国史大辞典ウォーク知識の泉へ
毎回固有のテーマで、それぞれの時代における人間と事象の関わり合いを読み解いていきます。文中にちりばめられたキーワード(太字)は、『国史大辞典』の見出し語になっており、これらを手がかりにすれば、さらなる歴史の深みを味わうことが出来ます。

本連載は、『本郷』(吉川弘文館のPR誌 年6回発行)連載の同名コラムを改稿したものです。

第22回 子どもの情景(1)

2012年02月02日

少子化による人口問題が深刻に語られる一方、幼い子が狙われる凶悪犯罪が多発しています。子どもたちに対する大人たちの感覚に、大きな変化が現れようとしているのかもしれません。わたしたちの国で、これまで子どもたちはどのように暮らし、育てられてきたのでしょうか。歴史の中にその姿をウォークしてみたいと思います。

縄文時代には、人々はいくつかの家族が住む定住的なムラを作って暮らしていました。発掘された人骨から推定される当時の平均寿命は30歳前後。理論的には人口を維持するために、女性は15歳くらいから平均寿命の30歳まで、2年おきに8人の子どもを産まなくてはならないとされますが、出産の際の高い死亡率や栄養状態、長い授乳期間を考えると、縄文時代人の女性が産む子どもの数は4、5人ではなかったかとも言われています。子育ては集団で行われていたようで、幼い子どもたちは編物あみものや食事の支度をする女性たちの間で、自由に遊びまわっていたことと思われます。各地の遺跡から出土するドングリや胡桃くるみの粉で作られた縄文クッキーは、子どもたちのおやつだったのかもしれません。ただ、病気やけがを治療するすべのなかったこの時代には、乳幼児のうちに死亡することが多かったのは確かです。亡くなった幼児の遺体は甕棺かめかんに納められ、大人とは違った場所に葬られていたようで、青森三内丸山遺跡さんないまるやまいせきでは700個もの幼児の甕棺が埋められた幼児墓地が発掘されています。子どもたちは死後も優しく見守られていたのです。

奈良時代に入ると『古事記』や『日本書紀』『万葉集』などから子どもたちの姿を見つけることができます。『古事記』垂仁天皇段には、狭穂彦王さほひこおう狭穂姫さほひめ兄妹の謀反事件が描かれています。兄弟姉妹関係の強さを示すエピソードとして知られていますが、その中に「凡そ子の名は必ず母の名づくる」と出ており、妻問婚つまどいこんの行われていた当時、子どもは母親の元で育てられることが一般的だったようです。とは言っても、父親と子どもの関係が希薄であったとも言いきれません。万葉歌人の山上憶良やまのうえのおくらは「瓜食うりはめば子ども思ほゆ栗食めばましてしぬはゆいづくよりきたりしものそ」と歌い、子どもへの深い愛情を表現しました。

絵巻や絵画にも生き生きした子どもの姿が描かれています。ここでは四天王寺に伝わる国宝の『扇面法華経冊子せんめんほけきょうさっし』をご紹介します。平安時代の後期に成立したこの扇絵おうぎえは、扇面に当時の風俗を極彩色で描く貴重な絵画史料です。「草合せ」と題した一面(法華経巻7扇8)は、子どもたちが物合ものあわせなどの野遊のあそびに興じる様子を描いたものです。草を高く掲げる少女、その対面で隠し持った草をから取り出そうと構える下髪さげがみの乙女、立ち上がりはやし立てる美豆良みずら結髪した童、右端で足相撲を取る2人の童、足元で戯れる裸の幼児、楽しさが伝わってきます(興味のある方は『国史大辞典』第8巻の別刷図版「扇面法華経冊子」をご覧下さい)。

もちろん、平安京の子どもは遊び暮らしていただけではありません。上流貴族の女児であれば、女房たちから仮名を学び、『古今和歌集』などの暗唱、ことなど管弦の手習い、お勉強もなかなか大変です。男児とて同様で、『源氏物語』の主人公光源氏は4歳で参内、7歳で読書始とくしよはじめと風雅に遊び暮らすとはいかなかったようです。同じ貴族でもさらに下級の4位、5位などの子女は、父母の仕える主のもとで小さな時から働くことになります。先程の下髪の乙女などはお姫様のお相手をする女童かもしれません(服藤早苗著『平安朝女性のライフサイクル』/「歴史文化ライブラリー」吉川弘文館刊)。

中世の説経せつきようさんせう太夫』には、人身売買され働かされる子どもが描かれています。山椒太夫さんしようだゆう伝説をふまえたこの語り物では、安寿とつし王の姉弟は、丹後国の強欲な商人、さんせう太夫に売られ、姉は潮汲み、弟はしば刈りという、塩釜を焼生する苛酷な労働に使われます。また、『今昔物語集』や『一遍上人絵伝』などには、の世話や手綱引き、薪拾いやをとっての草刈り、の葉摘みや水汲みなど、さまざまな仕事に従う子どもの姿が登場します。同時代の紀行文学海道記かいどうき』の作者は、家族とともに足を泥だらけにして働く子どもの姿に「至孝の志し、自づからあひなるものか」と感動を記しています(斉藤研一著『子どもの中世史』吉川弘文館刊)。多くの子どもたちは家族の情愛の中で仕事を覚えていったのです。

『本郷』No.64(2006年7月号)所載の「国史大辞典ウォーク」第64回「子どもの情景」(1)を元に改稿しました