川恭子・山口久仁子・山口さとし・山下博子・山田喬一・山田珠子・横田智夫・横溝佐恵子・吉沢康夫・吉田幸子・依田恒雄・渡辺ちか子・渡辺裕子
この中には、日本大辞典刊行会の発足以前から出典検討等で協力された方もあり、また、当会を退職した後も、浄書・校正等で協力された方も多い。
なお、日本大辞典刊行会発足以来、石川順(副編集長入稿校閲担当)・倉島長正(編集長)・近藤豊勝(内容校閲担当)・鈴木一(編集長代理)・鈴木昌夫(本部長)・並木孝(副編集長内容校閲担当)・平野雄彦(副編集長専検統合担当)・藤波誠治(副編集長浄書校閲担当)・前沢豊子(出典校閲担当)・松井栄一(内容校閲担当)・山田喬一(総務経理担当)が編集会議を構成し、まとめの任に当たった。
当辞典の編集所は、四度にわたって移転した。 小学館旧社屋でスタートし、集英社ビル、昭和図書ビル、小学館新社屋、そして、文京区後楽の日本大辞典刊行会ビルへと根拠地を変えた。 その移転の度に資料や図書が増えていき、最後の引越の時は、小型コンテナ千三百個を数え、引越の準備と荷ほどきのために、それぞれ十日余を費やした。 昭和三十六年の企画検討から今日まで十五年間、さまざまな過程を経てきたわけであるが、この後記では、小学館の関係者についていちいち名をあげることを割愛させていただいた。 立案・企画の段階ではもとより、日本大辞典刊行会発足以前における編集の基礎作業では、数多くの方が参与されたし、製作刊行については全面的に参画されたことはいうまでもない。 そして、この「日本国語大辞典」は五十年にわたる小学館の歴史の上に立って、小学館全社員の支援のもとに発行された小学館創立五十周年記念出版の一つであった。
「日本国語大辞典」は、発刊の辞にある如く、読者諸賢によって十分に活用され、かつ、日本における国語辞典の礎石となることを期するものである。 幸い、理解ある読者諸氏の有形、無形のご支援を受けて、無事完成することができた。 多くの読者の励ましによって幾度かの困難を切り抜けることができたことを振り返りつつ、心から感謝の意を表するものである。 言うまでもなく完璧なものではなく、誤りや不備も少なくないと思う。 それを正し、いかに充実させていくかは関係者の義務として残されたものと考えるが、この辞典が、さらに発展した「国民の辞書」として受け継がれ、育まれていくことを願ってやまない。
(昭和五十年十一月 倉島長正記)