安土桃山時代に日本を訪れたポルトガル人などによって伝えられた南蛮菓子の一つ。布教の具や大名への贈答品として用いられていた。語源は砂糖菓子を意味するポルトガル語confeito(コンフェイト)で、金米糖、金餅糖、渾平糖、そして糖花とも表す。当時の南蛮菓子はたいへん貴重であり、中でも金平糖は製法が秘密にされていたため、和菓子職人が試行錯誤を繰り返しながら製法を編み出していった。金平糖が長崎に伝えられてから、江戸に製法が伝わるまで、百数十年もの月日がかかっている。京都には1569(永禄12)年に、後の二条城、当時の足利将軍邸に伝えられたのが最初。京都を訪れた人への手土産として珍重されていた。

 金平糖の製法は「掛け物」という技法の一種。「つのかけ釜」と呼ばれる平底の大きな鍋を加熱しながら、ケシの粒の芯に糖蜜をかけ、ゆっくりと凝固させる作業を繰り返す。すると、粒は少しずつ大きくなっていき、通常3日間ほど続けると、特徴の小さなイガ(角状の突起)ができはじめる。立派なイガになるのに14日間もかかり、長いものでは20日間も繰り返される。さらに、釜の傾斜角度や回転速度がわずかに違えば、イガのない丸い固まりになってしまう。

 京都には日本で一軒だけの金平糖専門店・緑寿庵清水(りょくじゅあんしみず、左京区)がある。現在はケシの実を使わなくても、砂糖の結晶を芯にして凝固させられるようになり、さらに糖蜜には、さまざまな素材を混ぜ合わせることができる。果物や肉桂、抹茶、チョコレートなどのいろいろな金平糖があり、味も香りも素晴らしい。香りの強いイチゴの金平糖をつくっているときなど、緑寿庵の近くにある京都大学や百万遍の一帯は、イチゴの甘い香りが充満している。


緑寿庵清水の肉桂の金平糖。


   

京都の暮らしことば / 池仁太   


池仁太(いけ・じんた)
土曜日「京都の暮らしことば」担当。1967年福島県生まれ。ファッション誌編集者、新聞記者を経てフリーに。雑誌『サライ』『エスクァイア』などに執筆。現在は京都在住。民俗的な暮らしや継承技術の取材に力を入れている。
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