坂本竜馬が明治維新のキーパーソンとして活躍するのは、師である勝海舟が元治元年(1864)10月に江戸幕府の軍艦奉行を解任され、神戸海軍操練所が廃止されてからのことです。勝が塾生の竜馬たちを鹿児島藩(薩摩藩)に託したことで、竜馬は西郷隆盛や小松帯刀など薩摩の討幕派のリーダー達と親密な関係を築くことになります。それを元に竜馬は同じく高知藩(土佐藩)を脱藩していた中岡慎太郎と山口藩(長州藩)の木戸孝允(桂小五郎)や高杉晋作に対する説得工作を続け、ついに2人を仲介にした薩長連合が成立します。今回はこうした政治的な動きの背後にあった竜馬の経済活動や世界への関わりをウォークしてみます。
慶応元年(1865)、竜馬は下関で薩長連携の政治工作を展開しながら、長崎では薩摩藩の資金援助を受け、同志達を糾合して貿易商社(亀山社中)を設立します。第2次の長州征討が迫り、「武備恭順」を掲げる長州は鉄砲や軍艦の購入を急いでいました。当時、欧米ではライフル銃などが開発され、急速な火器革命が進行中でした。四国連合艦隊下関砲撃事件で敗北を喫した長州の指導者たちは、その威力を身を持って経験しただけに、なんとか最新の銃火器を入手したいと考えていました。薩摩がそれに手を差し伸べたのです。窓口となったのがこの竜馬の同志たちでした。
取引相手のグラバー商会はイギリスの貿易商グラバーによって設立された商社です。東アジア最大級のイギリス商社ジャーディン=マセソン商会の長崎代理店として出発した同社は、茶や生糸などの民生品の輸出はもとより、艦船や鉄砲、弾薬などの武器の輸入にも当りました。日米修好通商条約の第3条に「軍用の諸物は日本役所の外へ売るべからず」とあるように、幕末に結ばれた欧米各国との通商条約では、武器の取引は「禁制」でした。しかし討幕派の諸藩に肩入れしたグラバー、奥羽越列藩同盟に組したスネル兄弟などの外国人貿易商によって、すでに有名無実になっていました。
亀山社中には長州から伊藤博文と井上馨が派遣され、グラバーとの交渉に当りました。社中の近藤長次郎の奮闘もあり最新のライフル銃4300挺、中古の蒸気船(ユニオン号)などの買い付けに成功します。このライフル銃は慶応2年の四境戦争で長州側の勝利に大きく貢献し、戦の常識を変えた幕末の「軍事革命」の実戦例となります(保谷徹著『戊辰戦争』/「戦争の日本史」18/吉川弘文館刊)。同じ戦いでユニオン号に乗り組んだ竜馬は門司への砲撃などを行い、これが竜馬にとって唯一の実戦となったとも言われています。明治41年(1908)伊藤と井上の連名で次のような叙勲申請が出されました。「デ・ビー・グラバ儀、過グル慶応年間長薩二藩連合シテ王政回復ヲ策スルニ方リ、其間ニ介在シテ頗ル周旋ノ労ヲ執リ、又鉄砲・船舶ヲ供給シ戦備ヲ補充(下略)」。倒幕の過程でグラバーの果たした役割は極めて大きかったのです(田中正弘著「武器商人スネル兄弟と戊辰戦争」/宇田川武久編『鉄砲伝来の日本史』吉川弘文館刊・所収)。
土佐藩参政後藤象二郎との数ヶ月に渡る交渉を経て、慶応3年4月に亀山社中を母体に、竜馬を隊長とする同藩付属の海援隊が結成されます。隊員は土佐出身者を中心に和歌山藩(紀州藩)出身の陸奥宗光など「他藩を脱する者、海外に志ある者この隊に入る」ユニークな構成でした。隊規約も含め竜馬の開明的思想が海援隊には溢れていました。諸藩の委嘱を受けた特産品の輸出、チャーターした船舶での物資輸送など、今日のベンチャービジネスに似た商業活動、さらに出版にも意欲を見せ、『和英通韻伊呂波便覧』という和英辞典の刊行や国際法の『万国公法』の公刊も計画しました。
竜馬は国際法について積極的に学んでいました。海援隊が大洲藩から借り受けたいろは丸で瀬戸内海を航行中、紀州の明光丸と衝突して積荷もろとも沈没した事件では、議論は「世界公法」によって行おうとか、長崎に来たイギリスの提督に面会し世界の例を聞いてみよう、などと提案して相手を追い詰めています。結果的に多額の賠償金を得ることになり、兄坂本権平宛の手紙で竜馬は「此龍馬が船の輪なるや、日本の海路定則を定メたりとて、海船乗らハ聞に参り申候」といささか得意げに記しています。
同じ頃、竜馬が土佐の藩船の船上で書いたとされる船中八策は「万機よろしく公議に決すべき事」と、朝廷への大政奉還や議会の設立、人材登用、新たな対外条約の締結、国内法の整備などを謳い、近代国家の建設を目指す壮大な構想でした。しかし、その実現を見ることなく慶応3年11月、竜馬は刺客に襲われ命を落とします。「人民の、人民による、人民のための政治」を宣言したアメリカ合衆国大統領リンカーンが凶弾に斃れたのは、坂本竜馬暗殺事件の2年前、1865年のことでした。残念なことに、今も世界では指導者の暗殺という暴力が繰り返されています。
『本郷』No.88(2010年7月号)所載の「国史大辞典ウォーク」第88回「世界史のなかの坂本竜馬」(3)を元に改稿しました