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けなす編 第6回

責任を取らない人をけなす

本当はもっとも重い責任を担うべき立場の人物が、次の言葉で他人をけなすことがあります。結局誰も責任を取らないままでいると、当事者以外はそのことを忘れ、次の世代が責任を取ることになります。

  • 1無責任(むせきにん)

    責任を取らない人を批判する言葉のうちでもっとも頻繁に用いられるもの。責任感の強い人が、「そんな無責任なことはできない」、「無責任なことは言えない」などの形で用いることもあります。ある女性と長く交際しながら結婚をしない男性にいうこともあります。同じ立場の女性に対してはまずいいません。日本では現在もなお結婚とは男性が責任を取る行為だと考えられているようです。

    侏儒の言葉〔1923~27〕〈芥川龍之介〉兵卒「絶対に服従することは絶対に責任を負はぬことである。即ち理想的兵卒はまづ無責任を好まなければならぬ」

    有名な警句集からの用例で、この段の前半は「理想的兵卒は苟(いやし)くも上官の命令には絶対に服従しなければならぬ。絶対に服従することは絶対に批判を加へぬことである。即ち理想的兵卒はまづ理性を失はなければならぬ」。軍隊のない現代日本ですが、職場や家庭で「理想的兵卒」になっている人々はいます。

  • 2転嫁(てんか)

    「責任転嫁」、「責任を転嫁する」などの形で用います。これも責任が結婚と関係の深い言葉であることを示します。

    白く塗りたる墓〔1970〕〈高橋和巳〉三「組織のない地域住民の方に、皺寄せを拡散して転嫁する」

    テレビ局の解説室員が、同僚と上司に公害が発生する仕組みを解説している部分からの用例。この作品が発表された1970年(昭和45年)は大阪万博の年ですが、光化学スモッグが話題になった年でもあります。この解説室員は明治の工場と高度経済成長時代の工場を比較し、「資本主義勃興期の単純な搾取構造や労務災害を、いまは地域住民や製品使用者にも、いわゆる公害として転嫁している」と、責任は企業の姿勢にあるとみています。

  • 3(なす)()ける

    「責任を押し付ける」と「責任を擦り付ける」では意味はほとんど同じですが、本来押してこすりつけることを意味する後者のほうが強いイメージを与えることができます。また、隠蔽工作があったことを強く非難したいときにも、後者のほうがふさわしいでしょう。

    人情本・春色梅児誉美〔1832~33〕四・一九齣「借金其外(そのほか)を丹次郎になすり付(ツケ)」

    「なすり付」たのは、主人公、丹次郎の養家の番頭だった男。元番頭は丹次郎が養子になるとその家の商売を破綻させ、持てるものは持って、借金を残して逃げたのでした。しかし、丹次郎が商売をきちんと監督していればこのような災難を防げたかもしれません。

  • 4責任(せきにん)()がれ

    責任を取らなくてすむように逃げること。身体的な逃亡ではなく、言い訳をしたり、誰かのせいにしたりすることをいいます。本当に行方不明になる場合は「雲隠れ」、遠方に逃げる場合は「高飛び」を用います。

    飼育〔1958〕〈大江健三郎〉「責任のがればっかりいいやがって」

    用例は、役場の対応に不満を持つ男が言うもの。彼は村の住民で捕まえた黒人兵をどうすべきか尋ねにいったのでした。しかし、はっきりとした答えを得られず、黒人兵は指令がくるまで村人に「飼育」されることになります。

  • 5とかげの尻尾切(しっぽき)

    不祥事を起した現場の人間が辞職し、上の人間が責任を取らないときにいいます。比較的新しい言葉であるため、「日国」第二版には用例がありません。

  • 6逃腰(にげごし)

    責任を取らないことを明言しないまでも、なるべく責任を取りたくないと考えていることがよそ目にもありありとわかる場合があります。「逃げ腰」はそのような態度を表現するのに向きます。また、そのような人物は記者会見や住民説明会などに対して「及び腰」です。

    われ深きふちより〔1955〕〈島尾敏雄〉「私は遠巻きの逃げ腰の観察者ではなくなった」

    用例は、精神病棟に入院した妻に付き添っている主人公が入院前とは別の入院患者に対して自身の視線が違っていることを述べたもの。具体的には「珍奇なものを見るような目付もないし、怖れの感じも少くなった」のでした。現代においては、家庭内で互いに「逃げ腰の観察者」になっている親子もいますが、彼らのための施設はなかなかないようです。

  • 7下駄(げた)(あず)ける

    責任問題を自分では処理できない人がすること。私企業が政府に「下駄を預ける」こともあります。

    歌舞伎・黄門記童幼講釈〔1877〕五幕「いやなんぼ愚老の顔が、足の裏に似て居ると申して、さう下駄(ゲタ)を預(アヅ)けられては困る」

    武家を訪れた茶人の台詞。ちょうど庭師が庭をいじっていて、植木の具合の相談にのってやったのでした。庭師が家の主人に信頼される茶人の指示を仰いだように、「下駄」は権威ある人物に預けるのが基本です。

  • 8大名(だいみょう)(やま)いは行倒(ゆきだお)れも同然(どうぜん)

    大名が病気になれば、医者たちが難の無いように手当をして、たがいに責任を他に譲り、あたかも行倒れの人を隣村へ隣村へと順に送るのと同じである、ということわざ。 大きな問題ほど解決が遅れるのは、これと同じ理由によります。

  • 9頬冠(ほおかぶ・ほおかむ)

    責任を取りたくない人は、知っている事実をなかなか公表しません。そのかわりにこれをします。

    メサの使徒〔1950〕〈武田泰淳〉「それだけの頭があってこんな明瞭な事実を頬かぶりしてゐる以上、こちらもあんたはズルイ人間とみとめるよ」

    税務官吏が喫茶店の帳簿をつけた男に詰め寄る場面から。この男は客の会話の最大の山場で「……と彼は言った」とつぶやく癖があり、この手を使うと税吏の叱責も舞台の台詞のように聞こえてくるのでした。

  • 10(あと)()となれ(やま)となれ / ()となれ(やま)となれ

    責任感のない態度をこのように表現することもできます。返すあてのない借金をして遊ぶ、耐震強度を偽ってマンションをつくるなど、さまざまな具体例があります。

    浄瑠璃・寿の門松〔1718〕中「大事の家業も余所に成、内は野となれ山となれ、夜を日に継いでの里通ひ」

    色恋のために「野となれ山となれ」という心境になるのは、昔からよくあることです。江戸時代はそういう道楽息子とは縁を切ることが法律的に可能でしたし、実際に縁を切る親もかなりあったようです。

  • 11いい加減(かげん)

    「よい加減」が変化した言葉で、いい意味で用いるときは「いい」の頭の「い」にアクセントがきます。悪い意味では平板に発音します。現代では「お加減はいかがですか」のように「加減」を用いる人が減りつつあるため、たいていは悪い加減を意味します。「あいつはいい加減な男なのよ」「いい加減な仕事をされては困るよ」など、責任感に欠けることを表わすこともあります。

    彼女とゴミ箱〔1931〕〈一瀬直行〉ガセネタ「冗談はぬきにして、両方で、そりゃひどい、ガセネタ(いいかげんな品)とは違ふんですぜ」

    かつてはテキ屋の隠語で「ガセ」は偽物を、「ネタ」は品物をいいました。それが転じて、うその情報を「ガセネタ」というようになったとされます。現代では本物と「ガセネタ」の違いが昔以上にわかりにくいため、物を買うときは十分な注意が必要です。

2005-12-05 公開