「三度の飯より江戸が好き」というお江戸ル(お江戸のアイドル!?)ほーりーこと堀口茉純さんが、江戸後期の地誌『江戸名所図会』を江戸の暮らしという視点から読み解くコーナー。江戸っ子のリアルな生活、ぜひ体感してみてください。
深川・木場は江戸のウォーターフロント! 絵をよく見ると、張り巡らされた水路に沢山の材木が浮かんでいるのがわかりますね。独特の雰囲気です。
木場とは、文字通り材木置き場のこと。材木置き場が名所(!?)とは意外な感じもしますが、実は木場の商人や職人たちが深川文化の担い手になっていたんです。
木場の歴史をさかのぼると、寛永年間(1624~44)ごろには日本橋や神田の材木問屋が独自に材木置き場を持っていたようですが、明暦の大火(1657年)を機に移転を命じられています。江戸の市中に材木置き場があると火災を拡大させる恐れがあったためです。
その後、紆余曲折を経て、元禄14(1701)年に15名の材木問屋が協力して現在の木場周辺の土地を整備しました。30万平方メートルの土地を買い上げ、土手や掘割を作り、材木商にとっては理想郷ともいえるような町を作り上げたのです。
このあたりは埋め立てによって開発された海抜0メートル地帯。家の間近まで水面がせまっています! 水路で材木を運ぶ材木商にとっては都合のいい立地条件なんでしょうね。
以後、江戸で使われる材木のほぼすべてを木場の材木問屋の組合が管理したため、巨万の富を得る材木商が現れました。特に幕府の御用達商人として活躍した、紀伊国屋文左衛門、奈良屋茂左衛門はその筆頭です。
こうした豪商達が、途方もない金額をつぎ込んで深川の料亭で接待を行なったため、花柳界は瞬く間に隆盛し、辰巳風と呼ばれる独特な文化の形成に大きく貢献しました。また、木場の川並(かわなみ、筏師)が水面に浮かんだ材木を運搬する際の掛け声は"木遣り歌"となり、材木を筏に結ぶ仕事が発展して"角乗(かくのり)"と呼ばれる曲芸も生まれました。
『江戸名所図会』を見ると、大きな材木商の屋敷が立ち並び、画面左下には今まさに川並の男たちが鳶口を使って丸太を筏に組む作業の真っ最中。然し右側にはのんきに釣りをする人たちが。貯木が川魚のいい漁場を作り出していたようです。
こういった、産業やその周辺の人々の営みまで含めて、江戸名所として紹介しているのが『江戸名所図会』の面白いところですね。
日本が高度成長期を迎えたときには、約1000軒もの材木問屋や製材所が集中していた江東区木場周辺。地盤沈下による水面上昇のため、木材関連業者が新木場へ移転したあとの昭和44(1969)年、水と緑の森林公園として整備計画が策定され、平成4(1992)年に開園したのが、都立木場公園です。シンボルは公園3地区を連結する全長250m、主塔の高さが60mの木場公園大橋。落橋防止対策など最新の土木技術が生かされているのだとか。また毎年10月の区民まつりには公園のイベント池では角乗が見られるそうです。
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江戸時代を代表する地誌で、江戸名所の集大成と評される、江戸後期の"ガイドブック"。斎藤幸雄・幸孝・幸成(月岑)の親子三代が手がけた大事業で、天保5(1834)年と天保7(1836)年の二度に分け、7巻20冊が刊行。1000を数える項目には、江戸はもちろん、現在の神奈川、千葉、埼玉の名所も含まれる。絵師長谷川雪旦の742点の挿画では、神社仏閣や景勝地などの実地調査に基づいた俯瞰図や、生活風俗に関係する事柄の詳細で写実的な描写が楽しめる。歴史や風俗資料としても活用されている。
江戸にくわしすぎるタレント=お江戸ル(お江戸のアイドル!?)ほーりーとして注目を集め、執筆、イベント、講演活動にも精力的に取り組む。初めての著書の『TOKUGAWA15』(草思社)は歴史書籍としては異例のロングセラーに。近刊は『江戸名所図会』など近世の版本史料を駆使して江戸人の生活実態に迫る『江戸はスゴイ~世界一幸せな人びとの浮世ぐらし~』(PHP新書)。NHKラジオ第1『DJ日本史』、TOKYO MX『週末ハッ ピーライフ!お江戸に恋して』にレギュラー出演中。