国史大辞典ウォーク知識の泉へ
毎回固有のテーマで、それぞれの時代における人間と事象の関わり合いを読み解いていきます。文中にちりばめられたキーワード(太字)は、『国史大辞典』の見出し語になっており、これらを手がかりにすれば、さらなる歴史の深みを味わうことが出来ます。

本連載は、『本郷』(吉川弘文館のPR誌 年6回発行)連載の同名コラムを改稿したものです。

第11回 妖怪たちの宴(2)

2011年03月03日

  水辺みずべ妖怪変化の代表が河童かっぱなら、山にむ妖怪には、どなたも天狗てんぐを挙げることと思います。確かに天狗については多くの伝承が残されており、国際日本文化研究センターのホームページ「怪異・妖怪伝承データベース」には、1374件もの書誌情報が集められています(ちなみに河童は1190件、は907件となっています)。なお、怪異・妖怪伝承データベースはジャパンナレッジからも簡単にリンクできますので(ニッポニカURLセレクトから)、基本検索で検索してみてください。今回は、日本文学の古典『源氏物語』や柳田国男の名著『遠野物語』から、カルト的人気を誇る黒田硫黄の漫画「大日本天狗党絵詞」まで、息長く親しまれている天狗たちの今昔をウォークしてみます。

 舒明天皇じょめいてんのうの9年(637)2月、大きな流星が飛鳥京の空を東から西に大音量とともにはしりました。このときにへの留学から帰国した学問僧みんが「流星にあらず。是天狗なり。其の吠ゆる声、いかづちに似たるのみ」と奏上したという『日本書紀』の記述が、わが国における「天狗」の初見とされています。ただし、ここでは「てんぐ」ではなく「あまつきつね」とまれており、『史記』などに出てくる彗星すいせいや流星を天狗と称する中国の天文思想を当てはめたもので、のちの天狗とは異なるとも言われています。

 その後、しばらく天狗の名前は文献から姿を消し、再び生き生きと活動するのは『今昔物語集』『古今著聞集ここんちよもんしゆう』といった、平安時代末期から鎌倉時代初めにかけて書かれた説話文学の中でのことになります。ほとんどが仏教文学らしく、天狗が仏法をおとしめようとしてさまざまな妖術をほどこすものの、最後は仏の力の前に敗れ去るという内容です。正体が大きなとびであったという愛宕山あたごやまの天狗など、山に棲む鳥に似たかおの妖怪で、背中の羽根で自由に飛び回りさまざまなものに化けたり人にとりつき悪さをするという、後世の天狗の姿がみえています。

 そして、源平合戦の戦乱の世、武士たちの台頭とともに天狗は修験道しゅげんどうと結びつき、現実の事件や争乱に関わる経緯をなしたと軍記物語に記されていきます。『平治物語へいじものがたり』の牛若丸(のちの源義経)が鞍馬山くらまやまで天狗と武芸の修行する挿話は、絵本映画にもなってよく知られるところです。また、『源平盛衰記げんぺいじょうすいき』の中に描かれた後白河天皇と住吉明神の間で交わされる天狗問答は、徳の高かった皇族や僧侶が怨恨や不満を抱いて亡くなると、魔界にち天狗となるという転生論など、魔物としての天狗のイメージを強烈に印象づけています。南北朝時代の動乱を描いた『太平記』では、崇徳天皇すとくてんのう後鳥羽天皇まで「悪魔王の棟梁」として登場させ、日ヘンに方げんぼう仁海にんがいといった高僧だった天狗と北条氏打倒をはかったとしています。戦乱を裏で操った「天狗史観」と言ったら言いすぎでしょうが…。

 しかし、天狗は恐ろしい魔物でありながら信仰の対象ともなり、どこかユーモラスな印象を人々に与えてきました。それは古い山岳信仰につながる民衆的、反体制的な要素を山神やまのかみである天狗が持っていたからかもしれません。比叡山園城寺おんじょうじなどの僧侶の腐敗を天狗に託して描いた『天狗草紙』、中国から渡ってきた天狗が比叡山の高僧に散々にこらしめられる『是害房絵巻ぜがいぼうえまき』には、民衆の哄笑があふれています。ここでは、天狗たちは悪役にもかかわらずのびのびとした筆致で描かれ、ほかの妖怪絵巻とも通じる、あるいかがわしさを伴ったエネルギーを今に伝えています。

 こうした絵巻に描かれた、鳥の面貌で山伏やまぶしの姿をした天狗は次第に小柄になって「からす天狗」とも呼ばれるようになり、それを従えた鼻高で赤ら顔の大柄な大天狗が山々に割拠かっきょするイメージが確立していきます。この鼻高天狗のイメージは、狩野元信かのうもとのぶ室町時代末期に鞍馬寺に奉納した天狗画像が端緒とされ、伎楽面の一つ、魔を祓う胡徳面ことくめん(『国史大辞典』第4巻別刷図版「伎楽面」参照)の影響を受けて成立したとも考えられています。私たちが絵馬や天狗ゆかりの寺社で目にする山伏姿で高下駄を履き、羽団扇を手にする堂々たる体躯の天狗像は、実は江戸時代以降のものだったのです。

 江戸時代になると天狗をめぐる考証も盛んになり、林羅山はやしらざん新井白石荻生徂徠おぎゅうそらいといった儒学者から、平田篤胤ひらたあつたねのような神道学者、松浦静山まつらせいざん曲亭馬琴などの文化人たちが天狗を論じています。また、天狗による神隠かみかくしの逸話や人間にお宝をだまし取られる天狗を描いた昔話も数多く残っています。春爛漫の花の下、石川県の銘酒「天狗舞」でも傾けながら、かつて天空を闊歩かっぽした天狗たちに思いをはせてみるのも楽しいかもしれません。

『本郷』No.70(2007年7月号)所載の「国史大辞典ウォーク」第70回「妖怪たちの宴」(2)を元に改稿しました