よもやま句歌栞草

「都市」「食」「恋」などといったさまざまなキーワードを採り上げ、それをモチーフとした俳句や短歌を鑑賞していきます。

中村 裕(俳人・編集者)

Vol.13

俳諧の時代にも女流俳人(俳諧師)がいなかったわけではないが、かつて俳句は主に男たちによって行なわれる言葉による遊興という性格が強かったから、その場にいつも酒はつきものだった。それにしては酒を直接に詠んだ俳句は少ないという印象。酔いという生理状態を常に伴なうため、酒を詠んだ句は、内容が簡単に割り切れやすい、つまり川柳化しやすいためかもしれない。とはいっても日本酒自体は、米からつくるために日本の農耕や神事と深い関わりをもち、また共同体の一体感を確認し強めるという意味でも重要な役割を果たしてきた。季語となっているものとしては、まずお正月の「屠蘇」、新年の祝い酒である「年酒」、夏の「ビール」「焼酎」「冷酒」、秋の「新酒」「濁り酒」、冬の「熱燗」「鰭酒」「卵酒」「寝酒」などが主なもの。新酒が秋のものとされるのは、以前は新米の収穫後ただちに酒造りを行なったので、秋の季に入っているのである。それを「新走〈あらばし〉り」「今年酒」「早稲酒」「秋造り」といったりする。現在では11月から翌3月にわたって醸造する「寒造り」が一般的なので、秋の新酒はない。

玉子酒思ひ屈する男あり松瀬青々 青々の代表作とされる「日盛りに蝶のふれ合ふ音すなり」は、感覚を極限まで研ぎ澄ませたような繊細な作品で、一時期、参加したこともあるホトトギスにおいて子規が提唱していた印象鮮明な写生句とは、ずいぶん肌合いが違う。実際にも子規門とは相容れず、大阪に戻って、関西俳壇の興隆に力を注ぐことになる。無理につじつまを合わせることもないが、そういう俳人としての彼の思いをこの句の「思ひ」に重ねて、鑑賞することも可能だろう。

どぶろくに身まげ酌むなるおのれ知る森川暁水 どぶろくは濁り酒ともいって、発酵熟成している醪〈もろみ〉を圧搾、精製しないで、そのまま用いたもの。漉していないから白く濁っている。明治末年まではさかんに飲まれた庶民の酒であった。現在の酒税法では、どぶろくについての規定がないため、密造の可能性があるというので、製造は許されていない(現在、市販されているものもあるが、それは布で濾過したもので、清酒扱いを受けている)。自分の身体的な癖は、本人にはなかなか気がつかないもの。長年、どぶろくを飲んできた作者は、口をつける時、思わず前かがみになる癖がついていたのだろう。それを人に指摘されたのである。そんな自分をいとおしむようでもある。

年酒酌むふるさと遠き二人かな高野素十 年始回りにきた客に、おせち料理などをすすめながらふるまう新年の祝いの酒で、最初の一杯は屠蘇というのがしきたりだった。ゆっくりと年酒を飲めるぐらいだから、この二人は上京して、ある程度の生活のゆとりを味わえるまでになったのだろう。これまでの労多き月日を思いつつ、また同時に望郷の思いもつのってくるのである。

ビール酌む男ごころを灯に曝し三橋鷹女 ビールは幕末すでにオランダの技術で試作され、明治に入り、イギリス人コープランドが横浜天沼にビール醸造に適した湧水を発見し、「天沼ビアザケ」を発売した。大ビン一本15銭。米一升が8銭の時代である。これが後のキリン麦酒。明治10年には北海道開拓使が「開拓使ビール」を発売。後のサッポロ麦酒である。日本人のビール受容には日本酒との関係が大きく作用しているように思う。同じ醸造酒でありながら、炭酸を含むビールは日本酒とは違った爽快な口当たりがあり、それがごくごくと喉で味わう飲み方につながり、夏の季語にもなった理由だろう。西欧人が常温でちびちび飲んでいるのを見ると、奇異に感じるが、それは順序が逆なのである。そんな日本人にとってのビールであるからこそ、辺りはばかることなく、男心を灯にさらすことができるのだ。

焼酎のつめたき酔や枯れゆく松西東三鬼 アルコール度の高い蒸留酒である焼酎の酔いは、暑気払いとして冷やして飲まれたこともあって、体の芯から暖かくなるというよりは、どこか冴え冴えとしてくるようなところがある。そのような冴え冴えとした酔いごこちに、「枯れゆく松」が三鬼らしい肉感をともなってよく響いている。

熱燗やかゞめたる背にすがる老イ久保田万太郎 熱燗だからゆっくり慎重にお猪口か杯に口を運ぶ。自ずと前かがみになって、背をかがめることになる。その背には隠しようもなく老いが現れているというのである。「すがる」が万太郎ならではのうまさである。老いというものが人間に忍び寄る様を言い得て妙である。さらには熱燗にもこの「すがる」はかかっていて、酒好き俳人の琴線をふるわせる。

父酔ひて葬儀の花と共に倒る島津亮 お斎〈とき〉の膳などで過ごしてしまったのか、酔って足元が覚束ない父が、飾ってある花といっしょに倒れてしまったのである。葬儀という非日常の場では人々の心理状態も常の状態ではないから、酒量を計れない人も出てきて、こんなことも容易に起こり得る。しかしそんな散文的なことをいいたいわけではないだろう。厳粛であるべき場で、こんな失態を演じてしまった父親へのかすかな哀憐の情がこの句の底を流れているのではないか。祭壇はあたかも舞台のようでもある。人生という厳粛な舞台でかずかずの失態を演じてきた父、その子である自分も同様な人生を歩んでいるのかもしれないのだ。

武蔵野を傾け呑まむ夏の雨三橋敏雄 この「武蔵野」は大きな杯のこと。昔からいう武蔵野は現在の東京都と埼玉県にまたがる洪積台地で、広大なため一目では野を見尽くせないところから「飲み尽くせない」に引っかけて大きな杯を意味した(「武蔵野の恋」といえば広大なため遠慮したり隠したりする必要のない恋)。また豪雨のことを野を傾けるような雨ともいう。そういった洒落や縁語を巧妙に使った豪快な酒の句。

熱燗や討入りおりた者同士川崎展宏 「討入り」というからにはやはり赤穂浪士の討入りであろう。しかしこれが史実であるかどうかはどうでもよい。いかにもありそう、というかあったとしたらなんとも楽しいといった軽い気分の句。

にこやかに酒煮ることが女らしきつとめかわれにさびしき夕ぐれ若山喜志子 姓でお気づきかもしれないが、喜志子は若山牧水夫人。牧水といえば「白玉の歯にしみとほる秋の夜の酒はしづかに飲むべかりけれ」で知られる酒好き歌人のまず筆頭格にあげられる人。その夫人がこんなことを思いつつ酒に燗をつけていたということを知れば、酒はずっと男社会のものであったことに思い到るのである。

昨夜ふかく酒に乱れて帰りこしわれに喚きし妻は何者宮柊二 少しの反省もないのである。柊二夫人は牧水夫人ほど耐える女ではないらしい。「何者」が不気味だ。これは責めているわけではないだろう。なにか得体のしれないものが、したたか酒に酔った自分の前に突如、出現したのである。

アリバイをのこさぬためにもう一度空の徳利をふってみる山崎方代 酒飲みの意地汚くも切ない行為。せめてこのように言ってみたのである。徳利を空にして、ついに完全犯罪が成立というわけである。方代は「酒も煙草も二十一才を越えて来しこの忍従もあぢけなきかな」という歌もつくっている。

2003-12-08 公開