新版 日本架空伝承人名事典のサンプルページ一覧
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聖徳太子(新版 日本架空伝承人名事典・国史大辞典・世界大百科事典)
?‐622(推古30)六世紀末~七世紀前半の政治家、仏教文化推進者。用明天皇の皇子で母は穴穂部間人(あなほべのはしひと)皇后(欽明天皇皇女)。生年は『上宮聖徳法王帝説』に甲午年(五七四)とあるが確かでない。幼名を厩戸豊聡耳

日本武尊(新版 日本架空伝承人名事典・国史大辞典・日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
『古事記』『日本書紀』『風土記』などに伝えられる英雄伝説の主人公。記では倭建命と記す。景行天皇の第三皇子で、母は播磨稲日大郎姫(はりまのいなびのおおいらつめ)とされ、幼名に小碓(おうす)命、倭男具那(やまとおぐな)王がある。

卑弥呼(新版 日本架空伝承人名事典・世界大百科事典)
二世紀末から三世紀前半にかけて、倭国すなわち当時の日本を統治したとされる邪馬台国の女王。しかし、彼女は日本にまだ文字がなかった時代の人物であり、日本の史料にはいっさい登場しない。忽然とその姿を登場させるのは、三世紀に中国で成立した

安徳天皇(国史大辞典・日本大百科全書・世界大百科事典・日本架空伝承人名事典)
第八一代に数えられる天皇。在位一一八〇‐八五年。名は言仁。高倉天皇の第一皇子として六波羅邸で誕生。母は平清盛の娘建礼門院徳子。翌月立太子。八〇年(治承四)即位。同年六月摂津国福原に遷都したが、一一月京都に帰る。八三年(寿永二)七月木曾義仲入京のさい

雄略天皇(国史大辞典・新版 日本架空伝承人名事典・改訂新版 世界大百科事典)
五世紀後半の天皇。允恭天皇の子、母は忍坂大中姫。諱(いみな)はワカタケル(幼武、若建)、宮は大和泊瀬朝倉宮。陵は河内丹比高鷲原(たじひのたかわしのはら)陵と伝える。記紀によると、治世中、天皇権力に干渉していた葛城臣、吉備臣など「臣姓豪族」を没落させ

垂仁天皇(国史大辞典・新版 日本架空伝承人名事典・改訂新版 世界大百科事典)
第一一代に数えられる天皇。活目入彦五十狭茅(いくめいりひこいさち)命という。父の崇神(すじん)天皇(御間城入彦五十瓊殖(みまきいりひこいにえ)命)とともにイリヒコの名を持ち、実在を認められる四世紀の天皇である。記紀には皇后狭穂姫(さほびめ)を

崇神天皇(国史大辞典・新版 日本架空伝承人名事典・改訂新版 世界大百科事典)
第一〇代に数えられる天皇。和名を御間城入彦五十瓊殖(みまきいりひこいにえ)命という。この天皇が記紀の伝承の中で特に目だつ点は、大物主(おおものぬし)神をはじめとしてもろもろの国津神(くにつかみ)を祭り、また伊勢神宮の創始に関係したとされることである。

神武天皇(国史大辞典・新版 日本架空伝承人名事典・改訂新版 世界大百科事典)
『古事記』『日本書紀』に伝えられ初代の天皇とされる。高天原(たかまがはら)より天津神(あまつかみ)の子として地上に降臨した瓊瓊杵(ににぎ)尊の曾孫とされる。神武という名は八世紀後半の命名による漢風諡号(しごう)で、記紀には、若御毛沼(わかみけぬ)命

出雲のお国(新版 歌舞伎事典・新版 日本架空伝承人名事典)
歌舞伎の始祖とされる安土桃山時代の女性芸能者。生没年不詳。於国、阿国、国、郡、久仁、おくに、くになど、さまざまに記されている。お国の出自や経歴については、確実な資料がまったくない。巷説では出雲大社の巫女(みこ)とされているが、地方から京に上った歩き巫

仁徳天皇(世界大百科事典・日本架空伝承人名事典・日本古典文学全集)
新版日本架空伝承人名事典仁徳天皇にんとくてんのう応神天皇につぐ一六代の天皇とされる。応神の子、履中、反正、允恭天皇の父。諱(いみな)はオホサザキ(大雀、大鷦鷯)、宮は難波高津宮、陵は和泉百舌鳥耳原(もずのみみはら)中陵。天皇は幼にして聡明、壮におよび

伊邪那岐命・伊弉諾尊(日本国語大辞典・日本架空伝承人名事典)
日本神話にあらわれる神の名。『古事記』では伊邪那岐命・伊邪那美命などと記す。この男女二神は記紀神話において、天津神あまつかみの命により創造活動のほとんどすべてを行い、『古事記』、および『日本書紀』の一書によれば、最後には黄泉国よみのくにとの境において

明智光秀(国史大辞典・世界大百科事典・日本架空伝承人名事典)
安土桃山時代の武将。明智氏は美濃土岐の一族だが、光秀は初め越前の朝倉義景に仕え、そして足利義昭が朝倉氏のもとに流寓したとき出仕し、ついで織田信長の家臣となり義昭の上洛に尽力、義昭と信長に両属して申次もうしつぎを務め、京都の施政にも関与した

在原業平(世界大百科事典・日本架空伝承人名事典)
在原業平ありわらのなりひら825‐880(天長2‐元慶4)平安初期の歌人。六歌仙、三十六歌仙の一人。平城天皇の皇子阿保親王の五男。母は桓武天皇の皇女伊登内親王。八二六年、阿保親王の上表によってその子仲平・行平・業平らに在原の姓

天照大神(世界大百科事典・日本架空伝承人名事典)
記紀神話に登場する太陽神的性格の女神。天照大御神、大日孁貴、天照大日孁尊などともよばれる。皇室祖神として伊勢神宮にまつられている。記紀では、その誕生譚、素戔嗚尊との誓約生み、天の岩屋戸、国譲り神話などの諸神話に登場する

清少納言(日本架空伝承人名事典・国史大辞典・世界大百科事典)
清少納言せいしょうなごん966?‐1025?(康保3?‐万寿2?)平安中期の女流文学者。父は歌人の清原元輔で、元輔五九歳の子という。実名は不明。「清少納言」は女房名で、「清」は清原姓、「少納言」は近縁の誰かの官職名と思われる。

末摘花(源氏物語)(日本古典文学全集・日本架空伝承人名事典)

夕顔(源氏物語)(日本古典文学全集・日本架空伝承人名事典)

玉鬘(源氏物語)【玉かづら】(日本古典文学全集・日本架空伝承人名事典)

真田十勇士(日本架空伝承人名事典・日本大百科全書・世界大百科事典)
安土桃山時代の武将真田幸村につかえて、武勇をあらわしたという一〇人の勇士の総称。猿飛佐助、霧隠才蔵、三好清海入道、三好伊三いさ入道、穴山小介、海野うんの六郎、筧かけい十蔵、根津甚八、望月六郎、由利鎌之助の一〇人だが、三好清海入道と伊三入道は兄弟とされている

猿飛佐助(新版 日本架空伝承人名事典)
甲賀流忍術の名人とされる伝説上の人物。玉田玉秀斎による創作講談『忍術名人猿飛佐助』の主人公であるが、一九一一年に刊行された「立川文庫」により大衆のあいだに定着した。戸沢白雲斎に忍術をならい、真田幸村につかえ、いわゆる真田十勇士の一人として活躍するが

織田信長(国史大辞典・世界大百科事典・日本架空伝承人名事典)
安土桃山時代の武将。尾張守護代織田大和守家の奉行の家に生まれた。織田氏は越前丹生郡織田荘が本貫で藤原氏を称したが、本姓は忌部氏といわれる。信長も初めは藤原氏を称した。のち平氏になったのは源平迭立の思想によるという。曾祖父は信良、祖父は信貞といったらしいが

坂本竜馬(坂本龍馬)(国史大辞典・世界大百科事典・日本架空伝承人名事典)
幕末の志士。土佐藩の郷士の出身。少年時代は泣き虫で、よく寝小便をもらしたという。一九歳で江戸に出、千葉周作門下となって剣を学んだが、ペリー来航により時局に目覚め、一八六一年(文久一)土佐勤王党に加盟、尊攘派の志士として活動した。だが翌年脱藩し

真田幸村(真田信繁)(国史大辞典・日本大百科全書・日本架空伝承人名事典)
江戸初期の武将。死後に名声が高まった人物である。真田昌幸の次男で、名は信繁。信頼のおける史料では、幸村と称していない。兄は智将として知られた信之。一五八五年(天正一三)父の策で上杉景勝の人質となり、のち豊臣秀吉の幕下に加わり、その仲介で大谷吉継の娘を