「三度の飯より江戸が好き」というお江戸ル(お江戸のアイドル!?)ほーりーこと堀口茉純さんが、江戸後期の地誌『江戸名所図会』を江戸の暮らしという視点から読み解くコーナー。江戸っ子のリアルな生活、ぜひ体感してみてください。
水上交通のよい隅田川東岸には、大名の下屋敷が多数ありました。少し下流には、幕末のスキャンダルの主人公・阿部正弘の屋敷も……!
長命寺といえば江戸スイーツの決定版・桜餅が名物! 桜の葉の塩漬けしたものでお餅を巻くというスタイルを始めた元祖の地で、今でも「山本や」という屋号で営業しています。
そんな長命寺の桜餅にまつわるスキャンダルをひとつご紹介しましょう。時は幕末、巷では長命寺で桜餅を売る茶屋で働く娘・おとよちゃん(18歳)が可愛いすぎると評判になっていました。そこへ老中首座・阿部正弘(福山藩7代藩主。ペリー来航時の責任者。37歳)が、母への土産に桜餅を買い求めにたまたま立ち寄り、このおとよちゃんにぞっこんになってしまったのです。
現在の境内には40余りの句碑や人物碑が。隅田川沿いの名所として、いかに人が集まる場所であったかを物語っています。
はじめは長命寺門前に駕籠を止めて遠くから見守る程度でしたが(すでにちょっとストーカーっぽい)、おとよちゃんに心を寄せる恋敵がほかにもいることを知ると、いてもたってもいられなくなり、福山藩の下屋敷に仕えるようにと命じます。つまり、俺の女になれ、と。老中首座といえば、現在でいう総理大臣のようなもの。おとよちゃんは、断ることができず、20歳年上の阿部正弘の側室になりました。
世間では阿部正弘の権力にものを言わせたこの行動に批判が集中。結局阿部は世論の支持を得ることができなくなり、急速に体調を崩し2年後に急死します。
花より、団子、より女子! 阿部正弘の意外な一面でした。
いざさらば雪見にころぶ所まで──寺にある松尾芭蕉の句碑にもあるように、桜だけでなく、雪の名所としても知られた長命寺。初め、宝樹山常泉寺という名前だったのですが、3代将軍徳川家光が鷹狩のときに腹痛を起こし、この寺の井戸水を飲んで痛みが治まったことから、長命寺となったそうです。
さて桜餅のお店「長命寺 桜もち 山本や」の創業は享保2年(1717)。随筆集『兎園(とえん)小説』には、文政7年(1824)に使用した桜の葉は77万5000枚、売られた桜餅の数は38万7500個と記録されています。一方、大阪の桜餅は天保年間に作られたそう。道明寺粉(もち米を蒸して乾燥させ、粗挽きにしたもの)で作られた餅を団子状に丸くして、その中に餡を包んだもの。江戸とは全く違うものになりました。
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江戸時代を代表する地誌で、江戸名所の集大成と評される、江戸後期の"ガイドブック"。斎藤幸雄・幸孝・幸成(月岑)の親子三代が手がけた大事業で、天保5(1834)年と天保7(1836)年の二度に分け、7巻20冊が刊行。1000を数える項目には、江戸はもちろん、現在の神奈川、千葉、埼玉の名所も含まれる。絵師長谷川雪旦の742点の挿画では、神社仏閣や景勝地などの実地調査に基づいた俯瞰図や、生活風俗に関係する事柄の詳細で写実的な描写が楽しめる。歴史や風俗資料としても活用されている。
江戸にくわしすぎるタレント=お江戸ル(お江戸のアイドル!?)ほーりーとして注目を集め、執筆、イベント、講演活動にも精力的に取り組む。初めての著書の『TOKUGAWA15』(草思社)は歴史書籍としては異例のロングセラーに。近刊は『江戸名所図会』など近世の版本史料を駆使して江戸人の生活実態に迫る『江戸はスゴイ~世界一幸せな人びとの浮世ぐらし~』(PHP新書)。NHKラジオ第1『DJ日本史』、TOKYO MX『週末ハッ ピーライフ!お江戸に恋して』にレギュラー出演中。