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ほめる編 第6回

大人しい性格をほめる

周囲の人々から「大人しい子」と呼ばれる少年少女が凶悪な事件を起こすことがあります。新聞記事の見出と本文を検索するシステムで、全国紙と通信社の記事を対象に「おとなしい子 AND 事件」を検索すると、ヒット数は「不良少年 AND 事件」よりも多いほどです。しかし、大人しい性格それ自体は決して非難されるべきものではありません。むしろ、ほめられるべき態度や性格と多くのつながりをもっています。

  • 1大人(おとな)しい

    まずはこの語を改めて見直してみましょう。 語源は「大人(おとな)」。「大人」が形容詞化した言葉で、平安時代には年長者らしい思慮、分別があることをいいました。やがて態度が大人びた若者に対してもいうようになり、中世では主に思慮分別のあることをいったようです。思慮分別のある人物はむやみに騒がず、穏やかであることから、近世からは性格や態度が穏やかなことをいうようになったとされます。

    「日国」では、「大人しい」を「静かだ」の意味で用いるのは島根県石見地方、「口数が少ない」の意味で用いるのは新潟県地方としています。しかし、現在ではこうした使い方が全国に広がりつつあります。

    浮雲〔1887~89〕〈二葉亭四迷〉一・三「親類某(なにがし)の次女お何どのは内端(うちは)で温順(オトナシ)く、器量も十人並で」

    「内端」は内気なこと。恋愛結婚が一般的になる以前、庶民階級の男性が結婚する相手としては、この「某の次女お何どの」(某家の次女なんとかさん)のよう女性がよいとされていました。もっとも、結婚の当事者である若い男性の多くは「十人並」の女性より美しい女性を好みました。

  • 2(おだ)やか

    「大人しい」の語が持つ意味の一つ。近年は「大人しい」の語を否定的にとらえる人が増えているようですから、いつも騒がず静かに笑っている人物について説明する場合にはこれを用いたほうがよいでしょう。

    死の棘〔1960〕〈島尾敏雄〉「ひとつの学問の探究者のように、おだやかで、あわてない」

    一般に学者には「おだやか」なイメージがありますが、「ひとつの学問を探求」するには非凡な知性と情熱が必要です。このように、「大人しい」と見える人物が強い個性を秘めていることは珍しくありません。

  • 3温和・穏和(おんわ・おんか)

    「穏やか」な性格を、このように表現することもよくあります。似た言葉に「温厚」というのがありますが、なぜか「温厚」は男性に使うことが多いようです。たとえば、「温厚な紳士」とはよくいいますが、「温厚な淑女」とはあまりいいません。

    なお、「温和」の読み方は、近世までは漢音で「おんか」と読むのが一般的でした。

    陸海軍軍人に下し賜はりたる勅諭‐明治一五年〔1882〕一月四日「常々人に接るには温和を第一とし、諸人の愛敬を得むと心掛けよ」

    「諸人の愛敬を得むと心掛けよ」とは、人々に愛されるよう心掛けよ、という意味。「温和」は、軍人さえも本来は身に備えるべきものでした。

  • 4(ひか)()

    「大人しい」と呼ばれる人は一般に目立つことを嫌い、自己を主張しない傾向が見られます。そういう態度をこのように呼ぶこともできます。

    藪の鶯〔1888〕〈三宅花圃〉一「少しこごみがちにてひかへめに見ゆるが、又一しほの趣あり」

    「薮の鶯」は樋口一葉に小説を書く意欲を与えたことで有名な小説。用例は、鹿鳴館の夜会における、ある令嬢の様子を描いたもの。この令嬢はダンスがそれほど好きではないため、「こごみがち」(うつむきがち)なのです。執筆当時20歳の女性作家はこのような姿勢こそ日本女性を美しく見せると考えていたことが、「一しほの趣あり」に表れています。

  • 5遠慮深(えんりょぶか)

    「遠慮」は、遠い将来までを視野に入れ、深く考えるという意味もありますが、現代では「深謀遠慮」以外では一般に他人に対して行動や言葉を控え目にすることをいいます。近年の学校や会社は何かと積極性を重んじ、「遠慮」を軽んじる傾向があります。しかし、日本人は現代でも「深い」という語を肯定的にとらえているため、「遠慮」する人のことを「遠慮深い」と表現すると、その人物のプラス面が第三者に伝わりやすくなります。

    がらくた博物館〔1975〕〈大庭みな子〉犬屋敷の女「二人とも大層節度のある遠慮深さがあったから、特別いやなことにもならずにやっていた」

    用例の「二人」とは、アメリカ在住のロシア人女性とその雇い主の男性。この男女はビジネスの関係のほかに性的関係もあります。このような複雑な男女関係を続けるには、「遠慮深さ」が鍵になるようです。

  • 6(つつし)(ぶか)

    「慎み」は現代では忘れられがちな言葉の一つですが、完全に忘れ去られているわけではなく、使いようによっては相手に強い印象を与えることができます。「慎み深い」はやや発音しにくいのですが、字面に重みがあるので、文章で「大人しい」人物をほめるときに向きます。

    草枕<夏目漱石>三「人を馬鹿にした様子の底に慎み深い分別がほのめいてゐる」

    主人公の青年が旅先で出会った謎の美女の表情を描写したもの。青年は彼女の中に相反するものが存在することを見て取り、「不仕合な女に違(ちがひ)ない」と考えます。

  • 7奥床(おくゆか)しい

    「大人しい」と呼ばれる人の全員がこれに当てはまるわけではありませんが、これに当てはまる人は「大人しい」性格であることが多いようです。

    もともとは、「奥」に「行かし」、その奥にあるものに心がひかれる、の意味。そこから深い心づかいが感じられて心が引かれる、上品で深みがあって慕わしい、といった意味が生まれました。

    破戒〔1906〕〈島崎藤村〉七・二「何となく人格(ひとがら)の奥床しい女は、先輩の細君であった」

    この用例は「何となく」がポイント。積極的な性格の人物についてはどこがどうと具体的にほめやすいのですが、「大人しい」人物ではそれが難しいものです。しかし、この用例のように「奥床しい」を使うと、具体的な描写なしでも深みのある人物であることを印象的に伝えることができます。

  • 8落着(おちつき)落付(おちつき)

    「大人しい」の語釈のひとつに、「落ち着いている」をあげる辞書も多いようです。ある人物が「穏やか」で態度がどっしりとしているようなら、「彼(彼女)は大人しい」といっても問題はありません。しかし、「大人しい」を否定的にとらえる人が増えていることから、「彼(彼女)は落ち着きがある」としたほうが、現代ではよりほめている感じがするでしょう。

    春〔1908〕〈島崎藤村〉二「斯の青年の眼には哲学者のやうな沈静(オチツキ)がある」

    この青年は「年寄にも子供にも好かれさうな性質」の好人物。まるで「温和」の用例にあげた勅諭を実践しているような人物ですが、軍人ではありません。

  • 9大人(おとな)

    「大人しい」が否定的にとらえられるようになりつつある一方、その語源である「大人」のほうは肯定的な使われ方がより広くなっています。「大人の一品」「大人の贅沢」等、30代以上に向けた商品の宣伝に「大人」が使われることも増えています。そこで、現代においては、「大人しい」人をほめる場合には、「しい」を取って、「あの人は大人だ」にしたほうが、本来の「大人しい」の意味に近づくように思われます。少年少女をほめる場合でも、「あの子は大人しい子だから」より、「あの子は大人だから」のほうがよいでしょう。

    自由と規律〔1949〕〈池田潔〉その生活・一「他人が怠けるのに自分が励んでは損と思う風もない。考え方が大人なのである」

    職場でも学校でも、この用例のような「大人」はいるものです。それを「あいつは暗い」などと否定するのは子どもっぽいことです。しかし、子どもっぽく、慎みのない人のほうが周囲からの受けがよい場合も多々あります。

2005-11-21 公開