1か月にわたって祭儀の続く祇園祭最大の呼び物は、毎年7月17日に行なわれる山鉾巡行である。これまでは、唯一の山鉾巡行として、神幸祭(しんこうさい、7月17日夕刻)の先触れに山鉾全33基が清めの巡行を行なっていたが、2014(平成26)年からは、還幸祭(かんこうさい、7月24日夕刻)の先触れとなる後祭の山鉾巡行が復活し、1965(昭和40)年まで行なわれていた前祭(さきまつり)と後祭の二度の巡行が行なわれる、本来の形式に戻された。

 1966年に山鉾巡行が一本化された当時、「信仰か、観光か」という大論争の末、観光の集客や利便性が優先され、前祭だけに集約されることになった。あれから半世紀あまり。再び同じ論争を経て、今度は祇園祭山鉾連合会のかねてからの思いが実った。

 7月17日の1日だけで、山鉾すべてが巡行する壮大な様子は見事であったが、梅雨明け間近の暑い日に、5時間あまりを要する長大な行列を行ない、期間中にのべ100万人以上が訪れるという混雑は如何ともし難いところもあった。後祭を設けたことで、昨年から難儀なところはいくぶん和らいだようであり、特に後祭の宵山(よいやま)行事は、出店やホコ天が行なわれないので、風情ある屏風祭をゆっくりと観賞しながら、宵山の散策ができるようになった。

 また、前祭よりも規模の小さい後祭の山鉾巡行に花を添えるのは、山鉾の中でも最大級の大船鉾(おおふなぼこ)である。大船鉾は1864(元治元)年の蛤御門の変で焼失してから一度も巡行をしておらず、焼け残ったご神体と懸想品(けそうひん)を披露する居祭(いまつり)を続けていた。その大船鉾が江戸期の絵図やほかの山鉾の構造を綿密に調査したうえで、およそ150年ぶりに再建された。全長7.47メートル、幅3.25メートル、高さ6.25メートルの船体に、菊水鉾譲りの大車輪を取り付けた堂々たる姿である。

 ついでにいえば、「あとのまつり」という「手遅れ」などの意味で使われることばは、祇園祭の後祭が、前祭よりも規模の小さいことから生まれたものだといわれている。


大船鉾の鉾建ての様子。


   

京都の暮らしことば / 池仁太   


池仁太(いけ・じんた)
土曜日「京都の暮らしことば」担当。1967年福島県生まれ。ファッション誌編集者、新聞記者を経てフリーに。雑誌『サライ』『エスクァイア』などに執筆。現在は京都在住。民俗的な暮らしや継承技術の取材に力を入れている。
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