小麦粉でつくられた菓子の一つ。いろいろな種類の製法が伝えられており、もっともよく知られているのは、小麦を水で溶き、平たい鍋で薄くのばして焼いてから、表面に味噌を塗って巻物のように巻くというものである。徐々に表面に塗る材料に工夫が加えられ、胡桃や罌粟(けし)の実、山椒味噌、砂糖などを使うようになっていった。さらに、江戸時代には餡を巻いた助惣焼(すけそうやき)という和菓子に発展し、これが現在のどら焼きの元祖ではないかともいわれている。また一説に、いまや国民食となったお好み焼きは、ふのやきのつくり方を真似たものではないかともいわれている。

 ふのやきが誕生したのは、豊臣秀吉が天下統一を成し遂げた16世紀終わりごろ、桃山時代の京都で、簡素静寂を重んじた茶の湯の一つ、侘び茶の茶会が盛んだった時期である。当時、茶席で振る舞われていた菓子とは現代のようなものではなく、柿や栗、きんとん、昆布や椎茸などの煮物、あぶった海苔や貝などであった。また、日本では製粉技術が未発達だったため、小麦粉を使った食品は大変高価なものだった。このような情勢で小麦粉からふのやきをつくり、茶菓子として振る舞ったのが、侘び茶の大成者である千利休。利休は豊臣秀吉に切腹させられてしまう1591年2月までの半年あまりで百回ちかくの茶会を開いているのだが、その大部分で使った茶菓子がふのやきなのだ。この『利休百会記』という茶会記に残された記録が、ふのやきが利休好みといわれて今日にも珍重されている大きな理由である。現代では簡素極まる「侘び」として映るふのやきは、実は侘び茶ならではの趣向を凝らした、貴重かつ高価な味わいであった。


小麦粉を水で溶いて焼いた薄皮に、味噌や餡などを巻き込めば、簡単にできる。これがお好み焼きの元祖という説もある。


   

京都の暮らしことば / 池仁太   


池仁太(いけ・じんた)
土曜日「京都の暮らしことば」担当。1967年福島県生まれ。ファッション誌編集者、新聞記者を経てフリーに。雑誌『サライ』『エスクァイア』などに執筆。現在は京都在住。民俗的な暮らしや継承技術の取材に力を入れている。
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