新版 日本架空伝承人名事典のサンプルページ一覧
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かぐや姫(日本架空伝承人名事典・日本大百科全書・日本国語大辞典)
『竹取物語』の主人公。「光り輝く姫」の意。物語本文には「(名を)なよ竹のかぐや姫とつけつ」とある。「竹取の翁」と呼ばれる老人が、山中で竹の中に身長三寸ほどの少女がいるのを見つけて連れ帰り、籠に入れて育てた。三月ほどで少女は成人し、その美しさに多くの

沖田総司(日本架空伝承人名事典・日本大百科全書・世界大百科事典)
新撰組隊士。白河藩士の子として生まれる。天然理心流近藤周助の試衛館で剣を学び、同門の近藤勇とともに、新撰組に加わった。剣の才能は抜群であったものの、結核を患い、池田屋事件では、近藤らとともにわずか五名で、一番先に斬り込んだが、喀血して昏倒した。

大石良雄(国史大辞典・日本大百科全書・世界大百科事典・日本架空伝承人名事典)
大石良雄。赤穂浅野家の家老。代々家老で、家禄は一五〇〇石。主君浅野長矩(ながのり)の一件に対する大石の方針は浅野家の名誉の回復であったが、名誉あるかたちでの浅野家再興を幕府に嘆願したがいれられず、長矩のけんかの相手とみなす吉良義央(きらよしなか)を殺

閻魔(日本架空伝承人名事典・日本国語大辞典・世界大百科事典)
閻魔は冥府の王として仏教とともに日本に入り、恐ろしいものの代名詞とされたが、地蔵菩薩と習合して信仰対象にもなった。奈良時代には閻羅王と書かれ、まれに閻魔国とも書かれている(『日本霊異記』)。閻羅は閻魔羅闍(えんまらじゃ)の略で、閻魔王の意味である。

天邪鬼(日本架空伝承人名事典・日本国語大辞典・日本大百科全書)
アマノザク、アマンジャクメ、アマノサグメなどとも称され、漢字は天邪鬼を当てている。昔話の瓜子姫を代表として、民間説話に多く登場する想像上の妖怪。現在も、性質が素直ではなく、人に逆らう者を称して通常用いられる。天邪鬼は神や人に反抗して意地が悪く、さらに

蘆屋道満(日本架空伝承人名事典・世界大百科事典)
平安中期の法師陰陽師。道摩ともいう。安倍晴明と術くらべする人物として登場することが多い。『古事談』『宇治拾遺物語』『十訓抄』に、道摩法師が藤原顕光の命で藤原道長に妖術をしかけるが、道長の犬と晴明に見破られ、本国播磨国に追放されたと伝える。『峯相記』

六歌仙(日本架空伝承人名事典・日本大百科全書・世界大百科事典)
『古今和歌集』仮名序で、紀貫之によって論評された六人の歌人の称。僧正遍昭(照)、在原業平、文屋康秀、喜撰法師、小野小町、大友(伴)黒主の六人を指す。六人は「いにしへの事をも歌をも知れる人、よむ人多からず。……近き世にその名きこえたる人」としてあげられ

三遊亭円朝(日本架空伝承人名事典・日本近代文学大事典・日本大百科全書)
幕末・明治の落語家。本名出淵(いづぶち)次郎吉。父は落語家橘家円太郎。七歳で小円太を名のり初高座。一時、画工を志し歌川国芳に浮世絵を学ぶものの、再び落語家に戻り、二〇歳で三遊亭円朝となる。画技を生かした道具入り正本芝居咄で人気を博したが、師匠二代目

国定忠次(日本架空伝承人名事典・国史大辞典・世界大百科事典)
江戸後期の博徒。忠次(治)郎ともいう。上野国佐位郡国定村の出身。中農以上に属する長岡与五左衛門の長男。二一歳のとき博徒の縄張を譲られて以来博徒の親分となり、一八三四年(天保五)縄張争いから同じ博徒の島村の伊三郎を殺害し、有名となる。四二年賭場の最中に

運慶(国史大辞典・日本大百科全書・世界大百科事典・日本架空伝承人名事典)
平安末~鎌倉初期に活躍した仏師。運慶は父康慶に見られた写実傾向を推し進め、平安後期の定朝様式の形式化した貴族趣味的な像を否定し、天平以来の古典的表現を基礎とした力強い作風を完成したが、その様式は鎌倉時代彫刻の規範とされ、長く日本彫刻に影響を与えた

葛飾北斎(日本架空伝承人名事典・世界大百科事典)
江戸後期の浮世絵師。葛飾派の祖。江戸本所割下水(現、東京都墨田区)で生まれた。幼少の頃より好んで絵を描き、版画の技術を学び、勝川春草の門に入って写実的な役者絵、黄表紙などの挿絵を描いた。狩野派を学んだために勝川派から追放され、以後は土佐派・琳派

喜多川歌麿(日本架空伝承人名事典・世界大百科事典)
江戸中・後期の浮世絵師。本姓は北川。生国には諸説がある。幼名は市太郎、のち勇助(勇記とも)。江戸に出て、狩野派の絵師である鳥山石燕に師事し、のちに浮世絵の第一人者となった。初めは北尾重政・鳥居清長ら先輩の作風を学び、修業を重ねた。歌麿の号は

東洲斎写楽(日本架空伝承人名事典・新版 歌舞伎事典・国史大辞典)
江戸時代の浮世絵師。生没年不詳。一七九四年(寛政六)五月から翌九五年一月までの正味一〇カ月間(途中閏月がはさまる)を活躍時期として、役者絵、相撲絵の版画一四〇余図という多くを発表。当時おおいに人気を得たらしいが、その後は浮世絵界との交渉をまったく

静御前(日本大百科全書・世界大百科事典・日本架空伝承人名事典)
生没年不詳源義経の妾。白拍子。磯の禅師の娘。平安時代末期の京都で舞の名手として知られたと伝えられる。文治元年(一一八五)十一月、義経が兄頼朝に背いて京都より逃亡した時に随行したが、吉野山中で義経主従と離れて京都へ戻る途中蔵王堂で捕えられ、京都で

源頼家(国史大辞典・日本大百科全書・世界大百科事典・日本架空伝承人名事典)
鎌倉幕府第二代将軍。源頼朝の長子。母は北条政子。一一九九年(正治一)父の死後一七歳で家督を継ぎ、一二〇二年(建仁二)征夷大将軍。北条氏のはからいで有力御家人一三人による合議制がしかれたため独裁することができず、また〇三年には六六ヵ国地頭職および

天之御中主神(日本大百科全書・世界大百科事典・日本架空伝承人名事典)
王権を基礎づける神話として『古事記』神話が編成された時、その冒頭に置かれて神々の世界を統括した宇宙最高神。中国では東方世界の主宰神として天皇大帝があった。この神は天の中心にあって不動の北極星を神格化した神である。アメノミナカヌシノカミはこの天皇大帝の

光明皇后(世界大百科事典・国史大辞典・日本架空伝承人名事典)
奈良前期の聖武天皇の皇后。諱(いみな)は安宿(あすかべ)、出家して光明子という。藤原不比等の第三女、母は橘三千代。幼にして聡慧、早くから声誉高かったが、七一六年(霊亀二)一六歳で皇太子首(おびと)皇子の妃となり、翌々年阿倍皇女(孝謙天皇)を生む

小野小町(日本架空伝承人名事典・日本大百科全書・世界大百科事典)
平安時代前期の女流歌人。生没年不詳。六歌仙、三十六歌仙の一人。出羽国の郡司良真の女。篁(たかむら)の孫、美材(よしき)、好古(よしふる)らの従妹とされる。系図については諸説があるが、確かなことは不明。小町の名についても、宮中の局町に住んだことによると

弁慶(日本架空伝承人名事典・世界大百科事典)
源義経の郎従。武蔵坊と称する。没年は衣川の合戦で義経に殉じたとする伝承にもとづいて一一八九年(文治五)とされる。『吾妻鏡』や『平家物語』にその名が見えるので、実在の人物と考えられているが、詳しくは不明。その説話や伝承は、『義経記』をはじめ室町時代の

鞍馬天狗(日本架空伝承人名事典・世界大百科事典)
大仏次郎の連作時代小説の主人公。『鬼面の老女』(一九二四)から『西海道中記』(一九五九)まで三六編の作品があり、いずれも鞍馬天狗を主人公としている。『御用盗異聞』『角兵衛獅子』『天狗廻状』『宗十郎頭巾』『江戸日記』『雁のたより』などがとくに名高い

一心太助(日本架空伝承人名事典・日本大百科全書・世界大百科事典)
大久保彦左衛門に愛されたと伝えられる魚商。生没年不詳。侠勇あって「一心」の名は首(または腕ともいう)に「一心白道」の四字を入墨したところから呼ばれたとされる。実録本『大久保武蔵鐙(あぶみ)』によって大久保政談にからんで登場、浅草茅町の穀商松前屋

水戸黄門(日本架空伝承人名事典)
徳川光圀。江戸中期の大名。水戸藩初代藩主徳川頼房の三男として水戸に生まれる。母は頼房の側室谷久子。家臣の屋敷で養われた。幼名は長丸、のち千代松、九歳で元服のとき三代将軍徳川家光の一字を与えられて光国と名のる。のち五〇歳代に国を圀に改めた。字ははじめ

鼠小僧次郎吉(世界大百科事典・国史大辞典・日本架空伝承人名事典)
江戸の著名な盗賊。『視聴草』によれば、一八二三年(文政六)以来一〇年間に九九ヵ所の武家屋敷へ一二二度も忍びこみ、金三〇〇〇両余を盗む。盗金は酒食や遊興、ばくちなどに費やした。三二年八月獄門。三六歳とも三七歳ともいわれた。のち小説、講談、戯曲に義賊とし

塚原卜伝(日本大百科全書・世界大百科事典・日本架空伝承人名事典)
戦国時代の剣客。新当流の流祖。字は高幹(たかもと)。常陸国(茨城県)鹿島神宮の祝部(はふりべ)である卜部覚賢(うらべあきたか)の次男として生まれた。その生涯については不明の点も多いが、卜部家には鹿島の太刀の秘伝が伝わり、卜伝が養子となった塚原家は天真

山荘太夫(日本大百科全書・世界大百科事典・日本架空伝承人名事典)
説経節『山荘太夫』に登場する人物。丹後由良の悪徳長者をモデルにしたといわれている。「さんじょ」は、中近世では、算所、散所、産所、三荘、山荘などの字が当てられ、特別な性格をもつ地域であった。この語り物は、その「さんじょ」に住む遊芸の徒、説経師によって語

石童丸(日本架空伝承人名事典・世界大百科事典)
説経節『苅萱(かるかや)』に出てくる幼い主人公の名。『苅萱』のもとになる話は、中世の高野山の蓮華谷や往生院谷あたりの「萱堂(かやんどう)」に住む聖(ひじり)の間に生まれたもので、それが後に謡曲の『苅萱』と説経に分かれて展開したものである。説経『苅萱』

赤穂浪士(日本架空伝承人名事典・世界大百科事典・日本大百科全書)
一七〇一年(元禄一四)三月一四日に、江戸城本丸松之廊下で播磨赤穂城主(五万三五〇〇石)浅野内匠頭長矩(ながのり)が高家肝煎(きもいり)(旗本)であった吉良上野介義央(よしなか)に突然斬りかかって傷を負わせた事件があった。この日は幕府の年賀に対する答礼

愛護若(日本架空伝承人名事典・世界大百科事典・国史大辞典)
説経節『愛護若』の主人公。愛護は父二条蔵人清平の後妻、雲井の前の邪恋を拒んだため、二条の館を追放される。叔父の阿闍梨(あじゃり)のいる叡山を訪ねるが、そこでも天狗と誤られて乱暴され、失意と絶望から山中を放浪した果てに霧降滝(きりうがたき)で投身自殺し

丹下左膳(日本架空伝承人名事典・世界大百科事典)
林不忘が一九二七年(昭和二)から翌年まで新聞に連載した長編小説『新版大岡政談‐鈴川源十郎の巻』に登場してくる、痩せさらばえた隻眼隻手の怪剣士。奥州中村藩六万石の藩主相馬大膳亮の家臣で、乾雲(けんうん)・坤竜(こんりゅう)の名刀をめぐる争いに藩主の密命

蝉丸(日本架空伝承人名事典・日本国語大辞典・国史大辞典)
虚構の人名。説話では、延喜帝(醍醐天皇)の第四皇子で、盲目のため逢坂山へ遺棄された琵琶の名手と伝える。『後撰集』(巻十五)に、「逢坂の関に庵室を造りて住み侍りけるに、行きかふ人を見て」の詞書のもとに、「これやこの行くも帰るも別れては知るも知らぬも逢坂