コトバJapan! 池仁太 の 記事一覧

池仁太(いけ・じんた)
土曜日「京都の暮らしことば」担当。1967年福島県生まれ。ファッション誌編集者、新聞記者を経てフリーに。雑誌『サライ』『エスクァイア』などに執筆。現在は京都在住。民俗的な暮らしや継承技術の取材に力を入れている。


 円顔で鼻が低く、おでこと頬がふっくらとした愛嬌のある顔。いつ見てもほっこりする面立ちは、福を呼ぶ福相の典型といわれている。この独特の愛嬌のある顔はよほど日本人好みなのだろうか。関西では「お福」という呼び名で、店の入り口などに人形を飾る習慣がある。阿亀と似た面立ちは、狂言面の「乙御前(おとごぜ)」や、近世芸能の「ひょっとこ」と対の人気者「お多福」としても登場する。ところ変われば、ほかにもいろいろな名前があるそうで、あまりにあちこちで見かけるものだから、それぞれどんな由来があるのか、気になっていた人も多いはずだ。

 「阿亀」の発祥は、「千本釈迦堂」の通称で知られる大報恩寺(上京区)。「阿亀」とは、この寺の本堂を建てた大工、長井飛騨守高次(ながいひだのかみたかつぐ)の妻のことで、千本釈迦堂には逸話が残っている。あるとき高次は、大報恩寺の本堂建立という大仕事を任されるが、大切な柱を短く切ってしまう。そんな夫の窮状を見かねた阿亀は、柱を継ぐ枡組(ますぐみ)という技法を提案する。これが成功し、夫は窮地から救われるのだが、この美談はそのままでは終わらない。阿亀は安堵の一方で、棟梁ともあろうものが妻の助言で大仕事を成し遂げた、といわれては夫の恥だと憚り、上棟式を前に自害してしまうのだ。そして、上棟式の日。夫は亡き阿亀を偲んで「阿亀」のお面を扇御幣(おうぎごへい)に飾り、祈願感謝をしたという。この話が徐々に広がり、家を建てる棟上げのときに、阿亀の面とともに鏡や櫛など七品を飾って祈願するようになったそうだ。この風習は今も、建前の餅まきなどのお祝いとともに受け継がれている。

 千本釈迦堂の境内には、「おかめ塚」と大きくかわいらしい「おかめ像」がある。2月の節分会には、あでやかな西陣織の着物と赤い番傘で飾り立てたおかめ像が見られる。お参りすると、縁結びや夫婦円満、子授けの御利益が得られるといわれている。


千本釈迦堂の阿亀の像。


   

京都の暮らしことば / 池仁太   



 真鱈やスケトウダラの卵巣を「たらのこ」という。今日では「鱈子(たらこ)」という呼称が一般的かもしれないが、京都では昭和期まで「たらのこ」と呼ぶのが当たり前だったので、今もなんの疑問もなく、そのまま呼ばれているのだろう。

 「たらのこ」は、年間を通じて塩漬けの外国産が出回っているが、寒くなってから春までの旬の時期は、日本で水揚げされた真鱈の生が手に入る。この真鱈のものは、実に大きく異様な見た目をしているが、独特の旨味が強く、酒の肴にも、あつあつのご飯のお供にしても、たいへんおいしく食べられる。

 初春の定番料理といえば、春らしい野菜との炊き合わせで食べるとおいしい。まず、ウドなどの春野菜や椎茸を用意し、だしで炊いておく。「たらのこ」は卵巣の形が崩れないように丸ごと薄い布などで包み、鍋でゆがいて芯まで火を通す。鍋から取り出し、水気をとって冷ましたら、好みの太さに輪切りにする。これをおだしに入れ、酒塩(さかしお)、砂糖、醤油のうす味で、ぐつぐつ煮る。できれば、この状態で一度冷ましながら味を染み入らせ、最後に、別に炊いておいた春野菜などと合わせ、もう一度温めながら味の微調整をすれば完成である。

 京料理では、鱈、鯛、鱧(はも)、ウナギ、カワハギ、フグなどの腹子や胆をよく食べるけれど、なかでも真鱈の「たらのこ」はいろんな食べ方のできる、重宝する食材である。昔は「もみじこ」と呼ばれるものがよく見られ、赤く着色したものを軽く炙り、お弁当のおかずやおにぎりの中身にも使った。最近は薄塩でナチュラルな色合いのほうが好まれ、生食用もある。小料理屋などでは、たらのこの袋を裂いて中身を取り出し、イカのお刺身や糸こんにゃくなどと一緒に和えて醤油をかけたものがお通しとしてよく出てくる。もっと簡単に、卵に鰹節を多めに振って、味醂と醤油をかけるだけでもおいしく食べられる。


存在感のある「たらのこ」。



鍋料理などで絶品「たらの白子」。


京都の暮らしことば / 池仁太   



 京都で「粟餅」といえば、粟餅所澤屋(あわもちどころさわや、上京区)のことだ。これは四百年近くも変わっていない。1645(正保2)年に刊行された俳諧撰集『毛吹草(けふきぐさ)』には、「山城(旧国名の山城国の意)名物北野粟餅」と記されており、江戸初期には北野天満宮門前の名物菓子として定着していたことがわかる。昔は境内にあった茶屋で販売されていたが、大鳥居の前に店を構えた現在も、蒸したて、作りたてを変わることなく提供している。

 古代から五穀の一つとして食べられてきた粟は、黄味を帯びた色と独特の香りが特長で、食べると口にほのかな甘味が広がる。品種には餅種と粳(うるち)種があり、日本で粟餅や粟飯などとして食べられているのは餅種のほうだ。澤屋では、餅種を蒸して搗(つ)き、粟の餅を丸めたら、漉し餡で包んだものと、きな粉にまぶしたものを作る。この二種類一揃いにするのが澤屋のお決まりである。木箱に入った土産も用意されているのだが、固くなりやすい粟餅は、作りたてを食べるのが一番。もちもち、ぷちぷちとした食感、粟独特の香りは時間が経つほど失われてしまうのだ。

 代々の当主は、作り置きをしない柔らかな粟餅にこだわり、客の注文が入ってから餅を丸めて作るスタイルを守り続けてきた。一番おいしいところを参拝者に味わってもらえるように、手間を惜しまず、一日になんども蒸しては搗き、粟餅を作り続けている。

 

   

京都の暮らしことば / 池仁太