新版 日本架空伝承人名事典のサンプルページ一覧
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銭形平次(日本架空伝承人名事典)
野村胡堂が一九三一年(昭和六)から五七年まで書き継いだ『銭形平次捕物控』シリーズ(長・短編合わせて総計三八三編)の主人公。江戸神田明神下の長屋に住む「江戸一番の捕物名人」の御用聞(岡っ引き)。犯罪者の捕縛に際して、投げ銭の特技を見せるところから、銭形

酒呑童子(日本架空伝承人名事典・国史大辞典)
大江山伝説に登場する鬼神。「酒顛童子」とも書く。源頼光と渡辺綱、坂田金時らその四天王が、大江山に住む酒呑童子という鬼を退治する話は、近江伊吹山の伊吹童子退治の話と内容的に深く関係するが、一四世紀後半成立の『大江山絵詞』にみえることから、これ以前に原型

清水次郎長(日本架空伝承人名事典・国史大辞典)
江戸後期・維新期の侠客。駿河国有渡郡清水湊の海運業三右衛門の三男として生まれ、のち母の弟である米屋山本次郎八の養子となる。山本長五郎が本名で次郎長は通称。幼年期より粗暴の性質であった。一八三五年(天保六)に養父が死去し、家業を相続した。四一年に博徒

風の又三郎(日本架空伝承人名事典・日本人名大辞典)
宮沢賢治の童話『風の又三郎』(生前未発表)の主人公、高田三郎。三郎は、鉱石会社の技師である父の転勤で東北のある谷間の小学校分教場にやってきた。都会育ちらしく洋服を着、赤毛で色白く標準語を話す。三郎が転校してきた日は九月一日、二百十日のこと。三郎が

浦島太郎(日本架空伝承人名事典・世界大百科事典)
浦島太郎の話は、一般には次のようなものとして知られている。浦島は助けた亀に案内されて竜宮を訪問。歓待を受けた浦島は三日後に帰郷するが、地上では三〇〇年の歳月が過ぎている。開けるなといわれた玉匣(玉手箱)を開けると白煙が立ち上り、浦島は一瞬にして白髪

一寸法師(日本架空伝承人名事典・日本大百科全書・日本国語大辞典)
異常に小さな姿でこの世に出現した主人公の活躍を語った昔話群の総称。御伽草子に収められていた物語が「一寸法師」と名づけられていたため、この種の昔話を「一寸法師」と呼ぶことが広く定着しているが、民間伝承の段階では、主人公を一寸法師と呼ぶほか、豆助

安倍晴明(日本架空伝承人名事典・世界大百科事典・国史大辞典)
平安中期の陰陽家。系図類によれば、八世紀はじめの右大臣阿倍御主人(あべのみうし)の系譜を引き、益材の子とされる。九六〇年(天徳四)に天文得業生として歴史に姿をあらわし、以後、天文博士・主計権助などを歴任して、大膳大夫・左京権大夫となる。極位は従四位

小栗判官(東洋文庫・日本大百科全書・世界大百科事典・日本架空伝承人名事典)
説経節などの民間の語り物などに登場する主人公の名。照手姫との哀話で有名。細部には異伝も多いが、ほぼ次のような物語である。大蛇と契ったかどで常陸国に流された小栗判官は、相模、武蔵両国の豪族横山氏の一人姫照手が絶世の美人だと聞いて、横山一門の承認もえず

阿弥陀(世界大百科事典・日本架空伝承人名事典・Encyclopedia of Japan)
極楽浄土にいて衆生を救済するとされる仏。弥陀とも略称される。『無量寿経』によれば、過去世に法蔵比丘が世自在王如来のもとで四十八の誓願をたて、長期間の修行を果たし、現在では阿弥陀仏となり、極楽浄土の主となって、その浄土へ往生を願う衆生を摂取するという

佐々木小次郎(日本架空伝承人名事典・世界大百科事典・日本大百科全書)
?‐1612(慶長17) 安土桃山時代から江戸初期の剣豪。幼名は九三郎といわれ、巌流とも称した。出身は越前国とも、周防国ともいわれる。幼い頃から富田流剣法の中興の祖である富田勢源に剣法を学び、長じて諸国を武者修行の末、「物干し竿」といわれる長太刀で

宮本武蔵(世界大百科事典・日本架空伝承人名事典・Encyclopedia of Japan)
江戸時代初期の剣豪。二天一流(円明流、武蔵流ともいう)剣法の祖。『五輪書』の著者。二天と号した。日本の剣道史上最も著名な剣豪の一人で、小説、舞台、映画などにもなっているが、伝記については必ずしも明らかではない。出生地についても、播磨(兵庫県)の

風魔小太郎(日本架空伝承人名事典・日本人名大辞典)
戦国末期に活躍したとされる相州乱波(らっぱ)の首領。『北条五代記』によれば、乱波とは「他家へ忍び入り、山賊、夜討、強盗して物盗ること上手なり。才智ありて、計略めぐらすこと、凡慮におよばず」といい、小太郎はこうした関東乱波のうち、小田原北条氏

服部半蔵(世界大百科事典・日本架空伝承人名事典)
戦国時代から江戸初期の徳川氏の武将。名は正成。徳川家康と同年で、伊賀国の上忍の家柄の出身という。徳川十六将の一人に数えられる。父の半蔵保長は早くに郷里を出て、三河国岡崎の松平家に仕えた。半蔵の兄弟の多くは戦いで死に、六男半蔵も各地の戦いに出陣している

石川五右衛門(世界大百科事典・日本架空伝承人名事典・日本大百科全書)
安土桃山時代の盗賊の頭目。豊臣政権に反発する義賊というのは江戸時代の浄瑠璃や歌舞伎において粉飾された説で、『言経卿記』『豊臣秀吉譜』、アビラ・ヒロン『日本王国記』などによれば凶悪な窃盗である。一五九四年八月二三日親子党類ともに京都三条河原で極刑に

蘇民将来(日本架空伝承人名事典・国史大辞典・世界大百科事典)
古代説話に登場する人物で、護符の一種でもある。護符は晴明判(魔よけの星象)や「蘇民将来子孫」などの文字を記した六角柱または八角柱の短い棒で、房状の飾りや紐をつけて帯に結び下げるようになったものもある。正月に、牛頭天王(ごずてんのう)と縁の深い

井伊直弼(国史大辞典・世界大百科事典・日本架空伝承人名事典)
江戸末期の大老、彦根藩主。掃部頭と称した。一八五〇年(嘉永三)、長兄直亮の死により一三代彦根藩主となった。この時期の幕政の重要問題は、開国の可否と将軍継嗣問題とであった。直弼は鎖国の維持を望んでいたが、外国と戦って鎖国を守りぬくことが不可能である以上

大塩平八郎(国史大辞典・世界大百科事典・日本架空伝承人名事典)
元大坂東町奉行所与力で、陽明学者。在職中は、豊田貢らのキリシタン検挙、不正を働いた官吏や破戒僧の処罰等の功績をあげ、廉直との評判を得ていた。引退後は家塾で陽明学を講じていた。天保の飢饉では蔵書などを売却し、窮民の救済に努めたが、一八三七年(天保八)二月

大岡忠相(日本大百科全書・世界大百科事典・日本架空伝承人名事典)
大岡忠相。江戸中期の幕臣、政治家。幼名は求馬、のち市十郎、忠右衛門。先祖は徳川氏三河以来の譜代。忠高の第四子。一六八六年(貞享三)同姓の忠真の養子となる。九三年(元禄六)実兄が八丈島に流罪、九六年一族の忠英(書院番)が番頭を殺害してみずからも死ぬという事件

上杉謙信(国史大辞典・世界大百科事典・日本架空伝承人名事典)
戦国時代の武将。一五三〇年一月に越後国の春日山城で生れた。守護代長尾為景の次男。幼名を虎千代といい、元服して長尾景虎となる。六一年(永禄四)関東管領となり上杉政虎、さらに上杉輝虎と改名、七〇年(元亀一)上杉謙信となる。七歳の時に父が没し

一休宗純(国史大辞典・日本架空伝承人名事典・世界大百科事典)
1394‐1481(応永1‐文明13)室町時代の臨済の禅僧。諱いみなは宗純、狂雲子とも号した。父は後小松天皇。この皇胤説には疑問をもつ人もあるが、当時の公家の日記にみえ、今日ではほぼ定説となっている。六歳のとき、臨済五山派の名寺である京都安国寺に入り

北条政子(国史大辞典・日本大百科全書・世界大百科事典・日本架空伝承人名事典)
鎌倉前期の女性政治家。北条時政の娘。鎌倉幕府を創設した源頼朝の夫人。頼朝との間に大姫、頼家(二代将軍)、乙姫、実朝(三代将軍)を産んだ。頼朝の死後、父時政や弟の北条義時、あるいは大江広元らと協力して幕政を主導し、「尼将軍」と呼ばれた

源義経(国史大辞典・世界大百科事典・日本架空伝承人名事典)
平安末期~鎌倉初期の武将。源義朝の末子、頼朝の異母弟。母は九条院の雑仕女ぞうしめ常盤ときわ。幼名牛若、九郎と称す。平治の乱(一一五九)で父義朝が敗死したのち母および二人の兄今若(のちの阿野全成)、乙若(のちの円成)とともに平氏に捕らえられたが

雪舟(新版 日本架空伝承人名事典・日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
1420‐1506ころ(応永27‐永正3ころ) 室町時代の画僧。日本中世における水墨画の大成者。備中に生まれる。一説に赤浜(総社市)の人で小田氏の出身という。少年期に上京、相国寺に入り、春林周藤に仕え等楊の諱(いみな)をもらい、画事を周文に習った

空海(新版 日本架空伝承人名事典・国史大辞典・世界大百科事典)
774‐835(宝亀5‐承和2)弘法大師、俗に「お大師さん」と略称する。平安時代初期の僧で日本真言密教の大成者。真言宗の開祖。讃岐国(香川県)多度郡弘田郷に生まれた。生誕の月日は不明であるが、後に不空三蔵(七〇五‐七七四)の生れかわりとする

最澄(新版 日本架空伝承人名事典・国史大辞典・世界大百科事典)
767‐822(神護景雲1‐弘仁13)伝教大師。平安初期の僧侶。天台宗の開祖。三津首百枝の子という。幼名は広野。俗姓は三津氏で、帰化人の子といわれる。近江国滋賀郡古市郷(現、滋賀県大津市)の生れ。七七八年(宝亀九)一二歳で近江国分寺の大国師行表

坂上田村麻呂(新版 日本架空伝承人名事典・国史大辞典・日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
758‐811(天平宝字2‐弘仁2)平安初頭の武将。犬養の孫。苅田麻呂の子。坂上氏は応神朝に渡来したという阿知使主(あちのおみ)を祖先とし大和国高市郡に蟠踞(ばんきょ)した倭(東)漢(やまとのあや)氏の一族で、武術に秀でていた。田村麻呂も

道鏡(新版 日本架空伝承人名事典・国史大辞典・日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
?‐772(宝亀3)奈良後期の政治家、僧侶。俗姓弓削連。河内国若江郡(現、八尾市)の人。出自に天智天皇皇子志貴(施基)皇子の王子説と物部守屋子孫説の二説がある。前者は『七大寺年表』『本朝皇胤紹運録』等時代の下る書に見える

鑑真(新版 日本架空伝承人名事典・世界大百科事典)
688‐763 中国、唐代の高僧。唐の揚州江陽県の生まれで、揚州の大雲寺で出家し、二〇歳で長安や洛陽の高僧から戒律関係の教理や、律宗・天台宗の教義を学んだ。とりわけ僧尼が遵守すべき戒律を研究し、南山律宗の継承者として日夜活動

行基(新版 日本架空伝承人名事典・国史大辞典・世界大百科事典)
668‐749(天智7‐天平勝宝1)奈良時代の僧。父は高志才智(こしのさいち)、母は蜂田古爾比売(はちたのこにひめ)。高志氏は百済系渡来人の書(文)(ふみ)氏の分派。行基は河内国(大阪府)大鳥郡の母方の家で生まれた

藤原鎌足(新版 日本架空伝承人名事典・日本大百科全書・改訂新版 世界大百科事典)
614‐669(推古22‐天智8)大化改新の功臣で藤原氏の始祖。もと中臣連(なかとみのむらじ)鎌足。父は弥気(みけ)(御食子(みけこ)、御食足(みけたり)とも)といい、推古・舒明朝に仕えた神官で、地位は大臣(おおおみ)、大連(おおむらじ)