よもやま句歌栞草
「都市」「食」「恋」などといったさまざまなキーワードを採り上げ、それをモチーフとした俳句や短歌を鑑賞していきます。
中村 裕(俳人・編集者)
Vol.19山
歳時記では、季語を時候、気象、地理、植物、動物、生活、行事などと大きく七つに分類するのが一般的だが、どの歳時記でも地理の項目の数が最も少ない。中でも山に関係したものは、たとえば夏では「夏の山」「梅雨の山」「皐月冨士」「山滴る」「青嶺」「赤冨士」「雪渓」といった程度である。俳句作品でも、古典ではたとえば「冨士」では鬼貫の「によつぽりと秋の空なる不尽の山」、蕪村の「冨士ひとつ埋み残して若葉かな」や芭蕉や一茶のわずかな作品が知られるぐらい。しかし日本は国土の三分の一が山地という有数の山国。もっと詠われてもいいはずだと思われるが、このギャップには、あまりにも身近かなものなので、対象化しにくいといった事情があるのかもしれない。とはいっても、古くはそこは山の神の宿る神聖な場所であり、その後、修験者、樵、猟師が入り込むようになり、城や砦が築かれるようになると、山は異界ではなくなり、近世に入り生活資源を提供する場、あるいは庶民信仰の対象となると、山と人々の隔たりはしだいになくなっていった。さらに明治以降、西欧からアルピニズムが伝えられると登山の対象になっていく。そういった山の諸相は俳句にどのように反映されているのだろうか。
山ありてこの春の彼岸がくる 彼岸は、昼と夜の長さが等しい春分と秋分の日を中日とした、その前後三日ずつを合わせた一週間をいう。単に彼岸といえば春の彼岸をさすので、この句のように春を冠する必要は本来はない。彼岸は梵語の「波羅密多〈はらみた〉」の訳で、仏教の理想の境地である涅槃〈ねはん〉に達することで、春分と秋分の日に太陽が真西、つまり西方極楽浄土の入り口に沈むので、彼岸会などの仏事や墓参りが行なわれるのである。しかし、もともとは季節の変わり目として、農神を祭り、農事始めの神祭を行なって、作物の豊穣を祈る時期であった。この句ではこちらの農事に関係した彼岸に比重を置いて詠われていると思われる。山がもたらす豊かな水は田植えなどに欠かせないからである。
ふるさとの幾山垣やけさの秋 「大和は国のまほろば たたなづく青山ごもれる 大和しうるはし」(「古事記」)、「たたなはる青山垣」(柿本人麻呂)と古くから詠われたように、四方を青い山々に囲まれた風景は、母に抱かれているような安心感をもたらす心やすらう日本人の原風景の一つといっていいだろう。
雪の山山は消えつゝ雪ふれり 山に雪が降っているということを、なんのてらいもなく、きわめて淡々と叙しただけのような印象をまず受けるが、読後感にはそれだけではない厳とした現実の前に立たされているような粛然としたものが残る。「山は消えつゝ」がおそらく非凡なのである。ことば自体はきわめて平凡である。何事もないかのように差し出されているが、しかしこの平凡さにはなにかを超えた勁さ、強靭さといったものがある。それによって、今までのではない今の「雪の山」が目の前にありありと現前してくるのである。
朝焼の雲海尾根へ溢れ落つ 石橋辰之助は近代スポーツとしての登山を俳句のテーマに選んだ最初の俳人といっていいだろう。この作品は昭和7年の作。まだ水原秋桜子の影響下にあった頃のもので、「馬酔木」調の流麗な美意識がうかがえる。高山を鳥瞰したような視点から、朝日に赤く染まった雲海が溢れるように落ちてゆき、尾根がせり上がってくる大景がダイナミックに捉えられている。
山又山山桜又山桜 漢字のみの繰り返しで構成されたきわめて技巧的な作品だが、字形のつくるリズム感が心地よく、それがどうしたこうしたといった形容や作者の感慨などを聞きたいとは思わなくなる。これで充分という気にさせるところが、この句が成功している証拠といってよい。青畝は生まれてからずっと奈良に居を据えた人だから、これは吉野辺りの風景と考えられる。とすると、これは止まって眺めている景ではなく、電車か自動車で移動しているときのものだろう。低山の連なるあの辺りの風景がこのリズムをつくっていると思われる。
夕焼けて山々肩を落し合ふ 山の擬人化だが、嫌味にはなっていない。「合ふ」によって作者もともにという気持が伝わるからである。一日が終り、一日中立ち続けた山々とともに作者もぐったりと疲れきっているのである。山の擬人化で成功した作品では山口誓子の「秋の暮山脈いづこへか帰る」が名高い。
雪嶺のひとたび暮れて顕はるる 日暮れて一度、闇に没した雪嶺が再び夜空に顕ち現れてくる、と散文的に説明しても、この句のよさを充分に伝えたとは思われない。この雪嶺は現実に存在したとしても作者の心象中のものと考えた方がよい。作者の考えるある秀でたものの一様態を暗喩したものと考えた方が作者の本意に近いのではないだろうか。それは埋没ののち、やがて顕ち現れてくる作者自身かもしれない。接近した句意の作品として深見けん二の「霧うすくなれば日当たる山のあり」が思い浮かぶ。
ふるさとの山は愚かや粉雪の中 この「愚か」には万感の思いがこもった親近感といったものが込められている。自嘲にも近いのだが、もう少し親しいもの。これでいいんだ、どこが悪いんだという少々投げやりな気持も伝わってくる。「粉雪」が過不足なくその作者の思いを伝える。
たましひのまはりの山の蒼さかな
八王子育ちでひぐらし秩父や丹沢の山々を眺め暮らしていた作者には山をテーマとした秀句が多い。中でも上掲句は代表句の一つで、短冊などにも好んで揮毫した。「たましひ」さえも包み込もうとする山の霊力を、「蒼さ」によって具体的に提示したのがこの句の優れた点である。「遠き富士最も光るとき消えたり」「ただの山
初冨士のかなしきまでに遠きかな 元日に見る富士山がどうして「かなしきまでに遠き」に感じるのか。それには簡単な言い替えを許さない「かなしい」というきわめて曖昧で複雑な日本語を読者それぞれが味わってみるしかない。「かなしい」には「悲」「哀」「愛」といった字があてられるが、この句の「かなしき」はそれらすべての情感を含んでいるのである。
ふるさとの山に向かひて 言ふことなし ふるさとの山はありがたきかな どんな説明も不用と思わせる日本語の一部と化してしまったような歌だが、この原郷といってもいいような山に向き合っている作者を思うべきだろう。啄木の立っている現実は、そのふるさとの山からは遠く隔てられているのである。だからこの啄木の意識は、いずれ日常の現実世界からの離脱を希求するようになり、現状否定の精神につながっていくのである。
喪のいろのたぐひとおもふもんぺ穿き山の華麗に
2004-03-08 公開