ギリシアの財政破綻に端を発したヨーロッパの経済危機は、これまで世界経済を牽引してきた中国などの新興国の経済にも悪い影響をもたらし、世界同時不況の様相を呈してきました。国内でも輸出不振に伴う不況や出口の見えない原発事故、政治の混迷などが、私たちの日常に暗い影を落としています。しかし、そんな時こそ明るい笑いを皆さまにご提供したいと思います。これからしばらく憂き世を離れ、笑いさざめく歴史と古典の周辺をウォークしてみたいと思います。
かつて柳田国男は、「日本人はどちらかというと、よく笑う民族である」(「笑の文学の起源」)と書き記しました。確かに古代から現代まで、私たち日本人の暮らしは愉快な笑いとともにありました。例えば『古事記』は神々の誕生から推古天皇までの歴史を記すわが国最古の古典ですが、そこからいくつもの笑いのエピソードを見出すことができます(三浦佑之編『古事記を読む』/「歴史と古典」吉川弘文館刊)。なかでも有名なものが天石屋の神話です。天照大神が弟の素戔嗚尊の乱行に怒って天石屋に閉じこもり常夜が続き災いが広がったため、困り果てた八百万神は岩屋の前で賑やかな宴をひらき、そこで演じられた天鈿女命の踊り(のちの岩戸神楽)に「高天原動みて八百万神共に咲ひき」というシーンは、古代人の歌垣などにも通じる、朗らかな「性の喜び」に溢れた祝祭の様子を垣間見せてくれます。埼玉県の野原古墳群から出土した「踊る男女」と称される人物埴輪は、人々のこうした「歓喜咲楽」さまを、プリミティブな表現ですが見事に伝えてくれています。
もう一つ、神話の世界から紹介するのは『播磨国風土記』の大国主神と少彦名神という大小二人の神の登場する地名起源譚です。民話や落語などの元話として知られていますが、巨人の神と小人の神が便を我慢して旅をするのと、重い赤土の荷を背負って旅をするのとどちらが楽かを競う話です。『古事記』や『出雲国風土記』の出雲神話の主人公でもある大国主神が、ここでは「巨人伝説」にも似た滑稽な神として描かれています。
『万葉集』もまた庶民の「笑いとユーモア」に彩られています。山上憶良の「貧窮問答歌」ではありませんが、万葉時代の庶民生活は決して楽なものではありませんでした。万葉人たちは、笑いとユーモアで辛い暮らしの憂さをはらしていたのかもしれません。
「子供たちよ、草を刈らないで、穂積の朝臣の臭い脇毛を刈りなさい」というのですから、あきれるほどひどいからかいの歌です。
言葉遊びの歌もたくさん残っています。
来むと言ふも来ぬ時あるを
来じと言ふを来むとは待たじ
来じと言ふものを
大伴坂上郎女のこの歌は、恋人であった藤原不比等の4男、藤原麻呂に贈ったもので、「来る」の活用形を繰り返し、来てくれない恋人の不実をなじり、拗ねた心を言葉遊びの笑いに包んで表した恋の歌です。
『源氏物語』絵合に、「物語の出で来はじめの祖なる竹取の翁」の物語として紹介される『竹取物語』も、ほとんど笑話とも言うべき滑稽譚として読むことができます。『今昔物語集』の竹取説話に原形を持つと言われるこのメルヘンは、一方では藤原氏に反感を持つ作者によって書かれたのではないかと言われるほど、現実の権力者たちを笑い飛ばすパロディ精神に溢れています。かぐや姫に求婚する5人の公達のうち、阿倍御主人・大伴御行・石上麻呂の3人には、壬申の乱の功臣たちの名前が使われています。もちろん、彼らの姿は、『日本書紀』や『続日本紀』の中で天武天皇や持統天皇の側近として活躍した実在の人物としてではなく、物語の書かれた平安時代前期の貞観から延喜年間の貴族の若者たちの軽薄な風俗を写して、皮肉たっぷりに描かれています。仏の御石の鉢、蓬莱の玉の枝、火鼠の裘、龍の頸の珠、燕の子安貝などの求婚者たちに要求された品々も、『大唐西域記』『列子』『神異記』『荘子』といった漢籍や仏典に基づいており、作者の深い教養が感じられます。
かぐや姫は結ばれることなく月に帰りますが、この時代に、恋多き女性として知られたのが和泉式部です。若くして橘道貞と結婚し小式部が生まれますが、任国に愛人のできた夫と離別。その後、為尊親王と恋愛関係となりますが死別し、すぐにその弟の敦道親王に求愛され結ばれる、という波瀾の人生を送ります。『和泉式部日記』には二人の恋愛の日々が克明に綴られています。そこに描かれた、恋に悩み、苦しみ、嘆く、純愛の姿は、今も私たちの胸を打ちます(山中裕著『和泉式部』/「人物叢書」吉川弘文館刊)。やがてその生涯は和泉式部伝説となり、「笑い」も含んだ芸能として、遊行の女性たちが語り継いでいくことになります。
『本郷』No.81(2009年5月号)所載の「国史大辞典ウォーク」第81回「笑いのはなし」(1)を元に改稿しました