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改訂新版 世界大百科事典のサンプルページ一覧

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世間胸算用(国史大辞典・日本大百科全書・世界大百科事典)
浮世草子。五巻五冊。井原西鶴作。元禄五年(一六九二)正月刊。各巻四章、合計二十編の短編を集めた町人物。題名の下に「大晦日(おおつごもり)は一日千金」と副題し、また、「元日より胸算用油断なく、一日千金の大晦日をしるべし」(序文)と記すように、当時の経済
百科事典(日本大百科全書・世界大百科事典)
あらゆる自然的・人工的な事物、現象、事項および行動に関して解説を行い、さらに具体的に理解を助けるために挿画、地図、写真、図、表などを添えて、それらの項目を五十音(またはイロハ順)あるいはアルファベット順に配列した事典。近年は特定分野ないし一事項に
辞書(世界大百科事典・日本国語大辞典・国史大辞典・デジタル版 集英社世界文学大事典)
単語を,ある基準にそって整理配列して,その表記法,発音,品詞名,語源,意味,用例,用法などをしるした書。ただし実際にはこのすべてを集成していないものがあり,また百科事典のように,単語の意味よりもむしろ事柄の内容を主としたものや,索引のように
キエフ・ロシア(世界大百科事典)
ロシアの政治,経済,文化の中心がキエフにあったキエフ時代(ほぼ9世紀半ばから13世紀半ばまで)のロシア。キエフ・ルーシ,キエフ国家ともいう。国家の成立12世紀初めに編さんされたロシア最古の年代記《過ぎし年月の物語》によれば,9世紀半ばには,東スラブ人
東欧(日本大百科全書・世界大百科事典・日本国語大辞典)
東ヨーロッパと同義。一般的には、ヨーロッパを東西に二分したときの東部にあたる地域をさす。その範囲は時代によりまた場合により変わる。当初ローマ帝国分裂後の東ローマ帝国の版図をさした。ついでカトリック教会に対する東方教会の影響下にある地域、あるいは
独立国家共同体(世界大百科事典)
ソ連崩壊のさなか独立した共和国からできた条約共同体。英語名Commonwealth of Independent States,略称CIS。ロシア語でSodruzhestvo nezavisimykh gosudarstv,略称SNG(エスエヌゲー)。1991年12月8日,ロシア,ウクライナ,ベラルーシの3国によって合意され,ミンスクで誕生した
NATO(北大西洋条約機構)(日本大百科全書・世界大百科事典)
北大西洋条約に基づく同盟。略称はNATO(ナトー)。1949年にベルギー、デンマーク、フランス、アイスランド、イタリア、ルクセンブルク、オランダ、ノルウェー、ポルトガル、イギリスの西欧10か国とアメリカ、カナダの全12か国により発足。冷戦後に旧東側の
大姫(国史大辞典・世界大百科事典)
?-一一九七源頼朝の長女、母は北条政子。治承二年(一一七八、一説には同三年)生まる。頼朝伊豆配流中の誕生。五、六歳のころ木曾義仲の長男志水義高十一歳の許嫁となり、義仲敗死の後義高が斬られたため、大姫は愁嘆のあまり病身となり一生を鬱病で過ごした
源範頼(国史大辞典・日本大百科全書・世界大百科事典)
生没年不詳平安・鎌倉時代前期の武将。父は源義朝。母は遠江国池田宿の遊女。源頼朝の異母弟。通称蒲冠者。史料上の初見は『吾妻鏡』養和元年(一一八一)閏二月二十三日条でこの時頼朝の命により志田義広追討のため下野国に出陣している。これ以前の経歴は不詳だが
公暁(国史大辞典・日本大百科全書・世界大百科事典)
一二〇〇-一九鶴岡八幡宮寺別当。鎌倉幕府三代将軍源実朝を殺した。正治二年(一二〇〇)に生まれる。父は二代将軍源頼家、母は賀茂重長の娘。幼名善哉。父が将軍を廃せられて殺されたのち、元久二年(一二〇五)鶴岡八幡宮寺別当尊暁の門弟になる。建永元年(一二〇六
北条時房(国史大辞典・日本大百科全書・世界大百科事典)
一一七五-一二四〇鎌倉時代中期の連署。安元元年(一一七五)生まれる。北条時政の三男、義時の弟。文治五年(一一八九)四月、元服して五郎時連と称し、七月には奥州征伐に従軍。蹴鞠をよくし,二代将軍源頼家に近侍した。建仁二年(一二〇二)六月、時房と改名
運慶(国史大辞典・日本大百科全書・世界大百科事典・日本架空伝承人名事典)
?-一二二三鎌倉時代初期の仏師。康慶の子。長子湛慶が建長六年(一二五四)八十二歳であった(蓮華王院本堂中尊千手観音像銘)ことから逆算して、ほぼ一一四〇年代の出生と推定される。治承四年(一一八〇)焼亡の東大・興福両寺の復興造像に康慶とともに一門を率いて
猿蓑(日本大百科全書・世界大百科事典・日本国語大辞典)
江戸前期の俳諧撰集(はいかいせんしゅう)。去来(きょらい)、凡兆(ぼんちょう)共編。其角(きかく)序、丈草(じょうそう)跋(ばつ)。1691年(元禄4)5月成り、同年7月3日、京の井筒屋庄兵衛(しょうべえ)の手により刊行。乾(けん)、坤(こん)2冊。
野ざらし紀行(甲子吟行)(日本大百科全書・世界大百科事典)
芭蕉(ばしょう)の俳諧(はいかい)紀行。一巻(一冊)。別名「甲子吟行(かっしぎんこう)」。1685年(貞享2)成立。書名は冒頭の句「野ざらしを心に風のしむ身哉(かな)」による。1684年8月門人千里(ちり)を伴い、芭蕉は深川の草庵(そうあん)を
好色一代男(井原西鶴集)(日本古典文学全集・国史大辞典・日本大百科全書・世界大百科事典)
けした所が恋のはじまり桜もすぐ散ってしまって嘆きの種だし、月も限りがあって山の端にはいってしまう。そんなはかない眺めよりもと、限りのない、女色・男色の二道に打ち込んで、夢介と替名を呼ばれる太尽は、その
葛飾北斎(日本架空伝承人名事典・世界大百科事典)
江戸後期の浮世絵師。葛飾派の祖。江戸本所割下水(現、東京都墨田区)で生まれた。幼少の頃より好んで絵を描き、版画の技術を学び、勝川春草の門に入って写実的な役者絵、黄表紙などの挿絵を描いた。狩野派を学んだために勝川派から追放され、以後は土佐派・琳派
喜多川歌麿(日本架空伝承人名事典・世界大百科事典)
江戸中・後期の浮世絵師。本姓は北川。生国には諸説がある。幼名は市太郎、のち勇助(勇記とも)。江戸に出て、狩野派の絵師である鳥山石燕に師事し、のちに浮世絵の第一人者となった。初めは北尾重政・鳥居清長ら先輩の作風を学び、修業を重ねた。歌麿の号は
石川啄木(国史大辞典・日本大百科全書・世界大百科事典)
一八八六-一九一二明治時代の歌人、詩人。名は一、中学時代翠江・麦羊・白蘋(はくひん)と号した。明治十九年(一八八六)二月二十日岩手県南岩手郡日戸村(岩手郡玉山村)に生まれた。父一禎(いってい)は曹洞宗常光寺の住職、母かつは南部藩士工藤条作常房の娘で
二葉亭四迷(国史大辞典・日本大百科全書・世界大百科事典)
一八六四-一九〇九明治時代の小説家。本名長谷川辰之助。元治元年(一八六四)二月二十八日(文久二年(一八六二)十月八日説、元治元年二月三日説もある)、江戸市ヶ谷の尾張藩上屋敷(東京都新宿区、現在陸上自衛隊市谷駐屯地)に生まれた。父は尾張藩士長谷川吉数
桂太郎(国史大辞典・日本大百科全書・世界大百科事典)
一八四七-一九一三明治時代の軍人、政治家。弘化四年(一八四七)十一月二十八日、萩藩士馬廻役百二十五石の桂与一右衛門信繁と母喜代子の長男として、長州萩平安古(山口県萩市平安古町)に生まれる。はじめ寿熊と称し、のち太郎と改名。海城と号す。藤田与次右衛門
ガリレイ(Galileo Galilei)(岩波 世界人名大辞典・デジタル版 集英社世界文学大事典・世界大百科事典・日本大百科全書)
イタリアの物理学者,天文学者.ピサに生まれる.ピサ[1589]およびパドヴァ[92-1616]の各大学数学教授.ピサの聖堂の吊灯を見て振子の等時性を発見した[1583].ピサの斜塔で落体の実験を行い,アリストテレスの自然学の誤りを正し,近代的力学成立
シェークスピア(デジタル版 集英社世界文学大事典・日本大百科全書・世界大百科事典)
イギリスの劇作家,詩人。中部イングランド,ウォリックシャーの小さな町ストラトフォード=アポン=エイヴォンに生まれた。誕生日は4月23日とされるが,それは記録に残る受洗日の4月26日から逆算して,後世がそのように定めたものである。父親ジョンは,近隣の
ジャンヌ・ダルク(日本大百科全書・世界大百科事典・岩波 世界人名大辞典)
15世紀前半、イギリスのランカスター王家が仕掛けてきた戦争(後期百年戦争)の最中、神の命令を受けたと称して現れ、フランスのバロア王家を支援したロレーヌ出身の女。2年後、異端として殺された。今日われわれのみるジャンヌ・ダルクは、国民国家意識の高揚した
五・一五事件(日本大百科全書・世界大百科事典)
1932年(昭和7)に起きた海軍青年将校を中心としたクーデター事件で、血盟団事件の第二陣として計画されたもの。1931年の十月事件失敗後、海軍青年将校は井上日召(にっしょう)らと結んでクーデター計画を進めてきた。32年の血盟団事件で団員が検挙されると
武田信義(国史大辞典・世界大百科事典)
一一二八-八六平安・鎌倉時代前期の武士。治承・寿永の乱に活躍。甲斐源氏。新羅三郎義光の子義清が巨摩郡武田を本居とした。信義は義清の孫で、清光の子として大治三年(一一二八)に生まれ、治承四年(一一八〇)の以仁王の令旨に応じ挙兵、源頼朝方に参じ武功を
阿野全成(国史大辞典・世界大百科事典)
一一五三-一二〇三鎌倉時代前期の僧籍の武士。幼名今若、醍醐禅師・阿野冠者という。また勇力あり悪禅師という。父は源義朝、母は常盤。義朝が平治の乱に敗死したのち母は今若・乙若(義円)・牛若(義経)の三児を連れて逃れたが、平清盛に召し出され
源実朝(国史大辞典・日本大百科全書・世界大百科事典)
一一九二-一二一九鎌倉幕府第三代将軍。一二〇三―一九在職。幼名千幡。建久三年(一一九二)八月九日鎌倉で誕生。父は源頼朝、母は北条政子。正治元年(一一九九)正月十三日父が急死、兄頼家が第二代将軍となった。建仁三年(一二〇三)の八月二十七日
源行家(国史大辞典・日本大百科全書・世界大百科事典)
?-一一八六平安・鎌倉時代前期の武将。本名義盛。為義の十男、熊野新宮に住し新宮十郎と呼ばれた。治承四年(一一八〇)四月八条院蔵人となり行家と改名、同年五月に挙兵した以仁王の令旨を奉じ東国に下向、源頼朝をはじめとする諸国源氏の蜂起を促した。
大江広元(世界大百科事典・日本大百科全書)
鎌倉前期の幕府の重臣。式部少輔大江維光の子で,明経博士中原広季の養子となり,鎌倉に下るまでは外記として文筆の職にあった。源頼朝と親しかった,同じ広季の養子親能の関係から頼朝に招かれ,1184年(元暦1)以来,幕府の公文所ついで政所の別当となり
御伽婢子(国史大辞典・世界大百科事典・日本国語大辞典)
仮名草子、怪異小説集。浅井了意作。十三巻十三冊、六十八話。寛文六年(一六六六)刊。中国の『剪燈新話』『剪燈余話』や『霊鬼志』『博異志』などの伝奇・志怪小説に構想を仰ぎ、舞台を室町時代に移して怪奇と浪漫、数奇な人生を雅趣豊かな文体で描く。『新御伽婢子』
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