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ほめる編 第5回
2005年は企業の合併をはじめ、株に関するニュースが目立ちました。個人投資家も増え、株主にあらずんば社会人にあらず、といった雰囲気になってきています。そこで投資家をほめる際によく用いられる言葉を集めてみました。
投資で大きな利益を得る人は、これができる人だと賞賛されます。また、多くの人がテレビや新聞雑誌で「先を読む」ことの重要性を訴えています。しかし、声を「小」にして言いたいのですが、「日国」では第二版においても「先を読む」は、「さき(先)」の子見出しになっておりません。「先を読む」はそれほど古い言葉ではないのです。
そこで日本人が「先を読む」ようになった時期を調べるために、国会図書館のサイトでタイトルに「先を読む」を含む書籍を検索してみました。すると、もっとも古いものは1976年「先を読む眼・人を見る眼:本質を見抜く男の視点」(邑井操著・ダイヤモンド社)。同じく国会図書館の雑誌記事検索で「先を読む」を検索すると、1971年の記事がありました。雑誌は「言語生活」(通号238・筑摩書房)、著者は内藤国雄棋士、記事のタイトルはズバリ「先を読む」。当時の実業界には将棋の愛好者が多かったようですから、将棋の世界から「先を読む」が広がっていったのかもしれません。そして、書籍や雑誌記事の数から判断すれば、1980年代に定着したと考えられます。
なお、時間的な「さき」は、古代ではある時点よりも前、つまり過去を表すものでした。現在でも「さきのアメリカ訪問では」「さきの発表では」などという形で、英語のlastに似た使いかたをします。しかし、現代の日常会話で「さき」をlastの意味で用いることはまずありません。
春〈島崎藤村〉一「是から将来(さき)奈可(どう)する積(つもり)なんでせうや」
「日国」には「先を読む」の用例がないので、将来の意味で「さき」を用いる場合のもっとも典型的なものをとりあげました。このように将来への不安を語る場合には「さきざき(先々)」もよく用いられますが、「先々を読む」とはいいません。
ビジネス雑誌でしばしば「先を読む」とセットで用いられる言葉。将棋では「三手先を読め」といいますが、実業界では「三歩先を読め」とはあまりいいません。そもそも「手」と「足」の違いがあります。
俳諧・去来抄-先師評「句の働(はたらき)におゐては一歩も動かず」
芭蕉の高弟、去来の俳論集からの用例。現代語にすると、「句の創意工夫においては一歩も進んでいない」。ここで問題となっているのは、一門の俳人の「面舵よ明石のとまり時鳥(ほととぎす)」という句であります。去来はこの句を、芭蕉の「野を横に馬引きむけよ時鳥」を、馬を舟にしただけだと指摘し、芭蕉も前述のように批判しましたが、句集に入れることは許可しました(結局、去来は入れなかった)。
ここでの「一歩」は「一段階」にいいかえることができ、現代人が「一歩先」というときの「一歩」とは若干ニュアンスが異なります。たとえば「一歩先を行く」を「一段先を行く」にしてみてください。後者のほうが遠い感じがするのではないでしょうか。
先を見るに明るい、すなわち、「先を読む」ことができる人を、これがあるといいます。近年では、将来を予測する能力を「先見力」と呼ぶ人もいます。「センケンリョク」の音は「浅見力」とまぎらわしいのですが、「先見の明がある」よりも文字数が少なく、字面がサッパリしているため、今後広く用いられるかもしれません。
経国美談〈矢野龍溪〉後・一三「先見の明を備へ遠識あるの士は」
「遠識」は時間的に離れた未来を知ること。この用例では、「見る」「知る」の二段構えで将来を予測する能力を強調しています。
将来を予測することの難しさをいうことわざ。「日国」の語釈では、「人よりわずかでも先見の明があれば、長者になれる。先見の明のある者は少ないという意」。単期間で大きな利益を得た投資家をほめる場合に、「三日先知れば長者といいますが、まさに○○さんは……」という形で使うことができるでしょう。
投資では、これを外さないことも肝要であるといわれます。近年では賢く振舞うために必要なものの名詞に「力」をつけて「○○力」とする流行があり、タイミングをはかる能力を「タイミング力」と呼ぶ人もいます。「先見力」とは逆に、文字で見ると「力」がカタカナのカとまぎらわしいのが問題です。こんな言葉が一般的になったら、校正者の苦しみが増すでしょう。
銀座二十四帖〈井上友一郎〉二「商売のこつは、タイミングである」
用例の「タイミング」は、大道易者が客に声をかけるタイミングのこと。タイミングが悪いと客は大道易者に悩みを相談する勇気を失い、易者は増収のチャンスを失います。
投資家をほめる言葉は、占い師をほめる言葉と似ている面があります。占い師を賞賛する際によく用いられる「当たる」も、「彼の予想はよく当たる」「読みが当たる」などの形で投資家をほめる場合に用いられます。同様に「的中する」もよく用いられ、会議や上司との会話では「的中」のほうが向いています。
浮雲〈二葉亭四迷〉二・八「『お留さんとかの事を懐出(おもひだ)して、それで塞いでお出でなさるのかと思ったら、〈略〉』〈略〉『オホホホ溜息をして、矢張当ったんでせう』」
いわずもがなではありますが、若い娘がやきもちを焼いている場面です。「当った」を「的中した」にしても意味は通りますが、女性らしさは減じます。ところが「わたし的」に生きる現代女性は「テキ」の音を好む傾向があるらしく、女性同士の会話で「的中」を耳にすることも珍しくなくなってきました。
かつて関東では悪口で用いられる言葉でしたが、近年では書籍のタイトルでも見るようになりました。投資家を「金儲けが上手い」と呼ぶのも、イヤミでなくなりつつあります。
浮世草子・世間胸算用-三・一「何に付ても銀もうけして、心任せの慰みすべし」
用例を現代語にすると、「人は何につけても金儲けして、思う通りに楽しむべきだ」。富裕な商人の観劇の様子を紹介してこのようにコメントした直後に、それほど金持ちではないくせに芝居に金を使って苦境に陥った人々の話を繰り広げます。
投資で利益を得た人の噂話をするときによく用いられる言葉。「○○(会社名)の株、うらやましいね」と、自分の財産では買えない株の話をするときにも用いるようです。
語源は心(うら)+病(やむ)といわれ、自分より財産・才能・環境に恵まれた人を憎らしいと思うときのほか、そういう風になりたいと願うときにも用いられます。そのため「私もあなたのようになりたい」という意味で用いたとしても、相手は「自分は憎まれているのだろうか」と不安に陥る可能性があります。とくにEメールでは誤解が生じやすいので要注意です。
後撰-羇旅・一三五二「いとどしく過ぎゆく方の恋しきにうら山しくも帰る波かな〈在原業平〉」
景気も波のようなものですから、今はそこそこ順調でも将来「昔はよかった」と過去を懐かしむことにならないとも限りません。実に「先見力」が欲しいものであります。
2005-10-17 公開