新版 日本架空伝承人名事典のサンプルページ一覧

オンライン辞書・事典サービス「ジャパンナレッジ」に掲載されている新版 日本架空伝承人名事典のサンプルページ一覧です。
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石童丸(日本架空伝承人名事典・世界大百科事典)
説経節『苅萱(かるかや)』に出てくる幼い主人公の名。『苅萱』のもとになる話は、中世の高野山の蓮華谷や往生院谷あたりの「萱堂(かやんどう)」に住む聖(ひじり)の間に生まれたもので、それが後に謡曲の『苅萱』と説経に分かれて展開したものである。説経『苅萱』
赤穂浪士(日本架空伝承人名事典・世界大百科事典・日本大百科全書)
一七〇一年(元禄一四)三月一四日に、江戸城本丸松之廊下で播磨赤穂城主(五万三五〇〇石)浅野内匠頭長矩(ながのり)が高家肝煎(きもいり)(旗本)であった吉良上野介義央(よしなか)に突然斬りかかって傷を負わせた事件があった。この日は幕府の年賀に対する答礼
愛護若(日本架空伝承人名事典・世界大百科事典・国史大辞典)
説経節『愛護若』の主人公。愛護は父二条蔵人清平の後妻、雲井の前の邪恋を拒んだため、二条の館を追放される。叔父の阿闍梨(あじゃり)のいる叡山を訪ねるが、そこでも天狗と誤られて乱暴され、失意と絶望から山中を放浪した果てに霧降滝(きりうがたき)で投身自殺し
丹下左膳(日本架空伝承人名事典・世界大百科事典・日本大百科事典)
林不忘が一九二七年(昭和二)から翌年まで新聞に連載した長編小説『新版大岡政談‐鈴川源十郎の巻』に登場してくる、痩せさらばえた隻眼隻手の怪剣士。奥州中村藩六万石の藩主相馬大膳亮の家臣で、乾雲(けんうん)・坤竜(こんりゅう)の名刀をめぐる争いに藩主の密命
蝉丸(日本架空伝承人名事典・日本国語大辞典・国史大辞典)
虚構の人名。説話では、延喜帝(醍醐天皇)の第四皇子で、盲目のため逢坂山へ遺棄された琵琶の名手と伝える。『後撰集』(巻十五)に、「逢坂の関に庵室を造りて住み侍りけるに、行きかふ人を見て」の詞書のもとに、「これやこの行くも帰るも別れては知るも知らぬも逢坂
銭形平次(日本架空伝承人名事典)
野村胡堂が一九三一年(昭和六)から五七年まで書き継いだ『銭形平次捕物控』シリーズ(長・短編合わせて総計三八三編)の主人公。江戸神田明神下の長屋に住む「江戸一番の捕物名人」の御用聞(岡っ引き)。犯罪者の捕縛に際して、投げ銭の特技を見せるところから、銭形
信徳丸(日本架空伝承人名事典・世界大百科事典・日本大百科事典)
説経節『信徳丸』の主人公。河内国高安郡信吉(のぶよし)長者の子として生まれた信徳丸は、継母ののろいを受けて癩になり、天王寺(四天王寺)西門の前の引声堂の縁の下に隠れ、飢死にを決意する。しかし、許婚乙姫の献身的な愛情と、清水観音の利生によって、もとの身
酒呑童子(日本架空伝承人名事典・国史大辞典)
大江山伝説に登場する鬼神。「酒顛童子」とも書く。源頼光と渡辺綱、坂田金時らその四天王が、大江山に住む酒呑童子という鬼を退治する話は、近江伊吹山の伊吹童子退治の話と内容的に深く関係するが、一四世紀後半成立の『大江山絵詞』にみえることから、これ以前に原型
清水次郎長(日本架空伝承人名事典・日本大百科全書・国史大辞典)
江戸後期・維新期の侠客。駿河国有渡郡清水湊の海運業三右衛門の三男として生まれ、のち母の弟である米屋山本次郎八の養子となる。山本長五郎が本名で次郎長は通称。幼年期より粗暴の性質であった。一八三五年(天保六)に養父が死去し、家業を相続した。四一年に博徒
風の又三郎(日本架空伝承人名事典・日本人名大辞典・日本大百科全書)
宮沢賢治の童話『風の又三郎』(生前未発表)の主人公、高田三郎。三郎は、鉱石会社の技師である父の転勤で東北のある谷間の小学校分教場にやってきた。都会育ちらしく洋服を着、赤毛で色白く標準語を話す。三郎が転校してきた日は九月一日、二百十日のこと。三郎が
浦島太郎(日本架空伝承人名事典・日本大百科全書・世界大百科事典)
浦島太郎の話は、一般には次のようなものとして知られている。浦島は助けた亀に案内されて竜宮を訪問。歓待を受けた浦島は三日後に帰郷するが、地上では三〇〇年の歳月が過ぎている。開けるなといわれた玉匣(玉手箱)を開けると白煙が立ち上り、浦島は一瞬にして白髪
一寸法師(日本架空伝承人名事典・日本大百科全書・日本国語大辞典)
異常に小さな姿でこの世に出現した主人公の活躍を語った昔話群の総称。御伽草子に収められていた物語が「一寸法師」と名づけられていたため、この種の昔話を「一寸法師」と呼ぶことが広く定着しているが、民間伝承の段階では、主人公を一寸法師と呼ぶほか、豆助
安倍晴明(日本架空伝承人名事典・世界大百科事典・国史大辞典)
平安中期の陰陽家。系図類によれば、八世紀はじめの右大臣阿倍御主人(あべのみうし)の系譜を引き、益材の子とされる。九六〇年(天徳四)に天文得業生として歴史に姿をあらわし、以後、天文博士・主計権助などを歴任して、大膳大夫・左京権大夫となる。極位は従四位
小栗判官(東洋文庫・日本大百科全書・世界大百科事典・日本架空伝承人名事典)
説経浄瑠璃(じょうるり)の曲名。作者、初演は不詳。正徳(しょうとく)(1711~16)末か享保(きょうほう)(1716~36)初めごろに出た佐渡七太夫豊孝の正本には『をくりの判官』とある。京都・三条高倉の大納言(だいなごん)兼家の嫡子小栗判官は
阿弥陀(世界大百科事典・日本架空伝承人名事典・Encyclopedia of Japan)
極楽浄土にいて衆生を救済するとされる仏。弥陀とも略称される。《無量寿経》によれば,過去世に法蔵比丘が世自在王如来のもとで四十八の誓願をたて,長期間の修行を果たし,現在では阿弥陀仏となり,極楽浄土の主となって,その浄土へ往生を願う衆生を摂取するという
佐々木小次郎(日本架空伝承人名事典・世界大百科事典・日本大百科全書)
?‐1612(慶長17) 安土桃山時代から江戸初期の剣豪。幼名は九三郎といわれ、巌流とも称した。出身は越前国とも、周防国ともいわれる。幼い頃から富田流剣法の中興の祖である富田勢源に剣法を学び、長じて諸国を武者修行の末、「物干し竿」といわれる長太刀で
宮本武蔵(世界大百科事典・日本架空伝承人名事典・Encyclopedia of Japan)
江戸時代初期の剣豪。二天一流(円明流,武蔵流ともいう)剣法の祖。《五輪書》の著者。二天と号した。日本の剣道史上最も著名な剣豪の一人で,小説,舞台,映画などにもなっているが,伝記については必ずしも明らかではない。出生地についても,播磨(兵庫県)の宮本村
風魔小太郎(日本架空伝承人名事典・日本人名大辞典)
戦国末期に活躍したとされる相州乱波(らっぱ)の首領。『北条五代記』によれば、乱波とは「他家へ忍び入り、山賊、夜討、強盗して物盗ること上手なり。才智ありて、計略めぐらすこと、凡慮におよばず」といい、小太郎はこうした関東乱波のうち、小田原北条氏
服部半蔵(世界大百科事典・日本架空伝承人名事典・日本大百科全書)
徳川氏の部将。半三とも書く。石見守,名は正成(まさなり)。父保長(石見守),子の正就(まさなり)(石見守)・正重(伊豆守)兄弟も半蔵(半三)を通称とする。服部氏は伊賀を本国とし,保長のときに三河国に至り徳川(松平)氏の家臣となった
石川五右衛門(世界大百科事典・日本架空伝承人名事典・日本大百科全書)
安土桃山時代の盗賊の頭目。豊臣政権に反発する義賊というのは江戸時代の浄瑠璃や歌舞伎において粉飾された説で,《言経卿記》《豊臣秀吉譜》,アビラ・ヒロン《日本王国記》などによれば凶悪な窃盗である。1594年8月23日親子党類ともに京都三条河原で極刑に
近藤勇(国史大辞典・日本架空伝承人名事典・日本大百科全書)
一八三四 - 六八 幕末の幕臣。諱は昌宜、通称勝太・勇、変名大久保大和。天保五年(一八三四)十月五日生。武蔵国多摩郡石原村辻(東京都調布市)の農業宮川久次(郎)の三男。母はおえい。四人兄姉の末っ子。嘉永二年(一八四九)十月十九日
大人弥五郎(日本架空伝承人名事典・日本大百科全書・世界大百科事典)
山を作ったり、沼を作ったりした伝説の巨人。主に南九州で伝承されている。弥五郎のつけた足跡とか、土を盛った塚、あるいは彼の行為から起こったとする地名などが伝えられている。また他に、祭りの人形としても登場する。鹿児島県曽於市大隅町の岩川八幡神社では
蘇民将来(日本架空伝承人名事典・国史大辞典・世界大百科事典)
古代説話に登場する人物で、護符の一種でもある。護符は晴明判(魔よけの星象)や「蘇民将来子孫」などの文字を記した六角柱または八角柱の短い棒で、房状の飾りや紐をつけて帯に結び下げるようになったものもある。正月に、牛頭天王(ごずてんのう)と縁の深い
雪舟(新版 日本架空伝承人名事典・日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
1420‐1506ころ(応永27‐永正3ころ) 室町時代の画僧。日本中世における水墨画の大成者。備中に生まれる。一説に赤浜(総社市)の人で小田氏の出身という。少年期に上京、相国寺に入り、春林周藤に仕え等楊の諱(いみな)をもらい、画事を周文に習った
空海(新版 日本架空伝承人名事典・国史大辞典・日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
774‐835(宝亀5‐承和2)弘法大師、俗に「お大師さん」と略称する。平安時代初期の僧で日本真言密教の大成者。真言宗の開祖。讃岐国(香川県)多度郡弘田郷に生まれた。生誕の月日は不明であるが、後に不空三蔵(七〇五‐七七四)の生れかわりとする
最澄(新版 日本架空伝承人名事典・国史大辞典・日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
767‐822(神護景雲1‐弘仁13)伝教大師。平安初期の僧侶。天台宗の開祖。三津首百枝の子という。幼名は広野。俗姓は三津氏で、帰化人の子といわれる。近江国滋賀郡古市郷(現、滋賀県大津市)の生れ。七七八年(宝亀九)一二歳で近江国分寺の大国師行表
坂上田村麻呂(新版 日本架空伝承人名事典・国史大辞典・日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
758‐811(天平宝字2‐弘仁2)平安初頭の武将。犬養の孫。苅田麻呂の子。坂上氏は応神朝に渡来したという阿知使主(あちのおみ)を祖先とし大和国高市郡に蟠踞(ばんきょ)した倭(東)漢(やまとのあや)氏の一族で、武術に秀でていた。田村麻呂も
道鏡(新版 日本架空伝承人名事典・国史大辞典・日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
?‐772(宝亀3)奈良後期の政治家、僧侶。俗姓弓削連。河内国若江郡(現、八尾市)の人。出自に天智天皇皇子志貴(施基)皇子の王子説と物部守屋子孫説の二説がある。前者は『七大寺年表』『本朝皇胤紹運録』等時代の下る書に見える
鑑真(新版 日本架空伝承人名事典・日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
688‐763 中国、唐代の高僧。唐の揚州江陽県の生まれで、揚州の大雲寺で出家し、二〇歳で長安や洛陽の高僧から戒律関係の教理や、律宗・天台宗の教義を学んだ。とりわけ僧尼が遵守すべき戒律を研究し、南山律宗の継承者として日夜活動
行基(新版 日本架空伝承人名事典・国史大辞典・日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
668‐749(天智7‐天平勝宝1)奈良時代の僧。父は高志才智(こしのさいち)、母は蜂田古爾比売(はちたのこにひめ)。高志氏は百済系渡来人の書(文)(ふみ)氏の分派。行基は河内国(大阪府)大鳥郡の母方の家で生まれた
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