よもやま句歌栞草

「都市」「食」「恋」などといったさまざまなキーワードを採り上げ、それをモチーフとした俳句や短歌を鑑賞していきます。

中村 裕(俳人・編集者)

Vol.16動作

人間の動作自体は季節とは無関係なので、当然のことながら季語になることはなかった。例外は「汗かく」「かじかむ」「凍える」といった寒暖に関係する行為だが、それも厳密には動作とは言いにくい。しかしなにかの動作が詩的発想の契機となることは、充分にあり得ることで、ある動作をきっかけに発想されたと思われる俳句作品が、思い起こしてみればかなりあることに気づく。そんな作品を紹介してみる。

足のうら洗へば白くなる尾崎放哉 放哉の動作を詠んだ句では「咳をしても一人」「入れものが無い両手で受ける」「墓のうらに廻る」といった作品が名高いが、上掲句も最も作句に充実した小豆島時代のもので、身体に寄り添った実存性の高い放哉らしい作品である。洗って白くなった足の裏は、もはやあの世のものであるかのような白々とした輝きを放っている。

春昼の指とどまれば琴も止む野澤節子 節子は12歳の時に脊椎カリエスを発病し、20余年の闘病生活をおくるが、その病床で俳句をつくり始める。しかし、いわゆる療養俳句のもつ暗さはなく、逆に生への強い意志を感じさせる格調高い独自の作風を確立した。同時期の「冬の日や臥して見あぐる琴の丈」とともに知られたこの句は、動作をじっくりと見つめる客観冷静な目が、溢れるような抒情性にしっかりした重量感を与えている。

くさめして我はふたりに分れけり阿部青鞋 くしゃみは鼻粘膜が何かの刺激を受け、自分の意志に反して発作的に起こるために、何かの知らせ、前触れ、前兆と昔から考えられてきた。この句のくしゃみは、そういった意味でよりもくしゃみ自体の衝撃を、自分の中のもう一人の自分が吹き飛ばされてしまったようだと端的に表現している。「あめつちを俄かに思ふくさめして」という句もつくっている。

憲兵の前で滑つて転んぢやつた渡邊白泉 憲兵は一般的には軍隊内の警察機構と考えてよいが、この句のつくられた頃の日本の憲兵は、国家警察機関としての性格が強く、一般国民を対象とした日常監視を主要な任務とするようになっていた。特高と並んで、軍国主義体制下にあえぐ人々にとっては、恐怖と憎悪の的だった。その前で転ぶという自己戯画化することで、その恐怖感からわずかでも身をかわそうとしているのである。しかしこの句のつくられた翌年の昭和15年、いわゆる新興俳句弾圧事件で白泉は特高に逮捕されることになる。

今日の月一挙一投足に影阿波野青畝 「今日の月」は陰暦8月15日の月、つまり仲秋の名月のことだから、煌煌と降り注ぐような月光によってくっきり鮮やかに人の影ができているのである。おそらく自分の影である。ただそれだけのことなのだが、「一挙一投足」とあえて大仰に言うことで、月光の煌煌たる様が具体に見えてくるような気がしてくるのが面白い。

あぐらゐのかぼちやと我も一箇かな三橋敏雄 「あぐら」は胡座や呉床と表記するが、足〈あ〉を組んで坐るので「アグラ」と称するのだろう。現在では両膝を横に広げる楽な坐り方をさすが、「古事記」などの用例をみると、一段、高く設けられた貴人の座で、ときに神の座でもあったらしい。確かにその姿からはへりくだった感じはしない。どこかえらそうである。「ゐ」は「居」で、あぐらをかいているということ。自分の前にどんと置かれてある南瓜は、いかにもあぐらをかいているように見える。そういう自分もあぐらをかいていたわけだ、と軽く興じているのだ。とすると自分も一箇二箇と数えられる存在なわけか、という自嘲の気持をさらに重ねる。

しばらくは風を疑ふきりぎりす橋閒石 「風過ぎて鳴き止むもありきりぎりす」(鈴木花蓑〈はなみの〉)という句もあるから、きりぎりすはとりわけ風に敏感なのだろうか。いずれにしても鳴き止んで、あたりをうかがっているようなきりぎりすの様子を擬人化して、風を疑っているのだと断定する。この断定の強さが諧謔を生む。「しばらく」がさらにそのおかしさを増幅させて、巧みである。

号泣やたくさん息を吸ってから池田澄子 号泣なのだから、そうとうに深刻な事態のはずなのだが、その原因の方に意識を向けるのではなく、動作自体に目を向けたところが、転んでもただでは起きない俳人魂といったところか。動物のあらゆる動作は、その動作に移る前の動作というものがある。その多くは反対の動作である。高く飛び上がるためには強く地を踏まねばならず、息を吐くためには吸わねばならない。号泣とて、まずはたくさんの息を吸っておかなければならないのだ。そこに作者は人間存在の悲しくもおかしい真実を見たのである。

やることは大抵出来て蝿を打つ桑原三郎 男子たるもの出来なければならないことは、たいてい出来る。たとえば、ほら蝿をこうして打つことだって、簡単にできるんだから、というのである。そんなことを別に報告してもらわなくたって、困る人はいない。しかし蝿を打つという行為には、無意識とはいえ案外、そういうまわりの目を気にする意識が働いているのかもしれない。おそらく作者は蝿を打ったときの自分の意識をけなげに分析してみたのである。そうしたらこのような自意識に裏づけられていたという結果を得た。「やることは大抵出来て句もつくる」。

登山馬よろけついでに歩き出す遠藤若狭男 険しい山道を喘ぎ喘ぎ登ってきて一休みしていた馬が、さて行くか、とまた歩き出した様が、よろけたついでに歩き出したように見えたのである。馬の疲れに深く思いを致した誠実な姿勢が、このような巧みな表現を自ずから生んだ。

眼閉づれど 心にうかぶ何もなし。 さびしくも、また、眼をあけるかな。石川啄木 没後に土岐善麿によって編集された第二歌集『悲しき玩具』に収められた歌。死に直面し、なにかの思いがこみ上げてくるような気がするが、さて眼を閉じて、その思いをさぐってみても、なにも浮かんでこない。さみしくまた眼を開けるしかない。歌は心を、思いを詠うものだとすれば、ここには詠うべきなにものもない。あるのは短歌形式の輪郭だけ。啄木が到りついた究極の地点である。

大きなる手があらはれて昼深し上から卵をつかみけるかも北原白秋 卵の視点から自分をつかもうと近づいてくる手を詠んだ。「昼深し」といっても時間の感覚は奇妙に失われ、手もデフォルメされている。それは不安定な精神状態の象徴といってもいいだろう。またなにかを生むべき卵を大きなるものがつかむというのだから、ここには大いなるものに対する精神的な高揚もあるはずである。

2004-01-26 公開