京都の住宅は、短冊状の細長い敷地である「鰻の寝床」に建てられている。坪庭は、住宅の奥の方のごく狭い場所に、建物で仕切られるように設けられた中庭のことである。その歴史は古く、原点は平安時代にまで遡る。坪庭は本来、壺庭と書くもので、平安期の宮中における「壺」とは、建物と建物の間の通り道のような空間を意味していた。身分の高い女性の住居では、その壺に桐、藤、萩などの草木が優雅に植え込まれており、『源氏物語』に登場する「桐壺」や「藤壺」といった名称は、壺庭の植栽に由来した中宮や女御の在所の名前であった。その後、武士の時代になっていくと、平清盛の屋敷に蓬(よもぎ)の壺が、源頼朝の屋敷には石壺と呼ばれる庭がつくられ、これまでとは違う坪庭が見られるようになっていった。

 さて、今日の一般的な坪庭といえば、母屋側の奥座敷に面した2~3坪の空間で、植栽とともに茶庭風の蹲い(つくばい、手水鉢の意)や燈籠などが置かれている。さらに坪庭の奥の敷地には土蔵か離れが建てられており、これは近隣の火事からの延焼を防ぐ防火装置になっている。また、土蔵の漆喰の白い壁には日差しを反射し、座敷を明るくする機能もある。そして、坪庭の辺りに風呂場やトイレなどが設けられている、というのが基本的なところである。

 鎌倉末期の歌人で、京都・吉田神社の社家の家系であった兼好法師は、『徒然草』で「京都の住居は夏を旨とすべし」と書いている。京都の暑い夏はいつの時代も変わることなく、それだけに住まいには独特の工夫が必要である。坪庭はその工夫の典型であり、窓を開け放った町家で、玄関から坪庭へすぅーと通り抜けていく風は、想像以上に涼しい。エアコン代わりというのは大げさであるが、初夏ぐらいの暑さならば、玄関などにまいた打ち水で冷やされた空気が、座敷を通って坪庭まで運ばれてくる。この涼やかさは、想像するよりもずっと気持ちがよいものである。


由緒のありそうな石灯籠をポイントにした民家の坪庭。


   

京都の暮らしことば / 池仁太   


池仁太(いけ・じんた)
土曜日「京都の暮らしことば」担当。1967年福島県生まれ。ファッション誌編集者、新聞記者を経てフリーに。雑誌『サライ』『エスクァイア』などに執筆。現在は京都在住。民俗的な暮らしや継承技術の取材に力を入れている。
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