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ほめる編 第10回
今回は「卒業おめでとうございます」「入学おめでとうございます」のあとの一言に向くものを集めました。合格した学校をほめることは、受験の苦労と心労をねぎらうことにつながります。
「一流大学」「一流高校」の形で用います。かつては主に義務教育以上の学校にいうものでしたが、受験戦争が低年齢化するに従って、「一流中学」「一流小学校」といういいかたも広がりつつあります。また、「日国」には見出しとして立っていませんが、「一流校」ということばはすでに日本社会に定着しています。
日本料理通〔1929〕〈楽満斎太郎〉料理法の巻・三「茄子の丸焼は、〈略〉ごまみそ、くるみみそなどをつけて食すると、一流の西洋料理店で喰べる鶏の煮込よりも美味です」
「日国」の「一流」の用例には学校に関するものがないので、これを取り上げました。ある分野で最上であることを意味する「一流」は「第一流」といいかえることができますが、近年「第一流」を用いる人は少なくなってきています。また、「一流レストラン」を「第一流レストラン」とはいわないように、連語化の面でもちがいがあります。
現代において「第一流」に近い用いられかたをしていることば。最高の水準という意味のほか、「トップレベルの会談」のように組織の最上層、首脳部の意味で用いられることもあります。前者の用例で学校に関係するものは「日国」にありませんが、インターネットで「大学 式辞 トップレベル」を検索すると、こんな用例が見つかります。
東京大学は、世界が認めるリーディングユニバーシティとして、トップレベルの人材を輩出し、トップレベルの知を生産し続けます……東京大学・総長室より・平成17年度入学式(大学院)総長式辞 より
これを最後まで読むと、今どきの「トップレベル」の大学院入学式は親が出席し、総長は彼らに対して「暖かく見守って」とお願いするものであることがわかります。
このことばについて「日国」は「伝統と歴史のある有名な学校」であるとしますが、そのなかにも二種類があります。すなわち、優秀な(学業、スポーツなどで)学生が集まる学校と、良家の子女が集まる学校です。
水の上の会話〔1965〕〈阿川弘之〉「めでたくK学園のような名門校に入り」
受験生(中学受験)の父を主人公とする短編小説からの用例。遠洋航海船の機関長である彼は自慢の息子が受験に失敗したことを船に届いた電報で知り、この用例は「とんとん拍子に選ばれた人間の道を歩き始めたら、果して親はただ誇らしく頼もしく思うだけであろうか」とつづきます。洋上の父親は、「蛙の子があんまり蛙ばなれしなくて却ってよかったのではあるまいか」とも思うのでした。
「名門校」に似ていますが、伝統の長さを感じさせる「名門校」のほうが入学式式辞などでは好まれます。
日本の国立大学は第二次大戦前は帝国大学でした。そこで、国立大学では「旧帝大」のほうが歴史の古い学校ということになります。現在でも「帝大」にこだわり、「早稲田? 慶応? 私立じゃないか。帝大以外は大学じゃない」という人もいるようです。また、地元の国立大学に入学した子の祖父母に、「四月から帝大生だね」というと喜ばれます(40代以下は脳内で「テーダイ」を「帝大」に変換できないかもしれません)。
閑耳目〔1908〕〈渋川玄耳〉年長の友と美人「帝大(テイダイ)の学生の不品行が目に立つ間は、尚未だ帝大の価値が認められて居るのだが」
明治末のエッセイより。「私立大学生の堕落が少しも目に立たなくなって<用例部分が入る>夫(それ)も目に立たなくなった暁には、日本の学生は挙げて堕落の底に沈淪したものと見なければならない」。私立大学生より「帝大の学生」のほうが世間からずっと大きな信頼を寄せられていたことがよくわかります。
「名門校」の卒業式、入学式の式辞でよく用いられることば。すぐれた人物が次々と世に出ることを意味します。
明治大正見聞史〔1926〕〈生方敏郎〉明治時代の学生生活・三「学生相撲の大関となった大村一蔵の如き、鏘々たる運動家が輩出した」
「学生相撲」の項目からの用例です。当時「輩出」の前につく助詞といえば「が」でしたが、現代では「を」が多くなっています。「トップレベル」の項目で紹介した東京大学総長の式辞においても「トップレベルの人材を輩出し」でした。「日国」でも「が輩出」と「を輩出」が混在しております。たとえば、「三田文学」の項目では「久保田万太郎、水上滝太郎、佐藤春夫らが輩出」であるのに対し、「早稲田文学」の項目では「青野季吉・谷崎精二・広津和郎<略>らを輩出したが」となっています。
「突破」とセットで用いられることが多いことば。これもしばしば入学式の式辞に用いられます。インターネットで「大学 式辞 難関」を検索してみると、こんな用例が見つかりました。
皆さんは、厳しい入試の難関を突破して、晴れて一橋大学に入学されました。まことにおめでとうございます。ご両親を始めとするご家族の方々にも、お祝いを申し上げます……一橋大学・学長メッセージ・平成17年度学部入学式における式辞 より
最近の「難関」大学の入学式は出席者がずいぶん多いようですね。
「新約聖書‐マタイ伝」の「狭き門より入れ」に由来。「難関」と同じように、合格するのが難しい学校や就職先にいいますが、「突破」と組み合わせることはそれほど多くありません。
第3ブラリひょうたん〔1951〕〈高田保〉卒業式「『狭き門』は上級学校へ進学する道にばかりあるのではない」
昭和26年に書かれたもので、用例は「義務教育の中学を卒えてすぐ実社会へ飛出す少年たちも、やつぱりこの門を潜らねばならぬのである」とつづきます。就職が「狭き門」なのは、「概ねあつさり体を動かすだけで収入を得たいと望んでいる」ためであると筆者は嘆きます。現代の職人不足は半世紀以上前にもう決まっていたようです。当時の中学生は現在では60代後半。その子世代は40歳前後。孫世代は小中学生。大学は「狭き門」でなくなりつつあるといわれますが、孫が大学を出ても就職口はやはり「狭き門」かもしれません。
2006-03-20 公開