よもやま句歌栞草

「都市」「食」「恋」などといったさまざまなキーワードを採り上げ、それをモチーフとした俳句や短歌を鑑賞していきます。

中村 裕(俳人・編集者)

Vol.14日本

「日本」が対外的な国名として使われ出したのは7世紀頃らしいが、それ以前の大和や倭からどのような経緯で日本に変わったかは定かでない。その曖昧さはこの国そのものの曖昧さに通じているように思う。確かなのは東方の意味の「日出処」に由来していることで、太陽のもとにある国というその表現はいかにも居丈高で高圧的だ。一方、少し客観的に日本という国を眺めて見れば、名は体を表わすどころではない。ちっぽけな極東の弱国にしかすぎない。日本を詠み込んだ俳句作品をみてみると、特に近代に入ってからのものに、このギャップを意識した作品が目につくようになる。外国や世界をそれまで以上に知るようになったことが、その背景にあると思われる。海外の知識に乏しかった江戸時代には、たとえば「山門を出れば日本ぞ茶摘唄  菊舎」のように、日本を俳句に詠うことに心理的な屈折といったものを感じとることはあまりできない。

日本の我はをみなや明治節三橋鷹女 明治節は11月3日の現在では文化の日といわれている祝日。明治時代には天長節と呼ばれ、昭和3年に明治節と制定された。鷹女は明治32年生まれ。女性の自己表現が今日ほどオープンではなかった当時にあっての、高らかな明治女の自己宣言である。「日の本の男の子かなしも業平忌」という句もある。「夏痩せて嫌ひなものは嫌ひなり」や「初嵐して人の機嫌はとれませぬ」といった句からうかがえる生来の勝気さも充分に伝わってくる。

寒波急日本は細くなりしまま阿波野青畝 突然の寒波が日本列島を襲う。それに震え上がるように日本列島自体が身を細くしたままだというのである。日本列島の形はこのような擬人化が自然にできてしまうようなところがある。「まま」が実に巧みで、この効果によってぐっと臨場感が出てくる。

夜景展がる崖の暗がり日本の虫小倉緑村 夜景というからには大都会のそれを思いたい。近代的な大都会の近くに、ぽっこりと残された自然のままの崖。その暗がりから虫の音が聞こえているのである。あえて虫を「日本の」と修飾するからには、作者はそこに日本の来し方行く末を思っているのである。開発を免れることでしか存続していけない日本とはいったい何なのか。

日本の夜霧の中の懐手高柳重信 袖口の開いている和服では、寒い時、ついつい手を袖口から懐に入れ、温まろうとする。これが懐手。その様子はどこか斜に構えた不精な感じを与える。敗戦直後の作品と推定されるから、おそらく作者は懐手しながら、日本という国に思いを致しているのである。「中」がポイントで、この前後にいわゆる切れがないわけだから、懐手している作者は夜霧に包まれてしまっているのである。客体として目の前に見ているわけではない。作者の苦悩と不安の深さを思わせる。後年の寺山修司の「マッチ擦るつかのま海に霧ふかし身捨つるほどの祖国はありや」につながっていくような喪失感。この句の前後に「友はみな征けりとおもふ懐手」「さしぐむや涙をまもる懐手」という句もつくっている。

梅雨の地に据らぬ足やここは日本佐藤鬼房 句意は単純明快である。長雨でぬかるんだ地面に足をとられ、行き泥(なず)んでいるのである。「ここ」とあえて必要もないのに(梅雨だから日本に決まっている)特定しているところには、作者の日本への批判的な眼差しと日本人であることを持て余している思いを感じる。

はろかなる露の北斗の尾の日本加藤楸邨 北斗七星に地球上の日本をもってきたのに、少しも句が雄大に感じられないのが面白い。言うまでもなくそれは「露」のせいである。露が降りるのは秋の晴天の夜に多い。つまり北斗七星は煌煌と冴えわたっているのである。しかし地上の「日本」は露に濡れそぼっている。なんともみすぼらしくも儚い日本である。

日本の夕焼に孔雀鳴きにけり渡邊白泉 孔雀の鳴き声は残念ながら知らない。しかしその悲しげな声はまじまじと聞こえてくるようだ。南アジアやインド生まれの孔雀はこの極東の地へ無理やりに連れて来られたのである。孔雀の鮮やかな色彩を奪いとったかのような日本の夕焼けに向かって、それは悲しく鳴くしかないのである。山口青邨に「惨として大英帝国夕焼す」という句があるが、ともに俳句における色彩の効果を見事に使った句である。

家家のまなじり濡れて日本かな折笠美秋 「まなじり」は軒の隠喩だろう。目尻が涙で濡れているというのだから軒から雫が垂れようとしているのだろう。まことに説得力をもった隠喩である。日本そのものが現出しているようなリアリティーがある。

にっぽんは葉っぱがないと寒いんだ藤後左右 的確かつ大胆に対象をつかみとることを本領とした俳人だが、この句も得意な口語調を活かし、簡潔で鋭く現代の日本を批評している。日本を含むモンスーン気候帯での植物の重要性はいうまでもない。それが存在しない風景を想像しただけで寒くなる。

こちら日本戦火に弱し春の月三橋敏雄 湾岸戦争に際してつくられた作品。戦争放棄を憲法にうたった日本が戦火に弱くて当然なのである。それを世界に向かって呼びかけているような設定が強烈な諧謔味を生じさせる。散文的な批評を完全に俳句という韻文に溶かし込んでしまっているのは、さすがというべきである。

菜の花は日本の花そうかいなあ林正行 菜の花を詠んだ名句は多い。「菜の花や淀も桂も忘れ水  言水〈ごんすい〉」「菜の花や月は東に日は西に  蕪村」などなど。小学唱歌にも歌われ、日本の春の農村風景にはなくてはならないもののひとつとして定着している。しかしそれは日本原産ではない。西アジア原産で、中国経由で渡来した栽培植物なのである。日本情緒を形成してきたといわれる風物には案外、菜の花のように歴史の浅いものが少なくない。作者はそれを民謡の囃子ことばを借りたような口調で軽く茶化している。

日本脱出したし皇帝ペンギンも皇帝ペンギン飼育係りも塚本邦雄 戦時中、短歌では国威高揚のために日本がさかんに歌われた。それへの批判、反動がこの歌の基調をなす。「皇帝ペンギン」だけでもびっくりするのに、「皇帝ペンギン飼育係りも」と畳みかけることで、敗戦後の日本人のいたたまれない心情を見事に形象化した。

2003-12-22 公開