21世紀に引き継ぐ国語辞典を (第二版 編集委員座談会)

◆渡辺 実(京都大学名誉教授)
わたなべ・みのる 1926年生まれ。専門は国語学。文学博士。元国語学会代表理事。

◆北原保雄(筑波大学長)
きたはら・やすお 1936年生まれ。専門は国語学。文学博士

◆松井栄一(前東京成徳大学教授)
まつい・しげかず 1926年生まれ。専門は国語学。『日本国語大辞典 初版』編集委員。

◆林 大(元国立国語研究所所長)
はやし・おおき 1913年生まれ。専門は国語学。『日本国語大辞典 初版』編集委員。

◆前田富祺(神戸女子大学教授)
まえだ・とみよし 1937年生まれ。専門は国語学。文学博士。


古い印刷機にセットされた『日本国語大辞典』の組版

組版編集部 小社では一九七二年から七六年にかけて『日本国語大辞典』全二十巻を刊行し、さいわい国語・国文学界のみならず各界より高い評価をいただき、いまや日本語の研究には欠かせない基本資料となるに至っています。そして今、時代の変化に対応しつつ、二十一世紀においても日本が世界に誇りうる文化遺産としての大型国語辞典であることを目指し、五万項目・二十五万用例を増補し、五十万項目・百万用例を収録した大改訂版『日本国語大辞典第二版』(以下、「第二版」)を十一月より刊行いたします。本日は、編集委員の先生方に、「第二版」の特色や意義などについてお話しいただきたいと思います。


「第二版」への道

松井 「第二版」に着手する前に『色の手帖』『花の手帖』などの手帖シリーズ、『四字熟語の読本』『擬音語・擬態語の読本』などの読本シリーズ、『国語大辞典』『言泉』『故事俗信ことわざ大辞典』などが出ています。それらには『日本国語大辞典』にはない見出しや用例が入っているものがあります。今回、大分それを取り入れました。

たとえば「あ」の初めの三ページ分だけを見ても、「第二版」で新たに加わった部分がかなりあります。

編集部 三ページで六十七語載っていますが、そのうち、新立項が十二語あります。用例数は百三十例近くありますが、そのうち、四十二例は「第二版」で新たに加わったものです。

北原 語誌を新しく入れる、同訓異字の欄を設ける、表記例を収集するなどという編集方針はずいぶん長い時間をかけて議論してきた成果です。いろいろの新しい特長が盛り込まれました。

編集部 その他にも、「第二版」の大きな特長として、用例に年代を入れるということがありましたね。

松井 「第二版」では漢籍例や漢訳仏典以外のほとんどの用例に、成立年代または刊行年代を入れてあります。用例に年代の入った代表的な辞書としては、イギリスの『オックスフォード英語大辞典』(『OED』)があります。


方言項目の増大

編集部 「第二版」では方言の見出しが四万項目ありますが、異形という形で十万語の方言を収めてあります。

前田 たとえば「もぐら」の形にもいろいろあって、「おごろもち」系と「もぐらもち」系に大きく分かれますが、「おごろもち」系にも「おんごろもち」、「もぐらもち」系にも「むぐらもち」などいろいろあります。「第二版」では、「おんごろもち」「むぐらもち」に、それぞれ二十二語、十三語の方言の異形が示されています。

松井 「あり(蟻)」の方言は「あり」ではなくて「ありご」の項目のほうに載っていますが、たしか八十語ぐらいの異形があったと思います。

出典検討作業
第二版出典検討作業

北原 日本一大きな国語辞典ですからね、日本の言葉を全部集めるという方針でやってきたと思うんです。地域的・方処的という横のバリアントに加えて、今回は歴史という縦軸の言葉のバリアントも充実させました。さらに、隠語や専門語など階層やグループ別の言葉、つまり、位相のバリアントもていねいに扱っています。これらいわば三次元的な言葉のコレクションが、この辞書になっていると私は理解しています。

松井 隠語については、これまで収録されていた『日本隠語集』(1982)『隠語輯覧』(1915)などからの五千項目余に加え、今回は高見順の『いやな感じ』、川端康成の『浅草紅団』、サトウ・ハチローの『浅草』、一瀬直行の『彼女とごみ箱』といった出典からの隠語の用例を補いました。


用例の重要性

編集部 用例を充実させることは、今回の重要な作業のひとつでした。

北原 ほんとうに生きた、具体的な意味を知ることができる、つまり、語釈に役立つような用例がたくさんあればあるほどいい辞書なんです。大きな辞書にはそれが許されます。さらに、同じ語釈が当てられている語でも、時代により、文献により、文脈により微妙に意味が違いますから、そういうことはやはり用例がないとわかりません。

渡辺 言葉というのは、見たり聞いたりする経験と対応しています。その経験と言葉をつないでいるのが意味なんです。その意味のところだけを辞書は語釈として書く。だから、語釈から、それに対応する経験が喚起されないと、実際には使いものになりません。たとえば、ある小学校の六年生の授業で「文化」という言葉が出てきました。先生が「『文化』ってどういう意味だろう」と聞くと、ある生徒が手を挙げて「文明の中の精神的なもの」と答えるんです。辞書にそう書いてあったのでしょうが、大事なのはどういう経験が「文化」という言葉で呼ばれるものかということ。辞書の語釈だけで終わったら、経験喚起のチャンスがありません。その経験喚起の手がかりが用例という形になっているんだと思います。用例は、語の存在証明であると同時に、言葉の空回りを防ぐという意味があります。

前田 「おおまがとき(大禍時)・おうまがとき(逢魔時)」という言葉がありますが、私自身、学生時代には知らない言葉でした。ところが最近のヤングジュニア小説的なものには、怪奇的な場面でこの言葉が頻出します。「魔に逢うとき」というニュアンスです。しかし「おう」と長母音形なのか、「大きい」の「おお」なのか……ということから、まず問題なんです。それは、やはり用例を見なければわからない。この辞書は、規範や定義を求めるのではなくて、歴史的な実例を示して判断してもらう。用例にはそういう役割もあります。

第二版編集部の資料の一部

資料松井 「第二版」では、比喩的な用法のブランチ((1)(2)などの番号をつけた辞書の意味分け)が追加されたものがあります。その例をあげますと、「ガラス張り」の項では「(比喩的に、団体の運営や政治のやり方などが)秘密主義でなく、だれからもよくわかり明朗であること」の意味が新しく加わり、井上ひさし『日本人のへそ』(1969)の「お給料の明細をガラス張りにしてほしいわ」の例があげてあります。また、「開眼」の項では「物事の真理や本質をさとったり、こつをつかんだりすること」という意味とともに、末川博『彼の歩んだ道』(1965)の「この短い修学旅行は、一つの開眼の機を与えたもの……」ほかの例が新たに加えられました。比喩的なブランチに例文を追加したものでは、たとえば「一枚岩」の「組織や団体などが、内部分裂や意見の違いなど無く、しっかりとまとまっていること」の意味に、平野謙『粛清とはなにか』(1957)の「オールド・ボルシェヴィキイが『一枚岩』のように党を守ろうとして」という例を加えました。

渡辺 用例にしたがって、語釈を書き直した例もありましたね。多義語の場合、ブランチの順序や語釈に手を加えたものもあります。多義語のブランチ分けは難しく、とくに基本的な語彙には、最後までこの問題がつきまとう。各執筆者が直観でやっているというのが実情でしょう。目立ちませんが、今回、かなり手を入れた部分です。

前田 意味ブランチの分けかたというのは、現代語だけで考えるならば、これは意味論的にこう分けるべきだという方もあるかもしれませんが、実際の古い用例では、どういうふうに使われているかということを考えながら配列するほうが、こういう大きな辞書としてはふさわしいんじゃないですかね。

渡辺 おっしゃるとおりですね。やはり歴史主義は大事だと思います。古語から現代語まで、日本人が使ってきた言葉の総目録は、日本人の思考や感情の総目録でもあるんですから。


近代例の増補

編集部 「初版」でも近代作家の用例は目立っていますが、「第二版」では、さらにふえています。明治以降の代表的な作家四十人の用例だけで、十一万例あります。とくに、夏目漱石が約一万二千例、森鴎外が約六千七百例収録されています。また、文学作品以外の資料からの用例を充実させました。「初版」にもある明治時代のベストセラーである中村正直の『西国立志編』から約三千五百例収録されていますが、今回は久米邦武の『米欧回覧実記』から四千例、そのほか『西洋事情』『日本之下層社会』『女工哀史』などからも多くの例を収めました。

 近代例がふえると、まず、安心するね。身近に知っている作家がこう使っていたのかということがわかると安心する。

渡辺 実際に使うときの証明や裏付けになるという点で意味があります。しかし、言葉の意味の変化では、幕末・明治初期が大きな曲がり角だったと言えるんじゃないでしょうか。副詞のたぐいが現代のような使い方になるのは、案外新しいでしょう。たとえば「まさか」という副詞にしても、明治時代までは「まさか負けることはあるまい」という用法のほか、「まさしく、本当に」の意味でも使われていました。二葉亭四迷の『浮雲』(1887‐89)にも後者の例が見られますが、現在では方言に「まさかうめえや」というような言い方が残っているようですね。その方言例として長塚節の『土』(1910)も引かれています。

北原 あらためて漱石や鴎外を読んでみると、こんな言い方があるの? と驚くような用例が実にたくさんあるんですよね。ヨーロッパの言葉の翻訳も含めて、明治期には漢語が急激に増加しましたが、現在は使われていないものもずいぶんあります。それが今度の辞書では用例としてでなく、項目として新しく取り上げられています。実用的に明治期のものを読むのに役に立つし、言葉の遺産を収めるという意味でもよかったと思います。

第二版編集作業
第二版編集作業

前田 明治期の資料はいろいろ紹介されるようになりましたね。たとえば鴎外や漱石よりもさらに以前の用例が実は問題なのでして、漢語辞書などではそのへんの事情をずいぶん正確に知ることができるようになりました。


用例の拡充

編集部 今回、用例を集めるためにいろいろな部会ができました。中世語部会、近現代語部会、記録語部会、仏教語部会、漢語部会などがあり、そうした部会には今日はご出席いただけなかった編集委員の久保田淳先生、谷脇理史先生にも加わっていただきました。

北原 中世語部会の成果として、とくにキリシタン資料や中世の抄物の用例がたくさん入ったことがあげられますね。現在では、気分や性格についていう「さばさば」は、古くは「感覚的にさっぱりとしていて、気持のよいさまを表わす語」で、今回『足利本人天眼目抄』(1471‐73)の用例が入り、初出例が『浮世風呂』(1809‐13)からいっきに三百年以上遡りました。それから、狂言については、私の作った「虎明本」と『狂言記』の索引が役に立ち、ひじょうに充実したと思います。


語誌欄の新設

編集部 「第二版」の大きな特色の一つは、語誌欄の新設だと思います。三百五十人の先生方にお願いして、約五千か所に語誌が載っています。

北原 語誌は、語を総合的な観点から解説することだと思うんです。書き手しだいで切り口がいろいろに変わってくるわけで、とても面白いものがありますね。

渡辺 語誌を読んでいてたいへん面白かったんですけれども、いちばん面白かったのは、事物起源みたいな、文化史に関わっているということですね。言葉そのものの語源だとか変化だとかいうのは、これはどちらかというと本文のほうの守備範囲ですよね。

前田 私は語源に触れて「どうして……」という疑問に答えたいんです。たとえば「おにぎり」。「おにぎり」と「おむすび」はどう違うのか。「おにぎり」を見ますと、古くは「にぎり飯(いい)」で、その「いい」が「めし」に転じて「にぎりめし」という言葉に変わってきます。その「にぎりめし」の後半が省かれ、さらに「お」がついて「おにぎり」になった。そういう説明は「おにぎり」の語義的な説明の中にはちょっと入れにくいので、語誌で説明します。同じように「おむすび」にも説明があります。「むすび」というのは「結ぶ」の名詞形で「むすぶ」は「飯(いい)をむすぶ」、「手を結んで開いて」のようにてのひらを閉じる意に通じ、飯については握るに当たるのではないか、と書いてあります。

 本文では意味用法が区切って説明してある。意味のそういう多様性がどう展開したか。その展望ですね。

第二版のゲラ

第二版のゲラ「におう(匂)」などは、上代では目で見た用例が多いけれど、中古以来鼻で感じる例が多くなって、それが更に一種雰囲気として伝わるものになる。情緒・情趣の伝わり方に関するものとして、連歌や俳諧での用法もその系統でしょう。一方くさい臭いも古くからあるが、近代になって、特にそのために「臭」が用いられるようになった。「匂」の字は、もと「韻」の別体「韵」から出て、それは「におう」が聴覚の場合にも用いられたからというわけ。まあこれも語誌の一つの例。


辞書欄の補充

編集部 「初版」の「古辞書」欄は、『新撰字鏡』『和名抄』『名義抄』や『節用集』など十四種類の古辞書にその語があるかないかを示したものですが、「第二版」では名称を「辞書」欄に変え、『日葡辞書』『和英語林集成』(再版)、『言海』を加えました。

渡辺 『和英語林集成』は三版まであります。初版はともかくとして、再版では英和の部が大分ふえて、和英の部はあまりふえませんでした。三版では印刷所が上海から日本へ変わって、日本語がどんどんふえ、和英の部がものすごくふえます。しかし、三版の『改正増補和英英和語林集成』(1886)は『言海』(1891)と刊行年代が近いこともあり、再版を使うことにしました。

前田 やはり『日葡辞書』や『和英語林集成」は語彙が多く、しかも語形が正確に出ているという点で出色です。『和英語林集成』は明治初期のいわゆる新漢語を扱う上でも重要な辞書だと思います。


「第三版」に向けて

編集部 最後に、さらなる『日本国語大辞典』の発展に向けて、お話しいただければと思います。

渡辺 語釈の記述の充実は永遠の課題で、それは将来の「第三版」のために大いに頑張ってほしいと思います。

北原 この辞典の最大の特長は大きさです。本欄、語誌欄、アクセント欄などいろいろ入ります。この各欄をさらに充実させながら、それらが統合されて「第三版」に生かされるようにしていただきたいです。

前田 個人的には、いろいろな要望に応えられるような辞書であってほしいです。読者の希望を受け入れつつ、ひとつの日本文化の集大成としての辞書の姿を追求していただきたいのです。

松井 「第三版」を担当して受け継いでいく編集者が出てくるかどうか、それがいちばんの心配です(笑)。私は生涯、増補する仕事をお手伝いしたいと思っておりますが……。

 保存事務所、発展事務所を考えないといけないね。少なくともそういう組織が必要だという声はあげておく必要があるでしょう。

渡辺 「第二版」で先細りになるのはもったいない。これはほんとうは国家の事業としてやるべきことです。それをよく一企業がなさった。これは大いに文化勲章ものだと思うんですよ。

北原 韓国では今、国の辞典を作る必要があって国家事業として辞典編集を急いでいます。我々の国では一企業に大辞典をつくってもらっている。この仕事はもっと国が評価しなければいけないことだと思いますね。

(小社会議室にて)

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