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ほめる編 第7回
来年は戌年です。ここぞとばかりに飼い犬の写真を年賀状に仕立てた愛犬家も多いでしょう。今回はそんな人々への新年のあいさつに使えそうな言葉を集めてみました。
遠方から自力で飼い主の元に戻る(ラッシー)、誘拐された飼い主を助ける(ベンジー)、南極に置き去りにされてもたくましく生き抜く(タロとジロ)など、非凡な犬をこのように呼びます。犬種は問いません。
こがね丸〔1891〕〈巌谷小波〉八回「今御身(おんみ)が相を見るに、世にも稀なる名犬(メイケン)にして、しかも力量万獣に秀でたるが」
日本の児童文学の嚆矢(こうし)とされる作品からの用例。主人公の「こがね丸」をはじめ、登場人物はみな動物です(登場動物というべきか)。日本の昔話にも西洋の昔話にも動物が主人公の物語はあり、作者は執筆にあたりそれらの物語や「八犬伝」、黄表紙などを参考にしたといいます。
主人に忠実な犬のこと。「名犬」は一般に「忠犬」でもあります。日本でもっとも有名な「忠犬」は、東大教授だった飼い主を毎日渋谷駅に送り迎えし、飼い主の死後も長くそれを続けた秋田犬ハチ。昭和初期、ハチは渋谷駅で邪魔者扱いされていたのですが、事情を知る人が新聞に寄稿するとたちまち人気者になり、銅像まで立てられました。なお、その銅像は第二次大戦末期に「金属回収」に出されて、現存の銅像は戦後再び制作されたものです。
第3ブラリひょうたん〔1951〕〈高田保〉ブルータス「忠犬の中なる忠犬、このブルータスは、たとえば肉屋へと使いにやられる」
昭和26年に執筆されたエッセイの一部分ですが、これを読んで昭和の時代は商店街までおつかいに行く犬がいたことを思い出しまた。現在では犬どころか小さい子どももなかなか気軽におつかいに出せません。
漢字そのまま、勇ましい犬のこと。飼い主を守るために勇ましく敵に立ち向かう犬のように、飼い主を慕うだけでなく、積極的な行動をとることができる犬にいいます。「勇犬」が「猛犬」を兼ねていることもあります。
銃後〔1913〕〈桜井忠温〉一七「ダルは軍旗の進むところ、之れに従はざる無き勇犬(ユウケン)であった」
現代でも軍用犬は世界各地で働いています。その一方、撤去すべき地雷を探す犬、爆発物を捜索する犬なども活躍しています。犬と戦争は非常に関係が深いのですが、「戦争の犬」は軍用犬ではなく傭兵のことです。
中国の春秋戦国時代、韓の国にいたとされる、俊足の賢い犬の名前。文人たちはこれを「ハチ」や「ラッシー」のように、名犬の代名詞として用いました。強い者が弱い者に戦いを挑むことを「韓盧を馳(は)せて蹇兎(けんと)を逐(お)う」というのは、韓盧のような犬に脚の悪い兎(蹇兎)を追わせたら失敗するわけがないためです。
先哲叢談〔1816〕二・朝山意林庵「若不能知賢才而用其士則如畜妖狐欲代韓獹」
用例を現代語にすると「才人がいるのを知ることができず、その人物を用いるとしたら、名犬の代りに妖しい狐を飼うようなものだ」。犬は「犬畜生」などと馬鹿にされもしますが、狐や狸のように化物扱いされることはあまりありません。
「さすがは血統書付きの犬ですね」「血統書つきの犬はやっぱり違いますね」などの形で用います。最近ではペットショップで血統書つきの犬を買う人が多くなり、近所でもらった(あるいは、拾った)雑種犬を飼うのがふつうだったひと昔前に比べると、この言葉の重みは少し薄れています。
スパニエル幻想〔1960〕〈阿川弘之〉「血統書つきの、バフのコッカー・スパニエルで」
妻と不仲な愛犬家に深い印象を与えるであろう短編小説。主人公が飼っているのは「血統書つきの」スパニエルですが、よく吠えて仕事の邪魔になるため、主人公はよそに譲ることにしました。しかし、いざ貰い手が決まると犬の化身が主人公の前に現れ、不人情な決断をなじります。その口調は妻にそっくりなのでした。
人間に対して「毛並がいい」という場合は血筋のよさをほめています。犬の場合は、毛そのものの具合をほめている場合が多いようです。犬の毛をほめる場合は、「ふさふさ」「つやつや」など人間の頭髪をほめるのと同じ言葉が用いられます(注:かつて本ページにて「頭髪をほめる」言葉を紹介しましたが、現在旧版を閉じております)。
落語・手飼の犬〔1898〕〈四代目柳亭左楽〉「お手飼ひの洋犬(かめ)〈略〉毛並の宜い何十円も仕様と云ふ」
四代目左楽が華族の屋敷に招かれたときの話で、洋犬はこの家の飼い犬です。この犬にペロペロなめられた左楽は「斯(こ)ん畜生」と叱りたかったのですが、招かれた芸人としてはそんなことはできません。そこで犬に「お止し遊ばせ」と丁寧に申し入れたのですが、一向にやめないのでした。飼い主の殿様は大笑いした後、使用人に洗面器を持ってこさせたのですが、「何をして居る。左楽の頭(つむり)では無いは……。洋犬の舌を洗つて遣せと申したのだ」。
よく吠える犬を、次のようにほめることもできます。
街の物語〔1934〕〈榊山潤〉「この犬が、とてもよく吠えるのである。番犬としては、まさに優良種であらう」
「この犬」は主人公の近所の家の飼い犬。「番犬としてはまさに優良」でしたが、隣家の主人は睡眠不足で神経衰弱になり、犬の飼い主を憎むようになります。戦前すでに都会ではペットが地域のトラブルの原因になっていたようです。
恩知らずをいさめる言葉ですが、愛犬家は「……というではありませんか」の形で犬という種族の優秀さを自慢するときに用います。「犬猫も三日飼えば[扶持(ふち)すれば]恩を忘れず」とも。
これだけではほめる意味になりませんが、飼い主を前にして犬をほめるときには「犬」ではなく、これを使うことを忘れないようにしましょう。現代日本の愛犬家の多くは飼い犬を人間扱いしていて、犬を他人に紹介するときには臆面もなく「うちの子」「うちの○○ちゃん」などと言います。うかつに「おたくの犬は賢いですね」などと言うと、「イヌですって、失礼な」などと怒られてしまうかもしれません。
なお、現代の日常会話で名前のわからない他家の犬を呼ぶときにもっとも広く用いられる呼称は「わんちゃん」かと思われます。ただし、「日国」第二版では「わんちゃん」の項目はありません。「運ちゃん」「嬢ちゃん」などがすでに立項されていることから、第三版では「わんちゃ(碗茶)」の次が「わんちゃん」になる可能性は十分にあるでしょう。
2005-12-19 公開