第13回
当て字-魚詞母海蕎袋-
今回のサブタイトルについては、後で種明かしをします。
英語の話から始めます。
ghotiと書いて何と読むか。fishと読むのです。enoughのghがf、womenのoがi、nationのtiがshと同じ発音です。これは、イギリスの劇作家・批評家のバーナード・ショウ(1856-1950)が言い出したとも、ショウがだれかから教えられて言ったのが広まったとも言われていますが、ほんとうのところは、皮肉屋で挿話が多いショウのことにされたのではないしょうか。
英語には綴り字のとおりに読まない語がかなりあります。それを用いた遊びです。
同じ字を雨(あめ)雨(さめ)雨(だれ)と雨(ぐれ)るなり(柳多留・三三)
という古川柳があります。春雨(はるさめ)のサメ、五月雨(さみだれ)のダレ、時雨(しぐれ)のグレです。さらに付け加えれば、梅雨(つゆ)のユ、暴風雨(あらし)のシ、白雨(ゆうだち)のダチもあります。
寛延二年(1749)成立の随筆『南嶺子』に、著者の多田南嶺が敦賀(福井県)の金ヶ崎で、按摩から「海」という字には訓がいくつあるかと聞かれ、音はカイ、訓はウミというより外には知らないと言ったところ、海老をエビ、海月をクラゲ、海人をアマ、海苔をノリ、海鼠をナマコと読む時は、エともクともアともノともナとも読むだろうと言われ、今まで知らなかったが、「かかること言ひつのりては更に益無し。」と負け惜しみを書いています。
海の字はアイウエオと読めると言います。海女(あま)のア、海豚(いるか)のイ、海丹(うに)のウ、海老(えび)のエ、海髪(おご)のオというわけです。他に、海鼠腸(このわた)のコ、海星(ひとで)のヒ、海松(みる)のミ、海豹(あざらし)のアザ、海驢(あしか)のアシ、海原(うなばら)のウナ、海象(せいうち)のセイもあります。
こういう当て字を用いた遊びは、江戸時代の笑話の本にいろいろと見えます。
寛永五年(1628)成立の安楽庵策伝の『醒酔笑』(三)のもの。
ある人が小姓をカスナギと呼んで使うので、客が理由を尋ねると、春長と書き、春日のカス、長刀のナギだと答えた。
革細工師のところへ来たある武士からの太刀に添えた手紙に、「この日々念を入れたまはり候へ。」とあり、読めないので、じかに武士のところへ行って尋ねたら、「上の日は朔日(ついたち)のタチ、次の日は二日のツカ、太刀の柄を巻いてくれよということだ。」と言った。
「地蔵講」と書いてあるのを、大蔵という人は「地くら講」と読み、武蔵は「地さし講」と読んだ。
「日四五斗賜り候へ」という手紙が届いたが、読めないのでその手紙を返し、後に尋ねたら、「七日」のヌカという字を知らないのかと言った。
寛文十一年(1671)刊の『私可多咄』(三)のもの。
大日をヤマモリと読んだ。大和の大(やま)と晦日(つごもり)の日(もり)。
「烏丸」のカラの字は、烏帽子(えぼうし)のエボだが、室町のモロ(訛りです)は何と読むかと言ったところ、「御室(おむろ)」のロの字だよと言った。
貞享(1684-88)ころの『日待ばなしこまざらひ』(上)のもの。
うど(野菜の独活でしょうか)という字は人と書く、口人(くちうど)のウドだ。
「くちうど」は『日本国語大辞典』に見えない語ですが、仲介人の意味でしょうか。仲人(なこうど)、商人(あきうど)などのウドでも良いでしょう。
享保十六年(1731)刊の『続一休咄』(三)の「一休当て字を訓みたまふこと」という章のもの。
京都の品を調えたいという田舎の人からの注文の中に、「鳥羊」とあるのが読めないので、一休に教えを乞うたら、トリモチである、羊は羊躑躅(もちつつじ)のモチであると教えた。
柄巻屋へ「仕前に御越」という手紙が来たのを、「柄祭(つかまつり)前に御越」であると読んだ。
安永五年(1776)の『鳥の町』のもの。
当て字を書く人から「柳日を借用申したし」という手紙が来て、朔日(ついたち)のタチと思ったが分からないので、当人に尋ねたら、「晦日(つもごり、つごもりの訛り)のゴリの字ぢゃ。柳行李を借りたい。」と答えた。
こういう当て字をいくつも載せている本もあります。
享保十三年に出た『背紐(うしろひも)』という謎の本には、「海里十納年(あてじなぞ)」という題の部分があります。これには下にヒントが付いていて、「海士、万里小路、納豆」と書いてあります。海が海士(あま)のア、里が万里小路(までのこうじ)のテ、納が納豆のナで、書いてありませんが、十は三十(みぞじ)などのジ、年は年(こぞ)のゾでしょう。
載せている謎は次のようなものです。ヒントを参考にして読んでみます。
楽殿 十枚
雅楽ウタのタ、縫殿ヌイのイ。鯛
小豆頭 一組
小角豆ササゲのサゲ、饅頭マンジュウのジュウ。提げ重
月豆 十枚
月代サカヤキのサカ、赤小豆アズキのズキ。盃
士人 一足
海士アマのマ、舎人トネリのリ。毬
三十野松 一桶
三十はミソ、上野コウズケのヅケ、松明タイマツのタイ。味噌漬け鯛
明長 一籠
松明のマツ、長はタケ。松茸
日野 一下
朔日ツイタチのタチ、下野シモツケのツケ。裁著〈たちつけ。袴の一種〉
旅小男 五本
旅籠ハタゴのハタ、小男鹿サオシカのサオ。旗竿
これまで何度も引用した式亭三馬の『小野字尽(おのがばかむらうそじづくし)』(文化三年刊)に、「難字和解」というのがあり、
1. 和七(とだな)
2. 寸宮(とつき)
3. 日武(もりもの)
4. 大生壬(やまぶみ)
などが挙げてあります。
1は「大和(やまと)」のトと「七夕(たなばた)」のタナ。
2は「一寸(ちょっと)」のトと「斎宮(いつき)」のツキ。
3は「晦日(つごもり)」のモリと「武士(もののふ)」のモノ。
4は「大和(やまと)」のヤマと「壬生(みぶ)」を逆にしてブミ。
これらは、当時行われていたものを採録したのでしょうか、それとも三馬の独創でしょうか。
どうしてこういう遊びができるのでしょうか。
漢字の訓は、「人」がヒトであるように、漢字一字(一単語)に対して和語一単語であるのが普通ですが、時に、中国では「明日」と二単語で言う語を、日本ではアスという一単語で言うような例があります。その場合、「明日」の二字でアスと読むことになります。このように二字以上の漢字がまとまって一つの訓になるものを熟字訓と言います。これを用いて、「明」をア、「日」をスと読むことで、ことば遊びが成り立ちます。
初めに記したサブタイトル「魚詞母海蕎袋」は、「ことばあそび」と読んでください。雑魚(ざこ)の魚(こ)、祝詞(のりと)の詞(と)、伯母・叔母(おば)の母(ば)、海女(あま)の海(あ)、蕎麦(そば)の蕎(そ)、足袋(たび)の袋(び)です。常用漢字表の付表は、「いわゆる当て字や熟字訓など、主として一字一字の音訓として挙げにくいものを語の形で掲げた」ものです。全部をこの付表の中でまかないたかったのですが、残念ながらソになる字はありませんでした。
一字で二音節以上になるものも使ってみたいと思って、
海崩(ウナダレ)海原、雪崩
衣紅(カタモミ)浴衣、紅葉
鏡楽(カネグラ)眼鏡、神楽
大雪(ヤマブキ)大和、吹雪
など作ってみました。
『宇治拾遺物語』(三-一七)に、嵯峨天皇が「子」を十二書いて、小野篁(おののたかむら)に示したところ、「ねこのこのこねこ、ししのこのこしし(猫の子の子猫、獅子の子の子獅子)」と読んだという話があります。この説話は好まれたようで、以後のいろいろな本に載っています。
これは熟字訓によるのではなく、「子」という一つの漢字に、音のシ、訓のコ、ネがあるので、それを使っていろいろに読んでいるのです。先に引いた『背紐』には、
虫選み
六(む)子(し)えらみですが、「えらみ」はどこから出るのでしょう。
胸虫
六(む)子(ね)六(む)子(し)
婿入り
六(む)子(こ)ですが、「入り」はありません。
峰々
三(み)子(ね)三子
爾笑々々
にこにこにこ。二(に)子(こ)二子二子
実岑
さねみね。人名。三(さ)子(ね)三(み)子(ね)
小六
これも人名でしょう。子(こ)六
合歓
ねむ。子(ね)六(む)
蒸し立つる
六(む)子(し)立つるですが、「立つる」はありません。
という読みも挙げています。今なら常用漢字表にスという音もあるから、
寝耳に水
子三三(ねみみ)二三子(にみす)。苦しいが、三三は足し算、二三は掛け算とします。
隅々(すみずみ)
子三(すみ)子三
御簾(みす)越しに
三子(みす)子(こ)子二(しに)
ここ涼しいね
寿司少しね
など、さらに別の読みかたも考えられましょう。
天文十七年(1548)成立の辞書『運歩色葉集』に「子子子」をネジコと読んでありますが、どういう語かわかりません。享保二年(1717)刊の辞書『書言字考節用集』には「子々々」と書いてネコシと読む姓氏が載っています。ネジコも姓氏でしょうか。
2003-06-23 公開