第4回
はさみことば(からこと)
アメリカの女流作家クレイグ・ライス(Craig Rice)のミステリー『スイート・ホーム殺人事件』(HOME SWEET HOMICIDE, 1944)に、子供たちの次の会話があります。
「ダカ・イキ・ジョコ・ブク?」ダイナ(十四歳の少女)がエープリル(十二歳の少女)にいいました。
「ゼッケ・タカ・イキ・ニキ」エープリルは嬉しそうです。
「英語でおっしゃい」マリアン・カーステアズ(子供たちの母)は難しい顔をこしらえていいました。
「英語なんだい」アーチー(十歳の少年)が黄色い声をあげました。「タット王の英語なんだい。あの意味教えてあげようか。みんな始めの字の――」
「オコ・ダカ・マカ・リキ」エープリルが慌てていいながら、食卓の下で彼を蹴りました。
(長谷川修二訳)これについて、雑誌『宝石』の昭和26年10月号所載の座談会「海外探偵小説を語る」の中で、翻訳した長谷川氏が、
あの中に私翻訳文にして、いわゆる深川言葉というのを使ったでしょう。「おこだかまかりき」あれも英語にその通りあるのです。
と説明し、それについて、江戸川乱歩氏が、
僕は名古屋で子供の時に使いましたよ。深川の独占じゃない。…僕の平井太郎という名前をからかう時には「ひんらん、たんろん」という風にやる、アメリカにもそれがあるんですね。原則としては余計な仮名を一字ずつ入れるんだ。
と補足しています。
この原文がどうなっているのか知りたくて、いろいろと探してみたのですが、ヘミングウェイとかモームとかいうような作家の作品ではないので、見ることができませんでした。この原書をお持ちのかたがあったら、chapter2の初めの方のコピーをいただけませんでしょうか。
長谷川氏が深川言葉と言っておられるように、これは深川の遊里で始まったものと思われます。
明和七年(1770)版の洒落本『辰巳之園』に、深川の遊里での会話に、
(女)セケントコノヲコヒキノ、カカネケヲ、トコリキニ、キツタ。
(お長)イキマカニ、シキココウクサカンカガ、モコッテ、ククルカカラカ、ソコレケマカテケト、イキウクテ、ククレケ、ナカサカイキ。
という箇所があります。この本の末にこの遊里の言葉の説明があります。
唐言(からこと)と名付けて、五音(ごいん)を以ていふこと、人の知る所なれど、ここに表す。
○アカサタナハマヤラワ この通りへ カ
○イキシチニヒミイリヰ この通りへ キ
○ウクスツヌフムユルウ この通りへ ク
○エケセテネヘメエレヱ この通りへ ケ
○オコソトノホモヨロヲ この通りへ コ
右のごとくカキクケコの五音の字を付けて言ふなり。たとへば、客と言ふ時は、キキヤカクク。また女などとはねる時は、付け字にてはねるなり。女はオコンナと、オの字へつくコの字をはねるなり。清濁は本字にすぐに濁るなり。
これを参照して、本文の二人の会話を読むと、
(女)「せんどの帯の金を取りに来た。」
(お長)「今に志厚さんが持って来るから、それまでと言うてくれなさい。」
ということです。
『スイート・ホーム殺人事件』の子供たちの会話は、
「ダイジョブ?」
「ゼッタイニ」
「オダマリ」
ということになります。
安永四年(1775)に出た恋川春町作の最初の黄表紙(大人向けのパロデイ絵本)『金々先生栄花夢』にも、深川の場面に、
茶屋の女、唐言にて合図をし、金々先生を茶にする(ばかにする)ところ。
「ゲコンカシコロウサコンケガ、キコナカサカイコト」
源四郎さんが来なさいと、よしかえ(いいかい)
「イキマカニイケクコカクラ、マコチケナコトイキツケテクコンケナ」
(今に行くから、待ちなと言ってくんな)。よく言ってくんねえ
とあります。『辰巳之園』を踏まえたものです。きちんとカ行の同じ段の音が挟まれていないところがあります。
天明元年(1781)に出た朋誠堂喜三二作の黄表紙『見徳一炊夢』では、長崎丸山の遊郭で、唐人が、
「ぶくききよこおこなかてけだか」
不器用な手だ
と言うのを、通辞(通訳)が、
「御器用な御手跡ぢゃと、先生お褒めなされます」
と反対に翻訳し、また、中国へ渡った日本人が、唐の女から
「いきききなかおことこここだかねけ」
粋な男だね
と言われるが、「何のことか一っぱも分からねえ」と言います。唐人だから唐言で話すのです。唐言という語が通人の間に広まっていたことが分かります。
こういう隠語を唐言などと言うことはもっと古く、イエズス会で1603年に出版した『日葡辞書』に、「カラゴン、すなわち、カラコトバ。わかりにくくてよく了解できない言葉。」、慶長十一年(1606)ころに出版された『犬枕』に、「悪かたぎ(意地悪)なるもの。…知った同士の唐言」とあります。普通の日本語でないから中国語というわけです。
元禄六年(1693)刊の『茶屋諸分調方記』に、京阪の遊里で用いた「のの字言葉」「しの字言葉」というのが見えます。「のの字言葉」は「埒のあかぬ客」ということを、「らのちのあのかぬきゃのくの」と言い、「しの字言葉」は、「銀(かね)のありそむない男」ということを、「かしねしのあしりそしむしなしいしおしとしこし」と言うのだそうです。一音節ごとにノやシをはさむのです。
天保四年(1833)刊の人情本『春色梅児誉美』三編に、「野暮と洒落との間には、心浅間ののの字とり」という一節があります。具体的な用法は記してありませんが、そのころの江戸の遊里には、ノを抜いて言う隠語があったのでしょう。
深川の唐言は明和・安永ころの流行語で、以後はほとんど見られなくなりました。本来は遊里の内部の人々の隠語だったのが、一般社会に流れ出て、大人たちが使っていたのを、子供たちがまねるようになり、一時の流行なので大人は使わなくなっても、子供は暗号のように用い続けたのでしょう。長谷川修二氏は、子供の時にそんな遊びをなさって、アメリカの子供たちの世界を翻訳するのに、それを思い出して用いたのでしょう。
友人にこの話をしたら、子供の時に、それぞれの音節の後にバビブベボを付けて、初めのオダマリならオボ・ダバ・マバ・リビと、暗号めかして言う遊びをしたと教えてくれました。地方によってそんなヴァリエーションもあったようです。各音節の後にノサを入れて、オノサ・ダノサ・マノサ・リノサと言うこともあります。江戸川乱歩氏の発言のヒンランタンロンは、ノサではなくンなのでしょう。これらは「のの字言葉」「しの字言葉」に近いもので、全部同じものを入れるだけですから、カキクケコやバビブベボの場合の面白さには劣ると言えましょう。
近松門左衛門の浄瑠璃『心中天の網島』(享保五年〈1720〉初演)は、
さん上ばっからふんごろのっころちょっころふんごろで、まてとっころわっからゆっくるゆっくる ゆっくるたが、笠をわんがらんがらす、そらがくんぐるぐるも、れんげれんげればっからふんごろ
という騒(ぞめ)き歌で始まり、大阪の曾根崎新地の場面になります。この歌によって遊里の歓楽的な雰囲気を盛り上げています。
この歌は、近松の作品の中で随一の難解なものとされていますが、元禄十七年(1704)に出た歌謡集『落葉集』(四)を見ると、「づんがらもんがらからづんがらもんがら」(づんがらもんがら踊)、「よっくるよっくる」(新庄のや踊)などの意味のない囃し言葉を入れたものがあるので、これを参考にして、「っから」とか「がら」などを意味のないものとして除けば、
さん上(三条)ばふのちよふ(坊の町)でま(待)てとはゆ(言)たが、かさ(笠)をわす(忘)(れた)、そら(空)がくも(曇)ればふ(降)ろ。
ということになり、類似した内容の歌があるので、これはたぶん遊里を中心に流行した歌だろうと言われています。
こういう無意味なものをはさむ歌い方があったのか、それとも近松がこういう歌い方を考えたのかは分かりません。いぜれにせよ、当時の観客は、この歌を聞いて、もとの流行歌を思い出すことができたのでしょう。
これは一音だけ加えるものに比べると、かなり込み入っています。この歌謡が行われなくなれば、意味が分からなくなりますから、近松作中随一の難解なものとなったのでしょう。
もっと長い言葉をはさむこともあります。
江戸川乱歩氏が大正十二年に発表して、日本探偵小説の先駆けとなった処女作『二銭銅貨』は暗号解読の小説です。ある暗号を解くと、
ゴケンチョーショージキドーカラオモチャノサツヲウケトレウケトリニンノナハダイコクヤショーテン
となった。これを八字ずつ飛ばして読むと、ゴジヤウダン(御冗談)になるというのです。こういう形式の暗号を分置式というそうです。
江戸川乱歩氏は、暗号の中で「所要の字、語、句の間へ、適宜無用の字、語、句を挿入して文意を不明ならしめる方法」のものを「挿入法」と名付けています(「類別トリック集成」『続幻影城』所収)。そして、その例として、シャーロック・ホームズの生涯で最初の事件である『グロリア・スコット号』(The "Gloria Scott"『シャーロック・ホームズの思い出』(Memoirs of Sherlock Holmes, 1894)に収録)の、次の手紙をあげています。
ロンドン向けの猟鳥供給は着実に増しつつある。猟場主ハドソンは、私の信ずるところによれば、蠅取り紙と貴下の雌雉の生命保存に関する注文を受けるべく、すでに命令を受けている。〈小池滋氏の訳による〉
ホームズは、この手紙を二語おきに読んで、
万事休す。ハドソンすべてをばらした。命が惜しけりゃ逃げろ。
と解読します。
このように単語をはさむ暗号は、日本語では考えにくいものでしょう。そのいちばんの理由は、日本語では分かち書きをしないということではないでしょうか。
延原謙氏の訳では、この手紙を、
万 雉の 静穏なる 事 ロンドン 市の 休 日の 如く ハドスン 河の 上流は 凡て 雌雉 住むと 語れり 蠅取紙の 保存は 生命 ある ものを 危険 なる 状態より 直ちに 救いて よく 脱出せよ。
解読文を、
万事休す。ハドスン凡て語れり。生命危険、直ちに脱出せよ。
としています。分かち書きしてあるから読めますが、続けて書いてあったらどうにもなりません。原文を示さないで強引に訳した延原氏の手腕には感服しますが、原文とはだいぶ違ったものになっているのは、やむを得ないところです。
2002-09-24 公開