「三度の飯より江戸が好き」というお江戸ル(お江戸のアイドル!?)ほーりーこと堀口茉純さんが、江戸後期の地誌『江戸名所図会』を江戸の暮らしという視点から読み解くコーナー。江戸っ子のリアルな生活、ぜひ体感してみてください。
江戸時代には“お穴様”と呼ばれたお稲荷さんのお社。上野戦争では黒門・穴稲荷門の戦いと呼ばれる激戦の舞台になった場所です。明治になってから周囲に寛永寺の花畑があったために花園稲荷神社と改名されました。
上野のお山の土手っぱらに、霊験あらたかなお稲荷さんがあることに、みなさまお気づきでしたでしょうか。忍岡(しのぶがおか)稲荷(現在の花園稲荷神社境内にある祠)、通称お穴様と呼ばれるそのお稲荷さんは、寛永寺を創建した天海が、当時このあたりに棲んでいた狐たちのすみかを奪ってしまったことを憐れんで洞窟をつくり、その上に御堂を建てて祀ったというもの。いま行ってみると、当時の洞窟をさらに覆うように奥深い祠が築かれています。中に入ると、なぜこんなに暗いのかと思うくらいの薄暗い空間に、商売繁盛を願う地元の方たちが奉納した赤い提灯が怪しく光り、神秘的なムードを醸し出しています。
観光客の多い上野ですが、現在は祠になっているこの辺りまで足を延ばす人は意外と少なく、いつ行っても静かにお参りができるのが魅力。知る人ぞ知る文字通りの“穴”場スポットになっています。
さて、このお稲荷さんが、なぜ霊験あらたかなのかと言えば、忘れもしない、ほーりー二十歳の頃、当時好きだった人から「メールが来ますように!」と、浅草の久米平内堂(くめのへいないどう。浅草寺の恋愛成就に効果絶大な穴場スポット)でお願いしたところ、この穴稲荷の前で柏手を打った瞬間にメールが来た!ということがあってから、勝手に「願いをかなえてくれる」と篤い信仰を寄せているお稲荷さんなのです。
まあ、メールが来ただけで終わりましたけどね(笑)。
清水観音堂を越え、不忍池に向かってずんずん歩いていくと、花園稲荷神社の鳥居が見えてきます。まるで京都・伏見稲荷のような神社へと続く連なる赤い鳥居を抜け、社殿を反対側に少し進めば左側に穴稲荷の祠があります。中に入ると、ひんやり。本文に書いてあるような、神秘的なムードが味わえます。
昔は隠れ名所として名高かったお穴様ですが、近年は上野一のパワースポットとして取り上げられるようになりました。また江戸時代から縁談、金銭の願掛けの「白羽の矢」(願をかける人は白羽の矢をもらい、満願時にはその矢を奉納していた)で知られていたそうです。縁結びを願う女子たちがたくさん訪れるようになりました。筆者も「いい出会いがありますように」と祈りましたが、ほーりーのような具体的な願いではないので、狐さんも叶えにくいかもしれませんね。
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(2024年5月時点)
江戸時代を代表する地誌で、江戸名所の集大成と評される、江戸後期の"ガイドブック"。斎藤幸雄・幸孝・幸成(月岑)の親子三代が手がけた大事業で、天保5(1834)年と天保7(1836)年の二度に分け、7巻20冊が刊行。1000を数える項目には、江戸はもちろん、現在の神奈川、千葉、埼玉の名所も含まれる。絵師長谷川雪旦の742点の挿画では、神社仏閣や景勝地などの実地調査に基づいた俯瞰図や、生活風俗に関係する事柄の詳細で写実的な描写が楽しめる。歴史や風俗資料としても活用されている。
江戸にくわしすぎるタレント=お江戸ル(お江戸のアイドル!?)ほーりーとして注目を集め、執筆、イベント、講演活動にも精力的に取り組む。初めての著書の『TOKUGAWA15』(草思社)は歴史書籍としては異例のロングセラーに。近刊は『江戸名所図会』など近世の版本史料を駆使して江戸人の生活実態に迫る『江戸はスゴイ~世界一幸せな人びとの浮世ぐらし~』(PHP新書)。NHKラジオ第1『DJ日本史』、TOKYO MX『週末ハッ ピーライフ!お江戸に恋して』にレギュラー出演中。