よもやま句歌栞草

「都市」「食」「恋」などといったさまざまなキーワードを採り上げ、それをモチーフとした俳句や短歌を鑑賞していきます。

中村 裕(俳人・編集者)

Vol.11生死

「神が死の以前に出生を置いたのは賢明であった。そうでなければ、われわれは人生についてなに一つ知ることができないからである」(アルフォンス・アレー)

「生は死の発端である」(ノヴァーリス)

生死は人生におけるスタートとゴールと考えるならば、その意味を問うことは人生そのものを問うことにもなり、俳句の題材としては間口が広すぎるとも思えるが、この世界最短の詩形は、案外、生や死というものとの親密な関係をみせてきた。その理由のひとつは季語にあると思われる。俳句にとって季語はかならずしも不可欠のものではないが、それが俳句というジャンルをここまで押し上げてきたことは間違いない。俳句における季語の働きは、詩中におけるキーワード的な動きにあるのではなくて、実はうつろいゆく自然を意識させるところにある。「花」といっても眼前にある花そのものだけをさしているのではない。芽吹き、花開き、そして散っていく生から死へ至るうつろいゆく時間経過に目覚めさせ、眼前の花との貴重な出会い、一期一会を強く意識させることにある。つまり季語は、生死を内に含んだ言葉として俳句にとって大切なのである。

短夜や乳ぜり泣く子を須可捨焉乎(すてっちまおか)竹下しづの女 しづの女は夫の急逝後、福岡市立図書館に司書として勤め、二男三女を育て上げた。その気丈ぶりは「汗臭き鈍〈のろ〉の男の群れに伍す」といった句にも充分うかがえるが、そんな日々にも、このように何に対して怒りを向けていいのかわからない一瞬の苛立ちにおそわれることがあったのだろう。それでも下句をあえて万葉仮名表記にしたところが、いかにもしづの女らしいしたたかさである。「乳ぜり」は母乳を催促すること。

あぢさゐの花より(たゆ)くみごもりぬ篠原鳳作 妻が懐妊したのだが、その様子が紫陽花の球状の花(手毬花、瓊〈たま〉花という別名の由来)より気だるそうだというのである。紫陽花が気だるそうに咲いているというのは、その色や形から納得させられるが、身ごもった妻はもっと気だるいのだという断定は、意表をついて面白いし、断定した分だけほほえましくもある。「赤ん坊の蹠〈あうら〉まつかに泣きじやくる」「太陽に襁褓〈むつき〉かかげて我が家とす」といった生命賛歌の明かな他の鳳作の作品にも通じる生命への暖かいまなざしをやはり感じる。

吾子(あこ)生るわれ()を垂れてをりしかば
吾子は死にもろ手をたもちわれ残る渡邊白泉
自筆稿本『白泉句集』の中の「涙涎集」に収める連作“吾子誕生”と“吾子逝川”にある二句。昭和15年、早産のために出産後1ヶ月足らずで長女を失った折の句である。ともに無季の句だが、初めての我が子を得た厳粛ともいってよい喜びと、それをたちまちに失ってしまった茫然自失ぶりが、きわめて洗練された表現を得てみごとに定着されている。

(ひいらぎ)や罪生誕の刻にあり斎藤慎爾 柊は常緑樹なため、ヨーロッパでは冬でも生命を保つ神秘的な木とされ、古くは冬至の儀式に使われた。現在、クリスマスに使われるのはその名残だとされる。この句でイメージされている柊は明らかにクリスマスにおけるそれで、キリスト教の原罪思想が背景にある。一方、日本では「疼〈ひいら〉ぐ木」からきたヒイラギという名前からもわかるように、触れば痛い棘のある葉を厄除け魔除けに使ってきた。ここでは和洋両様の意味が重ね合わせられ、散文的に単純化していえば、原罪を産む人間の誕生は、それゆえに痛みを伴うのだということだろう。

なきがらや秋風かよふ鼻の穴飯田蛇笏 重厚高邁なだけでなく、時にゾクッとするような冷徹な眼差しを感じるのも蛇笏の句の特徴だ。この句などはその典型。言っている以上の意味はないのだが、もうそれで充分という気がする。「夏真昼死は半眼に人をみる」というのも充分に気持悪い。「死病得て爪うつくしき火桶かな」はそれらとは違い、物語性を帯びた艶美な句である。

大寒や見舞に行けば死んでをり高浜虚子 「大寒の埃の如く人死ぬる」も同じ時につくられた句だという。ともにまことに素っ気なく、冷たく突き放したように人の死を扱っている。不謹慎じゃないかという声があがりそうな気がするぐらいだが、死をちゃかしたり、弄んだりしているわけではない。厳然とした事実をそのまま粛々と述べているだけなのである。この押しても引いてもびくともしないような、揺るぎない俳人としての腰の据わり方がいかにも虚子なのである。

朝顔や百たび訪はば母死なむ永田耕衣 耕衣には母親を、特に死との関連で詠んだ句が多い。「朝顔や老母死なねば死とてなく」「寒雀母死なしむること残る」「母の死や枝の先まで梅の花」「母の忌や後ろ向いても梅の花」等々。「私の作句エネルギーと結実は父母の体内から持続しているものであり、父母の体内以前の存在の根源、そのカオスからの恵まれである。あるとき父母に執するのは、父母を超脱する志によるものであったといっていい」(「陸沈條條」)と書く耕衣にとって、母の死を俳句によってとらえることは、自分の存在を超越する行為といってもいいのだ。掲出句中の二句に出てくる「梅の花」には「産めの端」が隠されている。

白露や死んでゆく日も帯締めて三橋鷹女 鷹女が50歳を越えたばかりの頃の作品で、老年にさしかかった人生の哀歓が強く響いている。帯はかつての日本女性の身も心も強く締めつけてきたもの。だからこの句は、あくまで自分は日本の女として死んでいくんだという決意を表明しているのである。そのプライドを保って、それに殉じて死にたいということである。「日本の我はをみなや明治節」という句もある。

暗がりに檸檬泛かぶは死後の景三谷昭 自分の死後の光景を幻想しているのだが、生前と切り離されてそれがあるわけではない。冥界の空間に泛かんでいるのは1個のレモン。その明るいレモン色がいかにも三谷昭だという気がする。俳句における青春の祝祭ともいうべき新興俳句運動に邁進し、弾圧事件で自らも検挙されるが、めげることなく、戦後の俳壇をリード。その向日性を象徴する色がこのレモン色だという気がする。

とこしへにあたまやさしく流るる子たち三橋敏雄 「流」の「〈とつ〉」は流屍の象形。上半分は頭の形、下は髪の毛が水に漂う形で、流れゆく屍を表わしている。初生児を水に投棄した俗もこの字の背景にあるという(白川静)。三谷昭の句にある「泛」もやはり流屍の象形だが、そのことを彼がどれだけ意識していたかはよくわからない。しかしこの敏雄の句では明らかに作者はそれを知った上でこの句をつくっている。字義がそのまま句意になっているからだ。生と死の間〈はざま〉を永遠に流れゆく子供たち。その髪の毛がやさしく水に漂っているのである。

2003-11-10 公開