イングランドで開かれた「ラグビーW杯2015」で大活躍したラグビー選手。1986年3月1日福岡県福岡市生まれ、29歳。

 10月12日(日本時間)、日本はアメリカに28対18で勝った。通算成績は3勝1敗。だが決勝トーナメントへは進むことができなかった。3勝して決勝に進めなかったのはW杯史上初めてだという。ラグビー日本代表のW杯が終わった。

 イギリスではほとんどの新聞がスポーツ面で日本の3勝目を取り上げ、「日本が1次リーグで大会を去ってしまうことは、ワールドカップにとって損失だ」と惜しんだ。

 “スポーツ史上最大の番狂わせ”とまでいわれた第1戦の南アフリカ戦の逆転勝利には、日頃ラグビーとは無縁の私のような者でも歓喜の涙を流した。まさに日本のラグビー新時代が到来したのである。

 中でも背番号15、フルバックの五郎丸歩(29)は一夜にして日本はもちろん、世界中のラグビーファンの星になった。

 南アフリカ戦では24点を挙げ、サモア戦ではマン・オブ・ザ・マッチにも選ばれ、サモアチームから最優秀選手の記念の杯が贈られた。

 正確なキック、勇猛果敢なタックルは敵の猛者たちを震え上がらせた。PG(ペナルティーゴール)のときのルーティンに見せる手を胸の前で合わせてちょっと首を傾げる仕草は、世界中の子どもたちが真似するようになった。

 『週刊現代』(10/10号、以下『現代』)によれば、南アフリカ戦の後、五郎丸はスポーツライターの藤島大氏にこう語ったという。

 「勝利は必然です。ラグビーに奇跡なんてありません」

 消防士の父親が熱烈なラグビーファンだった。3歳のとき兄たちの背中を追って福岡の「みやけヤングラガーズ」に入りラグビーを始めた。だが、グラウンドの横の草むらでバッタを追いかけているほうが多かったかもしれないと言っている。佐賀工業高校から早稲田大学へ。早大時代はスター選手として海外遠征も果たしヤマハ発動機に入った。

 しかし、最初のトップリーグ公式戦でラフプレーのため6週間の出場停止。その頃は「バッドボーイ」(藤島氏)のイメージがつきまとったという。

 2年目のシーズン途中、会社の経営状態がよくないことを理由にチームが縮小されてしまうが、広報宣伝の仕事をしながらラグビーを続ける。彼は『不動の魂 桜の15番 ラグビーと歩む』(実業之日本社、以下『不動の魂』)で、子どもの頃はラグビーよりもサッカーをやりたかったが、「強いて言えば、兄から『男だったらラグビーやれよ』と毎日のように挑発されていたから、売られたケンカは買ってやろうじゃねえか、というような気持ちがあったかもしれない」と語る。こうしたことがなければ今日の五郎丸は誕生してないかもしれないのだ。

 だが次兄の亮(りょう)には何をやってもかなわなかった。人一倍の負けず嫌いが折れそうになる心を支え続けた。

 『不動の魂』の中でフルバックの役割についてこう書いている。

 フルバックというのは、「チームの1番後ろで、抜けてきた相手にタックルする責任も大きい。自分がタックルするだけではない。誰よりも前が見えるポジションだから、チームに後ろから指示を出すのも大切な仕事だ。そのためには、いつも頭をクールにしておかなければならない。常に周りとコミュニケーションをとって、情報を集めて、最適な判断を下す」

 彼はキックする前のルーティンを何よりも大切にする。「ボールを小さく宙に回し、芝にトンとついてからティーに立てる。3歩後退、2歩斜め横に動く。右の腕を顔のあたりで軽く振って重心移動の感触を確かめ、腰を落とす。両手を拝み、こするようにしながら体の幹へとエネルギーを集中させる」(藤島氏)。元々ゴルフのスイングに想を得てラグビー界に導入されたそうだ。どんな簡単なキックの前でもルーティンを疎かにしないことを自らに課している。

 『不動の魂』の中で今回のW杯についてもこう決意を語っていた。

 「僕たちが目指す2015年ワールドカップ。そこでは、ラッキーな勝利はありえないだろう。自分たちに少しでも隙があれば、無残な敗北を強いられる。それはとてつもなく困難なチャレンジだ。
 だけどチャレンジは、困難であればあるほどやりがいがある。振り返れば、僕は3歳のときから、目の前の壁に立ち向かい、苦しみながら歩んできた。ラグビーからすべてを学んできた」

 エディー・ジョーンズヘッドコーチのしごきともいえるようなハードトレーニングにも耐え、正確なキック力を磨いてきた。流した汗が見事な大輪の花を咲かせた。

 『週刊現代』(10/24号)で兄の亮氏が佐賀工高時代のことをこう話している。

 「『僕が正面から当たると、弟はぶっ倒れる。でも立ち上がって何度も向かってきた。その根性と勇気はすごかった』
 亮さんが高校3年、歩が2年生で迎えた花園の準々決勝。その年、公式戦2戦2勝の東福岡高に12‐58と大敗した。
 『自陣ゴール前でキックを空振り、タックルも中途半端。試合中にほおをひっぱたきました』
 兄の高校生活に終止符を打った責任感から泣きじゃくる弟を見て、敗戦の話は封印してきた。
 『挫折を糧に積み重ねた自信を感じる。今は尊敬できます』」

 早稲田のラクビー部の監督で現在ヤマハ発動機ジュビロ監督の清宮克幸(きよみや・かつゆき)氏もこう語る。

 「『最初で最後のつもりです』と私に言い残して挑んだW杯で南アフリカを撃破し、人生最高の経験をしたでしょう。でも、今の彼ならば33歳になる19年の日本大会も活躍できる。『五郎丸時代』を作ってほしいですね」

 結婚は早かったと『不動の魂』の中で明かしている。早すぎると言われたが「自分の子どもにプレーする姿を見せたい」と思ったからだという。私生活は決して表に出さないが、子どもがいるとすれば、幼子の心に父親の活躍はしっかりと刻まれたはずだ。

 アメリカ戦後のインタビューで五郎丸は泣いた。夢ではなくなっていた、すぐ手に届くところまで来ていた決勝戦に出られなかった悔しさが襲ってきたのかもしれない。

 五郎丸よ19年の日本で開催するW杯がまだある。そこでまた君のあのキックを見せてくれ。

元木昌彦が選ぶ週刊誌気になる記事ベスト3
 『週刊文春』の新谷学(しんたに・まなぶ)編集長が春画を掲載したことで3か月間休養させられた。なんだそりゃ~というのが正直な感想である。春画の芸術性は世界的に認められている。それを掲載したから処分されるなど、出版社としてあってはならないことだ。
 聞くところによると、文藝春秋の社長が編集部に怒鳴り込んできたという。週刊誌に影響力を持つコンビニからも苦情が来たそうだが、弱腰すぎる。『週刊文春』と文藝春秋は今回のことについて説明責任を果たさなくてはいけない。沈黙するようならジャ-ナリズムの看板を下ろしたほうがいい。

第1位 「三重高3女子“殺人儀式”の奇怪」(『週刊文春』10/15号)
第2位 「『川島なお美』通夜でひんしゅくの『石田純一』が安保反対デモの後遺症」(『週刊新潮』10/15号)
第3位 「爆笑問題田中 山口もえ 子連れ再婚の陰にそれぞれのトラウマ」(『週刊文春』10/15号)

 第3位。爆笑問題の田中裕二(50)と山口もえ(38)の子連れ再婚は、それぞれにトラウマを抱えたものだと『文春』が報じている。ともにバツイチ。田中は6年前に9年連れ添った相手と離婚しているが「原因は妻の不貞。浮気相手の子供を妊娠したことを聞かされるという、想像もしたくない修羅場を経験した」(スポーツ紙芸能担当記者)。だが田中は、離婚の原因はすべて自分にあると相手を責めなかったという。
 山口のほうもIT系企業の社長と結婚したが4年前に離婚。2人の子どもがいる。2年半前から交際が始まり、トラウマを抱えた2人だからこそ絆を深めることになったと『文春』は見ている。お幸せに。

 第2位。「不倫は文化」ならぬ「戦争は文化じゃない」と国会前の安保反対デモで雄叫びを上げ、注目された石田純一(61)だが、『新潮』によればその「後遺症」は深刻だという。

 「テレビ番組を3つキャンセルされました。35年の芸能生活で、こんなのは初めてです。CMもひとつなくなったし、広告代理店を通して、厳重注意も2、3社から受けました。“二度と国会議事堂にデモに行くな”“メディアの前で政治的発言をするな”ってね。でも、世の中のためになることをやりたいと思っているので、“それは受けられない”って回答しました」(石田)

 その言やよし。テレビや広告の世界はまだ、「共産党万歳」と叫んで干された前田武彦の時のようなことをやっているのか。石田さん、今度の参議院選に出てはどうかな。テレビや広告会社は揉み手をして擦り寄ってくるぞ。

 今週の第1位は『文春』の記事。三重県伊勢市で起きた同級生殺人は、だれやらの小説にでもありそうな事件である。
   市内の高校に通う3年生の波田泉有(はだ・みう)さん(18)に「殺してくれ」と頼まれたとして、同級生の男子生徒Aが自宅から持ってきた包丁で刺し殺したのは、素晴らしいスーパームーンが見られた9月28日の夜だった。
 男子生徒は「(被害者が)かわいそうだからやった。救ってあげようと思った」と供述しているという。
 二人は2年の時クラスメートで、波田さんは相談にのってくれるAを「親友」と呼んで心を開いていたと『文春』が報じている。
 二人にはそれぞれ恋人のような交際相手がいて「男女の関係ではない」(Aの交際相手の友人)。波田さんには自殺願望が根深くあり「十八歳になったら死ぬ」と以前から仄めかしていた。「波田さんの腕にリストカットの痕があったことは、複数の同級生が覚えている」(『文春』)
 何度か家出をして自殺しようと試みたことがあったそうだ。「自分には生きている価値がない」と話す波田さんに、学校側も心配して医療機関を紹介し、それ以降は普通に学校に通ってきていたという。
 だが、彼女の自殺願望は消えることがなく、「他人に頼まれると、嫌なことでもやってあげる」(小中学校の同級生)ところのあるAに、自分を殺してくれと頼み、Aはそれを実行した。
 精神科医は彼女が精神的な障害を抱えていたのではないかと指摘している。私の世代では「太宰治症候群」とでも呼びたくなるものがあったのであろうか。
 その医師は、彼女から常日頃、殺してくれと頼まれていたAは「洗脳状態」にあって、それがために実行してしまったのではないかと推測している。
 夕暮れ、二人は虎尾山(とらおやま)をのぼっていった。頂には日露戦争の戦没兵士を慰霊する記念碑が建っている。最近は地元の作家・橋本紡(つむぐ)氏が書いた恋愛小説『半分の月がのぼる空』の舞台になったことから「恋愛の聖地」と呼ばれているそうである。
 『文春』によれば、Aが波田さんの左胸深く包丁を突き立てたのは、午後5時10分頃のことだったという。Aもその後死を意識した。だが、しばらくして友人にLINEで居場所を伝えた。

 「死にきれず、山中で放心状態だったAは当初、波田さんの遺体に誰も近づけようとしなかったという」(『文春』)

 「生を愛するが故に死を恐れる思想は欺瞞であり、生の苦痛を征服し、自殺する勇気をもった新しい人間こそ、自ら神になる」(ドストエフスキー『悪霊』より)

 彼女は神になったのか。18歳で日光の華厳滝に飛び込んで死んだ藤村操(みさお)は傍らの木に「巌頭之感」を書き残した。20歳で自殺した高野悦子は遺書『二十歳の原点』を残した。波田さんは何を書き残したのであろうか。
   

   

読んだ気になる!週刊誌 / 元木昌彦   


元木昌彦(もとき・まさひこ)
金曜日「読んだ気になる!週刊誌」担当。1945年東京生まれ。早稲田大学商学部卒業後、講談社に入社。『FRIDAY』『週刊現代』の編集長をつとめる。「サイゾー」「J-CASTニュース」「週刊金曜日」で連載記事を執筆、また上智大学、法政大学、大正大学、明治学院大学などで「編集学」の講師もつとめている。2013年6月、「eBook Japan」で元木昌彦責任編集『e-ノンフィクション文庫』を創刊。著書に『週刊誌は死なず』(朝日新書)など。
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