昨年10月に発売された料理研究家の土井善晴(どい・よしはる)さんの著書、『一汁一菜でよいという提案』(グラフィック社)がベストセラーになっている。

 これまで、家庭料理は、ご飯と漬物を基本に、汁物を一品、煮物や焼き物などの料理を三品作る「一汁三菜」が理想的とされてきた。高度経済成長期、バブル期と、日本が豊かになっていくなかで、食卓はバラエティ豊かな食材を用いて栄養バランスのよいものへと変わっていった。その食事作りを担っていたのが、サラリーマン家庭の専業主婦だろう。

 だが、専業主婦家庭の数は90年代に共働き家庭を下回り、いまや少数派になっている。社会に出て働く女性が増えるなかで、毎日の一汁三菜の食卓を揃えるのは難しくなっている。そうした時代の転換期を見据えて、土井さんが提案したのが「一汁一菜」だ。

 土井さんは、「家庭料理はごちそうでなくていい。ごはんと漬物に加えて、具沢山の味噌汁で十分」と説く。「一汁一菜」の本来の意味は、汁物とおかずが一品ずつの粗末な食事を指したものだが、土井流の「一汁一菜」は汁物を具沢山にしておかず代わりにするというのだから、さらにシンプルだ。

 これまでとらわれてきた家庭料理の固定観念を取り払い、ごちそうでなくても、おいしくなくても、親が作った料理から子どもは愛情を受け取り、情緒を育てるというのが持論だ。これが、仕事や子育てなどで忙しく、毎日の食事作りに苦痛を感じている人の心を開放したようだ。

 もちろん、毎日3回の食事は栄養バランスのとれたものを作れれば、それに越したことはない。だが、男性の家事の参加率の低い日本では、仕事をもっていようがいまいが、家事や育児の負担は女性に多くのしかかっている。

 2年ほど前、内閣官房の公式ツイッターが、【女性応援ブログ】と題して、毎朝、早起きして子どものためにキャラクターをあしらった「キャラ弁」を作る働く女性を紹介したことで、批判が続出したことがあった。

 保育園に子どもを預けていても、熱が出たらすぐに迎えに行かなければならない。近くに子育てをサポートしてくれる親や親戚がいれば話は別だが、みんながみんな、そのように恵まれた環境で子育てしているわけではない。毎日、ギリギリのところで仕事を続けている母親が、キャラ弁を作る母親を称賛する内閣官房のツイッターをプレッシャーに感じたとしても無理はない。

 「女性の活躍」を謳いながらも、一向に女性たちが安心して働ける環境整備が進まないなかで、「毎日のごはん作りを頑張らなくてもいいんだよ」という土井さんの言葉に救われた女性たちも多いのではないだろうか。それだけ、母親たちは追い込まれているのだ。

 「一汁一菜」が受け入れられた背景に、労働環境の不備や女性への家事の負担が重い日本独特の事情があるのかもしれない。
   

   

ニッポン生活ジャーナル / 早川幸子   


早川幸子(はやかわ・ゆきこ)
水曜日「ニッポン生活ジャーナル」担当。フリーライター。千葉県生まれ。明治大学文学部卒業。編集プロダクション勤務後、1999年に独立。新聞や女性週刊誌、マネー誌に、医療、民間保険、社会保障、節約などの記事を寄稿。2008年から「日本の医療を守る市民の会」を協同主宰。著書に『読むだけで200万円節約できる! 医療費と医療保険&介護保険のトクする裏ワザ30』(ダイヤモンド社)など。
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