コトバJapan! 暮らし の 記事一覧


 熱帯魚などを水槽で飼育するアクアリウム。癒やし系の美しさにはたしかに魅了されるものの、予算も手間もわりとハードな趣味といえる。それを花瓶のようなガラスの容器(ボトル)で気軽に楽しむものが「ボトリウム」(ボトルとアクアリウムを合わせた造語)だ。業界では有名な「てっちゃん先生」こと水草作家の田畑哲生氏が考案した。

 単に「小さい」というだけでなく、水草を入れることで一つのささやかな生態系を作り出すところがポイントである。ボトリウムに入れる魚と貝は一匹だけにしておくとよい。水草が魚のための酸素を生み出し、魚のふんは水草の養分や貝のエサとなって水をきれいにする。

 田畑氏のホームページによれば、ボトリウムの「お約束」は三つ。「水かえは週に1回」「えさやりは1日おきにほんの少し」「直射日光のあたらない明るい場所に置く(本を読めるぐらいの明るさがベスト)」。なるほど、手間いらずというよりも、過剰な手間を加えないことが重要であるようだ。暑い時期、涼を感じるには絶好の趣味である。
   

   

旬wordウォッチ / 結城靖高   



 教育勅語は、戦前の大日本憲法下で、天皇(主権者)が日本国民(臣民)に対し、守るべき徳目を示した教育方針。1890(明治23)年に発布された。起草にあたったのは文部大臣などを歴任した井上毅(こわし)。

 いま教育勅語に注目が集まるのは国有地売却を巡る疑惑で連日、国会で取り上げられた学校法人「森友学園」が、その運営する幼稚園で、園児に唱和させていたからだ。

 その内容は、親に孝行、夫婦仲睦まじく、兄弟姉妹仲良く等々、人間として至極まっとうな行ないを求めたものだ。

 しかし、その一方で、「危急の大事が起きた場合、皇室・国家のために尽くす」ことを国民に対し求めている。戦前の教育現場では、式典で校長がこれを奉読し、「修身」の授業でも、その精神・理念を学んだ。そのため、軍国主義教育の土台となったとの批判がある。

 戦後、「主権在民」の日本国憲法が施行され、国の教育指針は教育基本法にとってかわった。国会も、1948(昭和23)年に衆参両院で教育勅語の「排除・失効」を確認する決議を採択した。

 現在の政府の教育勅語に対する立場は「法制上の効力は喪失している」(菅官房長官)である。ただし、「憲法や教育基本法等に反しないような形で教材として用いることまでは否定されることではない」(政府答弁書)という。

 要は「親を大切にするなどの項目もある。適切な配慮の下に教材として用いること自体はなんら問題ない」(菅長官)というわけだ。

 確かに、親孝行や夫婦仲睦まじくは、教育勅語を引用するまでもなく学校現場で教えることはできる。しかし、いまさら教育勅語ではないだろう。復古主義もいいところだ。

 野党は「親孝行などの徳目を隠れ蓑に、主権在民の日本国憲法の理念を危うくする、戦前回帰の動きだ」と批判する。
   

   

マンデー政経塾 / 板津久作   



 「娘さん、しっぽりしてきよったなぁ、最近。うちのキョロはほんま、なに考えてんのやら……はずかしいわぁ」。

 「しっぽり」は、大人びていたり、落ち着いていたりする様子を表す言葉である。もともとは、「しっとりと十分に濡れるさま」や「しめやかなさま」、あるいは「男女間の情愛のこまやかなさま、親密なさま」(『日本国語大辞典』)といった意味でも使われてきた。京都や奈良、和歌山などではニュアンスが若干変化した他の意味もあり、「熱心な」という意味で、「しっぽりきばってもろて、わるいなぁ」というような使い方もされていたそうである。なお、「キョロ」というのは、目をキョロキョロしているというところから「落ち着きのない人」という意味で、かわいらしさを加味しつつ使われることが多い。

 「しっぽり」の「大人びたしっかり感」がいきすぎて、厳しさが加わるほどになると、「しかつい」という形容になる。「おたく、この頃しかついこと言わはりますな」などという感じ。ちょっと皮肉交じりに注意を促すわけだ。また、「しっぽり」の対義として使われる言葉は、せかせかして落ち着かないという意味の「いらち」であろう。「ほんまにいらちやし、忘れもんせんといてな」という風に使う。標準語の「せっかち」と同じような使い方だろう。


峰床山(左京区)にて。


   

京都の暮らしことば / 池仁太