現在のわが国の出生率は1.39、世界保健機関の「World Health Statistics 2011(世界保健統計 2011)」では世界182位となっています。上昇傾向にあるとは言え、少子化の状況は相変わらず深刻です。一方では子育ての本や雑誌、ネット上にも多くの情報があふれています。子供の養育が家族単位となり、社会全体で子供を見守っていく仕組みがうまく機能していないことの現れかもしれません。しかし、私たちの国には「子は宝」としてその誕生と健やかな成長を見守る豊かな習俗や儀礼がありました。今回は「子育て」の意味を考えながら、その周辺をウォークしてみたいと思います。
無事に子どもが生まれてくるように祈ることは誰もが抱く自然な感情です。妊娠5ヶ月目の戌の日に腹帯を結ぶ帯祝の風習は、平安時代にはすでに行われていた妊娠儀礼でした。皇室では「着帯の儀」と呼ばれていますが、参議源経頼の日記である『左経記』には、万寿3年(1026)、懐妊した後一条天皇の中宮、藤原威子のもとに兄で関白の藤原頼通が帯を持参し、「御手自令結御腹宮給云々、御懐妊後及五箇月歟」と記されています(『皇室制度史料』儀制・誕生1/吉川弘文館刊)。腹帯の布には貴族や天皇家などでは絹や綾を使ったようですが、江戸時代に入って木綿が普及すると庶民たちは温かい肌触りのそれを使うようになり、夫の褌を帯にするとお産が軽いとも言われていました。何だか微笑ましくなりませんか。
安産祈願の子安神への信仰も古く、『日本三代実録』貞観18年(876)7月11日条の「美濃国正六位上児安神」とあるのが初見とされています。神道では『古事記』に登場する木花開耶姫を祭神とするものが多く、これは姫が火の中で山幸彦・海幸彦ら3神を無事出産した故事によると伝えられています。仏教では地蔵菩薩や観世音菩薩が多く、福島県いわき市の近辺では民間信仰とも結びつき、子どもを抱いた観音石像なども建てられ、女性たちの信仰を集めました。今も宮城県の塩竈神社や東京都の水天宮、兵庫県の中山寺などは、安産を祈る参詣者で賑わっています。医学の進歩で出産の安全性は高まったのですが、親族や地域とのかかわりが薄れて、心理的な不安は増しているのかも知れません。
いよいよ出産ともなれば産屋が建てられ日常とは隔離された空間が用意されました。記紀神話にも描かれていますが、瀬戸内海の島々などではつい昭和30年代まで、母屋とは別棟の産小屋が各家や部落共同で設けられていました。古代が身近なところで息づいていたことに驚かされます。出産は出血を伴うため穢と位置づけられ、通常の神仏はその場には近づかないとされました。産屋に降りたち母子を守るとされたのが、ウブサマ・オブノカミなどとも呼ばれる産神たちです。山神や厠神などが迎えられるとされ、産神には出産が無事に終わるとすぐに産飯が炊かれ、茶碗に山盛りにして奉げられます。産飯は産婆や手伝いの人、近隣の人々にも振舞われ、食べてくれる人が多いほど、子どもが丈夫に育ち出世すると信じられていました。
産湯や産着にも儀礼的な意味がありました。産湯は生まれたばかりの子どもを清潔にするということだけでなく、出産の穢を洗い流し、人の世に迎え入れるという意味も持っていました。生まれてきた子どもと産土の地を結びつけるため、産湯の水は父方母方どちらかの井戸か川から汲んでくることなどが決められていました。産着は前もって用意すると子どもが早死にするとも言われ、生まれてから母方の実家でこしらえるのが吉とされていました。しかも、生まれてすぐに着せるのではなく、多くの場合は誕生から3日目の、いわゆる三日祝のときに初めて産着が着せられました。着物を着せるという行為に「人間になる」という呪術的な意味が込められていたわけです。
子供たちの名前は生後7日目につけられることが多く、お七夜と呼ばれる七夜の祝はひろく行われてきました。仲人や産婆、親戚や近所の人たちを招いて祝の膳を囲み、名前を披露しました。生まれた子どもが「名前」を持つ一人の人間として認められるために必要な共食の儀式でした。母親にとっても第一の忌明けの日とされ、この日に床上げをする地方もありました。出産後5日から7日で退院する現代と不思議に一致しています。
こうした祝い事の中には廃れてしまったものもありますが、宮参や食初は、現在も盛んに行われています。マタニティ雑誌や神社や写真館などの巧みな宣伝により、商品として消費されているだけだとも言えますが、伝統的な儀礼が新たな要素と結びつき、家族の絆を確認する儀礼としてよみがえったと評価することもできます(新谷尚紀他編『暮らしの中の民俗学』3/吉川弘文館刊)。少子化が問題となる中、子どもの健やかな成長を社会的に支えていくシステムとして、こうした通過儀礼を新しい視点から見直してみるのも大切なことかもしれません。
『本郷』No.66(2006年11月号)所載の「国史大辞典ウォーク」第66回「子どもの情景」(3)を元に改稿しました