新ほめる日本語けなす日本語

【使用上の注意】 本ホームページ掲載の語・用例を実生活で使用したことによって生じる不利益につきましては、編集部では一切責任を負いかねます。ご使用にはじゅうぶんご注意ください。

けなす編 第7回

テレビの娯楽番組をけなす

日本人のテレビ視聴時間の平均は3時間以上で、休日は4時間以上といわれます。正月休みの期間はふだんの休日以上に長いでしょう。しかしテレビを長く見れば見るほど、次のような不満を感じる機会も多いはずです。

  • 1低俗(ていぞく)

    お笑い番組、バラエティーショー、アニメに対してよく用いられる言葉。これを用いると高所から大衆を見下ろしているようで、「低俗番組」のファンから反感を買うかもしれません。

    白く塗りたる墓〔1970〕〈高橋和巳〉三「これは商売だからと言えばどんなつまらん出版物、どんな下劣な映画、どんな低俗なテレビ番組も許される」

    民放のテレビ局を舞台とする小説から。用例は若いディレクターが公害番組の企画について話している部分から。彼は「われわれだって公害を流していないか<略>意識産業としての、これまでになかった<公害>を私たちは吐き出し続けてはいないか」と放送局の責任を考えるよう同僚と上司に訴えています。

  • 2俗悪(ぞくあく)

    「低俗」と同様によく用いられます。「低俗」にしろ「俗悪」にしろ、放送文化の発展とともにその基準が甘くなっているようです。

    自由と規律〔1949〕〈池田潔〉その生活・五「俗悪にレヴィウ化された集団応援の如きは聖きものに対する冒涜であり、愛校心に藉口(しゃこう)された変態性自己露出以外の何物でもない」

    用例は学生スポーツの応援についてのもの。現代では「レヴィウ化された集団応援」がスポーツ以外でも様々に行われています。その代表的なものは「NHK紅白歌合戦」の応援合戦でしょう。

  • 3つまらない

    ある番組を見ない理由を聞かれたとき、チャンネルを替えるときなどに多くの人が口にする言葉。テレビ番組を評価する言葉としては、「おもしろい」と対になっています。

    青年〔1910~11〕〈森鴎外〉四「兵隊が沢山並んで歩くのを見たって詰(ツ)まらないと思った」

    「兵隊が沢山並んで歩くの」とは、天長節(11月3日)に行われる練兵場での式のことです。「思った」のは主人公の青年、小泉純一(「郎」はつきません)。森鴎外が軍医だったことを思うと、この一行が非常におもしろく感じられます。

  • 4(のぞ)趣味(しゅみ)

    ワイドショーに対してよく用いられる言葉。政治家がそれをいう場合は私生活に何か(愛人問題、隠し財産など)があるものと疑われます。

  • 5馬鹿騒(ばかさわ)

    正月番組に対してよく用いられる言葉。日本最高の視聴率を誇る「紅白歌合戦」も、このように批判することができます。

    青草〔1914〕〈近松秋江〉七「花見手拭を頸に巻いて馬鹿騒ぎをしてゐた」

    この用例のような酒席での大騒ぎは、「馬鹿騒ぎ」を「どんちゃん騒ぎ」「底抜け騒ぎ」などと言い換えることもできます。しかし、バラエティー番組では楽器等で音を立てていないなら「どんちゃん」はふわさしくなく、また彼らは台本に沿っているため「底抜け」も不適切です。やはり「馬鹿」がよいでしょう。

  • 6マンネリ

    長寿番組に対してよく用いられる言葉。「偉大なるマンネリ」などと肯定する人もあります。

    白く塗りたる墓〔1970〕〈高橋和巳〉一一「半年も同じ番組を受けもてばマンネリは避けがたい」

    民放テレビ局の解説室で働く男の独白から。彼は「マンネリは避けがたい」理由を、「一人の人間のアイディアには限度がある」ためと述べています。現代の放送局はそれを避けるために構成作家等の外部スタッフを雇っています。

  • 7悪影響(あくえいきょう)

    「低俗番組」「俗悪番組」を糾弾する際によく用いられる言葉。これを受けることが心配されるのは主に子どもですが、実際のところ大人も多大なる影響を受けています。だからこそ若者の流行語がテレビ番組を通して中高年に広がるのです。

    ヰタ・セクスアリス〔1909〕〈森鴎外〉「それが江戸の町に育ったものだから、都会の悪影響を受けてゐる」

    「都会の悪影響」を受けた者は、主人公が東京英語学校で知り合った友人。都会ッ子の彼は都会の大人たちがするようにひとりで料理屋に上がって酒を飲むなどしています。このように「悪影響を受ける」には、人のすることを見て自分もその通りにやることをいう場合があります。「テレビの悪影響」もそのタイプのものが多く、早食い競争の真似をして腹をこわす、格闘技の真似をして筋をいためるなどの例があります。そのほか、なんとなく芸能人のように語尾が上がってしまう、なんとなく○○党に投票してしまうなど、本人はテレビの影響を意識しないままでいることもあります。

  • 8一億総白痴化(いちおくそうはくちか)

    1950年代末から1960年代にかけて流行した言葉。大宅壮一が1957年に日本の放送文化の程度を嘆いて記したのがはじまりとされます。「日国」ではこれを立項していませんが、「大宅壮一」の項で彼がこの流行語の生みの親であることを紹介しています。

  • 9やらせ

    もとは放送界の業界用語で、「やらせる」の連用形が名詞化したもの。番組によって許される「やらせ」の度合いは異なります。あまり品のよくない言葉ですから、紳士淑女は使わないほうがいいでしょう。

  • 10コマーシャル

    テレビ番組をけなす場合は、ふつう「…が多すぎる」「…が長い」などの形で用いられます。「コマーシャル・メッセージ」を省略したもので、「CM」ともいいます。

    巷談本牧亭〔1964〕〈安藤鶴夫〉つばめの唄「それどころではなく、この女義太夫の古風な口上の方が、ことばも正しく折り目もきちんとしていて、テレビやラジオのコマーシャルなんかよりは、なんぼ気持ちがいいかわからないと思った」

    上野の講釈場、本牧亭を舞台とする小説からの用例。これを「思った」人物は、常連の湯浅。少し前に当世風の若者が二人酔いにまかせて入場して場の空気をさんざんにしていたのですが、そのとき湯浅は通い慣れた講釈場のすべてが異様なものであるように感じていました。しかし、若い女義太夫が丁寧かつ断固たる口調で二人に「お引き取り」を願い、場内がいつも通りになると、「みんなが異様になっているから、日本の、昔ながらの古いものが、異様に思えるんだな」と気づくのでした。

2006-01-10 公開