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けなす編 第1回

都市の景色をけなす

旅行会社のパンフレットやガイドブックでは美しく見える土地も、実際に行ってみると次のようなものである場合もあります。

  • 1雑然(ざつぜん)

    一般に「○然」の熟語は○のような様子であることを示します。「全然」は全くそうである様子をいいますし(否定の「ない」と結びつくことが多くなったのは大正以降とされます)、「憤然」は憤っている様子をいいます。「雑然」の場合は、何かが入り交じって、まとまりのない様子をいいますが、現代においてはとくに町並や部屋の様子を表わすときによく用いられます。

    黯い潮〈井上靖〉一「いかにも東京の郊外地らしく、その平野の中に、人家と小工場が雑然とばら撒かれ」

    このように人家と人家以外の建物が混在していると「雑然」とした町並になりやすいものです。

  • 2ごみごみ

    「雑然」とした景観に不快感を持っていることをはっきりと相手にわかってもらいたいときに。「ごみ」と「混む」が合わさってできた語ともいわれます。

    雑俳・柳多留‐四「ごみごみの中の白かべしち屋なり」

    汚らしい家が「ごみごみ」と並んでいるところにまぶしいばかりの白壁の家があり、どういう家かと思っていたら質屋の家だった…、という句。江戸時代は身分制度のために、金ができたからといって町人が「ごみごみ」した町人の町を出て閑静な武家の町に移り住むことはできませんでした。

  • 3ごちゃごちゃ

    これも「雑然」の同義語。町並みのまとまりのなさ、秩序のなさを強調したい場合に向きます。

    アド・バルーン〈織田作之助〉「金ぷら屋や寿司屋など食物屋がごちゃごちゃとある中に」

    「金ぷら」(江戸時代に茶屋の料理として開発されたテンプラで、そば粉またはそば粉に卵黄を加えたころもで揚げたもの)の用例から。第二次大戦以前の大阪のミナミの横町を、著者は「ごちゃごちゃ」と表現していますが、それを嫌っているわけではありません。この小説の前半では「私には大阪の町町がなつかしい、今となってみれば一層なつかしい」とあります。第二次大戦の終戦から60年になりますが、現在でも多くの人々が彼と同じように戦災で失われた町並を恋うています。

  • 4殺風景(さっぷうけい)

    秩序正しく整然と同じ建物が並んでいる町並も、建物によっては見る人にこのような印象を与えます。

    新聞雑誌‐四六号・明治五年〔1872〕五月「鉄道電線等の壮観を汚して殺風景(サッフウケイ)のみならず」

  • 5コンクリートジャングル

    ビルの林立する都会を、否定的に表現する語。似た言葉に「アスファルト・ジャングル」があります。日本人は両者をほとんど区別しないで使いますが、インターネットで英語の辞書を調べると「asphalt jungle 」は、都会を犯罪の多い場所とみなしていう言葉であるようです。映画「アスファルト・ジャングル」(ジョン・ヒューストン監督、1950年)も犯罪ものでした。

  • 6荒涼(こうりょう)荒寥(こうりょう)

    原野の冬景色などを表わす際に用いられる言葉ですが、「コンクリートジャングル」をこのように感じる人もいます。

    ふらんす物語〈永井荷風〉秋のちまた「何か市中に大騒動でもあった後のやうな云はれぬ深い荒寥(クヮウレウ)の感を与へる」

    用例はひとつの文の後半で、前半は「雨にぬれた楓樹(プラターン)の落葉狼藉た河岸通りや、石像もしくは記念碑の周囲の花園に、草花の枯れ萎んだ広場(プラース)の眺めはさながら」。フランスのリヨンの秋の景色を描いたものです。

  • 7(ねこ)(ひたい)

    予想よりも小さな町でがっかりしたときに向きます。小さな面積の比喩がなぜ猫でなければならないのかは不明。猫のかわりに鼠(体が小さく、ことわざによく用いられる)や狸(顔が平たい)でもよさそうです。

    草枕〈夏目漱石〉五「なあに猫の額見た様な小さな汚ねえ町でさあ」

  • 8薄汚(うすぎたな)い・(うす)(きたな)

    語調の強い「薄っ汚い」のほうがけなす度合いが強くなります。人間も物品も抽象的な事物もけなすことができる便利な言葉です

    闇の絵巻〈梶井基次郎〉「今ゐる都会のどこへ行っても電灯の光の流れてゐる夜を薄っ汚なく思はないではゐられないのである」

    山間の療養地で闇の中を歩いた体験をつづった掌編からの用例。都会の夜景を美しいとする固定観念を、淡々とした筆致でさわやかに覆してくれます。

  • 9(さび)れる

    町の経済の衰えが景色から感じられる場合によく用いられる言葉。近年では市町村の併合でかつて役場があった地域をこのように表現している新聞記事を見る機会が増えています。

    アカシヤの大連〈清岡卓行〉六「そのときの大連は、自由港花やかなりし頃の昔に比べれば、戦争によってやはり相当さびれていたが」

    著者の故郷、大連を舞台にした自伝的な小説より。用例は、「同じ時期の日本の内地の都会に比べれば、まだまだずいぶん恵まれていた」と続きます。旧満州時代に日本人建築家が腕をふるった名建築物が多数残されている大連も、近年は他の中国の都市と同様、近代的な建築物が次々と建てられ大きく様変わりしています。しかし、日本人がそれを残念がるのは失礼というものです。日本人だって、かつてGHQで働いた人々に「日本はあのままでいてほしかったですねーオー残念でーす」などと言われたら腹が立つではありませんか。

2005-06-20 公開