第21回
ん回し など
上方落語に「田楽喰い」という話があります。皆で田楽を食うことになり、田楽はそう、味噌をつけたとかなんとか言うさかいな、ええ、げんを祝うて運がつくように「ん」まわし。んを一つ言うたらみな一本取って食べるのや。ということで始まり、
れんこん(蓮根)
にんじん(人参)・だいこん(大根)・なんきん(カボチャのこと)
みかん(蜜柑)・きんかん(金柑)、こっちゃ好かん
坊(ぼん)さん、ぼんのくぼに天花粉(てんかふん)
てんてん天満の天神さん
など、だんだん長いものになり、最後に、
先年神泉苑の門前の薬店、玄関番人間反面半身、金看板銀看板、金看板根本万金丹、銀看板根元反魂円、瓢箪看板、灸点
と言って四十三本請求します。(『米朝落語全集 第四巻』による)
東京落語では「寄合酒」でこれをやったのですが、六代目三遊亭円生によると、「現在皆演っている「寄合酒」は昔のとはかなり変わってきています。…それから、「ん廻し」のところ、あれも今はあまり演らなくなりました。」ということです。(『円生全集 別巻上』による)この「ん」を言って田楽を食うという話は、江戸初期の『きのふはけふの物語』(上)に、次の話があります。寺で稚児や法師が寄り合い、田楽をあぶり、「何にても、三つ撥(は)ねたること(ンを撥ね字と言います)を言ひて賞翫せう。」ということになり、
うんりんいん(雲林院)
なんばんじん(南蛮人)
せんさんびん(煎茶瓶)
しんせんねん(神泉苑)
など言って、一串ずつ取る。小稚児が、
こんげんたん(昆元丹)
という薬の名を言い、「焦げたる」の洒落でもあると言って二本取る。幼い僧は食うことができず、
ちゃんうんすん
と、茶臼に無理にンを付けて、十ばかりひったくった。
ほぼ同じ話が『戯言養気集』『醒睡笑』にも出ています。現代なら、アンパンマンとか、新幹線とかで田楽を食べられることになります。万治二年(1659)刊の『百物語』(上・四八)になると、「何にてもはね字を続けて、言ひ次第に幾串なりとも食ふべし。」となっていて、ンを三つではなくなります。そして、
なんばんもんめんさんだんはん南蛮木綿三反半か。
せんあんきんへんもんあんはんきんかんまんきんたんゐんしん金柑・万金丹以外は分かりません。
と長いものを言うようになります。最後はやはり、
はんねんつんるんべん撥ね釣瓶
ちゃんうんすん茶臼
と、無理にンを付けることになります。
こういう短い話が、三百余年の間に上方の落語家たちによって、「田楽食い」に磨き上げられたことになります。『百物語』以後の本に類話を見つけることができませんでした。笑話は短くて切れ味の良いものが優れているので、長いものはダレることになります。読む者にとっては、『きのふはけふの物語』のもののほうが、『百物語』のものより面白いのではないでしょうか。それに比べて、落語家がおかしい口ぶりで身振りを交えて語ると、長い話が興味深いものになります。『百物語』以後に類話が見つからなかったのは、そんな理由もあるのではないでしょうか。
「火回し」という遊びがありました。『日本国語大辞典』に、「子どもの遊戯の一つ。数人が輪になってすわり、火をつけた線香やこより・紙燭(しそく)などを持って、しり取り遊びのように物の名を言いながら順に回し、言いつまって火が次第に指に迫ってあわてるのを興じ、火が消えたものを負けとする。同音で始まる物の名を順次あげてすることもある。火文字ぐさ。火文字ぐさり。火の字まわし。火回り。火渡し。火やろ。」とあります。長治二、三年(1105、6)ころに堀河天皇に詠進した『堀河百首』に、源国信の
みどり子の遊ぶすさびに回す火の空しき世をばありと頼まじ一五五五
という歌がありますから、すでに平安後期にはあったことになります。
宝永四年(1707)初演の近松門左衛門の浄瑠璃『心中重井筒』(中)に、大阪の島之内の遊女屋重井筒屋で、遊女の房を中心に火回しをするところがあります。
引き裂き紙の捻(ひ)ね元結で火回しを、「ひの字」、「日野絹。房様なんと」、「わしは独り寝」、「アアいまいまし、緋無垢」、「冷や酒」、「曳舟」、「火桶」、「雲雀」、「鵯(ひよどり)」、「比叡の山の」、「檜の枝に」……「こちは祝うて姫小松」、「緋縮緬(ひぢりめん)解く人目の隙(ひま)に、鬼も来るなと柊や」、「ひよこ」、「ひしこ」、「一文字」、……飯炊きは来て「火吹き竹」、料理人まで「冷やし物」、駕籠の彦兵衛「膝頭」、「柄杓」、「緋緞子(ひどんす)」、「蟇(ひきがへる)」、「平野蒟蒻」、「菱紬」、……「南無三宝、火が消えた」
「同音で始まる物の名を順次あげてする」のはヒであったことが分かります。
火回しに禿(かむろ)引け四つたんと言ひ柳多留・四
禿は遊郭で見習いの少女。引け四つは閉店時間の深夜十二時
火回しにお妾(めかけ)日なし貸しと言ひ柳多留拾遺・二
日なし貸しは毎日少しずつ返す契約で金を貸すこと
火回しに日当たりと言ふ紺屋の子柳多留・三三
などの川柳も、ヒで始まる語を言うことであることを示しています。
ヒで始まる語を言うのは、火回しだからでしょう。大田南畝の随筆『一話一言』(五)には、ヒで始まる言葉を拾い集めて本にしていた火回しの名人の話が引用してあります。江戸初期の笑話本にもヒで始まる語を続ける話があります。『百物語』(上・二七)には、火回しを始めて、ヒの字が頭に付いた語を順に言い合い、ヒバリ、ヒヨドリと続いた後に、火回しを知らない者が、鳥の名を言うことと心得て、フクロウと言ったので、大笑いになった、という笑い話があります。
寛文十二年(1672)に出た『一休関東咄』(中・一〇)のも、知らないで恥をかく話です。ヒヂリメン(緋縮緬)、ヒザヤ(緋紗綾)、ヒドンス(緋緞子)の後に、知らない者がヒハブタイ(緋羽二重)と言い、一休に「緋羽二重という物は知らない。」と言われて腹を立て、「皆がヒヂリメン、ヒザヤ、ヒドンスと言うのに、ヒハブタイと言わないことがあるか。」と言った。それより後で、一休が「ひごく郎」と言ったのを咎めると、愚僧の寺の門番だと言われて合点し、次に「九郎助」と言い、合点が行かぬと言われると、「そなたの寺のひごく郎ばかりが門番か。こちの寺の九郎助も門番ぢゃ。」と言った。
貞享四年(1687)刊の『はなし大全』には、「火やろ」で「いろは回し」をして、糸、楼閣、花、仁王などと続き、チに当たった字の読めない者が、「ちりぬるをわか」と言って、「いろは回しといふは、かしら字を取って言ふ事ぢゃ。」と教えられ、「それならば、ち。」と言うと、「いや、一字ではならぬ。」と言われ、「長く言へば長いと言ひ、短く言へば短いと言やる。もはや言ひやうが無い。」と腹を立てる話があります。これは珍しくイロハ順です。
『醒睡笑』(五)には、「い文字鎖」を少人が集まってしたという話があります。具体的なことは書いてないのですが、これもイで始まる語を連ねるのでしょうか。
大人の遊びとしては単純過ぎるようですが、テレビで、膨らまし続ける風船を、何かをしながら順に手渡す遊びを見ることがありますから、現代でも大人が似たことをやっていると言えるでしょう。
「有卦(うけ)に入る」は、今は、幸運をつかむ、調子に乗るの意味に用いますが、本来は、その人の生まれ年によって決まっている縁起の良い年回りに入ることです。この年は七年続きます。
中国では隋唐のころから見られ、日本にも古くから伝わったものと思われるが、仮名暦に載ったのは貞享からだそうです。宮中では諸方から祝いの献上物があったそうですが、民間では、フの字の付いたものを七つ集めて祝い事としました。七種類集めるのは七年続くことと関係があるのでしょう(古今要覧稿・暦占)。フは福のフでしょうか。
大田南畝が、文化七年(1810)に有卦入りの祝いに詠んだ
有卦に入る数は七年(ななとせ)何事も笑うて暮らせふふふふふふふあやめぐさ
という狂歌があります。詞書に「ふ文字七つ重ねて」とあるのですが、南畝の作としては少し手抜きのように思います。
平戸藩主である松浦清(号、静山)が文政四年(1821)から書き始めた膨大な随筆『甲子夜話』(一一)に、有卦祝いにフを七つ詠みこんだ歌が二首出ています。一首は松平定信の歌、富士の根をふりさけ見れば昨日今日降りかふ雪の深き色かな「フじ、フりさけ、きのフ、けフ、フりかフ、フかき」で七つ。
もう一首は熊本藩主である細川家の母の福子の歌、 吹きまよふ花の吹雪を踏み分けて昨日も今日もみ吉野の山「フきまよフ、フブき、フみわけて、きのフ、けフ」で七つです。
安永二年(1773)刊の笑話本『聞上手』には、次の話があります。
ある人、有卦に入れば、フの字の付いたものを七色揃へるといふことを聞いて、友達に向かひ、「コレ、おれはの、今年有卦に入ったから、ふの字を七つを用ゐた。聞いてくりゃれよ。まづふっと思い付いて、二人連れでふらふら出掛けて、舟に乗ってな、深川へ行って、二人あげた。何と良かろうが。」と言へば、友達聞いて、「イヤ、まだそれでは一つ足らぬ。」と言へば、「オオそれよ。振られた。」
揚げ足取りをすると、すでにフは七つあるようです。「二人」は二度あるから一つと数えたのか、「ふらふら」は一つとしたのか。それを言うとオチが付きませんが。
平安中期に編まれた『古今六帖』(四)に、先の南畝の狂歌のような歌があります。
夢にのみききききききとききききとききききききといたくとぞ見し二一七五
君によりよよよよよよとよよよよと音をのみぞ泣くよよよよよよと二一七六
後者の「よよ…」は泣き声ですが、前者の「きき…」は分かりません。どちらもたいした歌ではないようです。
狂歌には同じ字をいくつも詠みこんだ作がいろいろあります。その中で、栗柯亭木端の元文五年(1740)刊の『狂歌ますかがみ』に載る、イロハのイからスまでの四十七字をすべて十ずつ詠みこんだ四十七首は壮観です。イとロの二首をあげます。
勇ましくはいはいはいと大勢が言うていそいそ勇む国入り
峰の色はぼろろぼろろと山下ろしのそろそろ吹きおろす初冬の頃ほひ
俳諧にもいろいろとあります。その中からいくつか。
寛永十年(1633)刊の江戸時代最初の句集『犬子集(えのこしゅう)』(一)に、
ある人の云ふ、菜を七つ置きて七草の発句せよとありければ、
沢山な菜は七草の薺(なづな)かな
という句があります。七草だからナ(菜)を七つ入れたのです。
正保二年(1645)刊の『毛吹草』(六)にも、「菜を七つ入れて」という題の七草の句があります。
長くただ薺七つ菜たたくかな重長
これは回文です。
『毛吹草』(六)には、やはり回文で、
寒さのみ寒さや寒さ身の寒さ作者不知
というサを八つ入れた句があります。特別の詞書はありませんから、同じ字をいくつも入れるという意図は無かったのでしょう。
田植ゑ歌へ歌はば田植ゑ田植ゑ歌重方
これもやはり『毛吹草』(六)に載る回文。タが六つ、ウが六つ、エ(へ・ゑ)が四つ、ハが二つ、それだけです。これも特別の詞書はありません。回文であると同じ字を二度以上用いることになりますから、意図しなくても同じ字がいくつも入ります。
ことば遊びにはまだいろいろなものがありますが、ンまで来たので、連載はこれで終わりにします。 長い間ご愛読をいただきましてありがとうございました。
2004-02-23 公開