ニッポン書物遺産

日本方言
大辞典

episode.1
日本最大級の『日本方言大辞典』はどういった経緯で誕生したのか――。 神永曉氏にお話を伺う、第1回目。

方言で見えてくる人の流れ

──『日本方言大辞典』との関わりを教えてください。
入社以来、辞書編集一筋ですが、私が『日本国語大辞典』(以下、『日国』)の第2版に関わっていた時、隣で専従の2名の編集者が『日本方言大辞典』を担当していました。私自身はその後、『日本方言大辞典』の成果を生かすかたちで、『日本国語大辞典』第2版の方言欄や、『お国ことばを知る 方言の地図帳―新版 方言の読本』(2002年、以下『方言の地図帳』)、『標準語引き 日本方言辞典』(2003年)の編集に携わりました。このあたりから次第に、「方言」の面白さを意識するようになりました。
――方言の面白さとは?
私は、『日本方言大辞典』の監修者である徳川宗賢(とくがわ・むねまさ)先生、編集委員の佐藤亮一先生のお二人から、薫陶を受けました。お二人に「方言の面白さ」を教えていただいたと言っていいでしょう。
徳川先生は、御三卿の一つの田安徳川家のご出身で、「世が世なら将軍になっていたかもしれないね」という冗談をよく口にされていました。先生は、「方言は、日本人一人ひとりの心の故郷であり、日本語の源泉である」とおっしゃっていますが、日本語の基盤として方言を捉えていました。“方言みやげ”も収集されていて、そのコレクションの一部は、webで見ることができます(三川町「徳川先生の方言グッズ」)。実はこの三川町の写真の中には私が集めたものが2点混ざってしまいました。でも徳川先生が生きていらっしゃったら、扇子で胸元に風を入れながら、「よきにはからえ」とおっしゃったでしょうね、きっと。
佐藤亮一先生とは、『方言の地図帳』を一緒につくりましたが、言葉が人の移動によって伝わっていくことがよくわかりました。例えば、山形の酒田市は江戸時代、北前船の寄港地として栄えましたが、この地には上方の言葉がたくさん残っています。北前船で上方の商人や船員が多く上陸したからでしょう。方言の分布を調べていくと、かつての人の流れも見えてくるのです。

大岩正仲先生の熱意から始まった

――そもそも方言は、どうやって収集するのでしょうか。
方言研究は、主に3つの方法で成り立っています。ひとつは「郵便法(通信調査法)」。インフォーマント(情報提供者)との間で郵便で調査票をやりとりします。もうひとつが「実地調査」。『方言の地図帳』では、国立国語研究所の「日本言語地図」を利用していますが、その調査は、たとえば川下から川上へと実地で聞いていったそうです。そして最後は、「文献調査」。各自治体や郷土の研究家が作成した資料をもとにします。『日本方言大辞典』は、この「文献調査」によって作られています。
──『日本方言大辞典』の成り立ちを教えてください。
この辞典は、大岩正仲先生の存在なくしては語れません。先生は、『日国』の初版で方言項目約4万をすべて執筆された方で、1000を超える方言資料を手元に集めていました。そして膨大な数の方言カードを作っていたのです。大岩先生の中には、方言大辞典をつくりたいという強い意志があったようですが、志半ば、1972年に帰らぬ人となってしまいます。大岩先生の遺志を無にできない、と徳川宗賢先生らが立ち上がり、『日本方言大辞典』の編集がスタートしました。『日国』の初版発行の最終年が1976年ですから、おそらくこのあたりからスタートしているのでしょう。私の入社は1980年ですが、この時にはすでに編集を開始していました。そして30人近い協力者の奮闘によって十余年の歳月を経て、1989年にようやく完成するのです。全3巻、総項目数20万という日本最大級の方言辞典が、ここに誕生したのです。いまだに、これを超える方言辞典は世に出ていないのではないでしょうか。

『日本方言大辞典』は1989年2月に小学館より刊行。上下巻と索引が載った別巻の3巻で構成。別巻の索引は標準語引きとなっており、「一般語編」「動物編」「植物編」、そして「民俗語彙編」というようにジャンル分けされている。

くわしくはこちら
http://www.web-nihongo.com/books/508201/

大岩正仲氏によって集められた方言カード。「ねこ」の一部。一輪車、胴着などの意味が見られる。



「御研究にお役に立たないと存じますがお収めください」──冊子を開けば、斎藤氏から大岩氏へ宛てた手紙が出てきた。斎藤義七郎氏による『日本語の語尾分類によるさかさ引き辞典 動詞篇』。あたたかみのあるガリ版の文字がぎっしり。『日本方言大辞典』の立派な資料となり、表紙には「禁持出」「日本方言大辞典/大岩文庫」のシールが貼られている。

手書きによる『大阪方言採集』。「大岩文庫」のシールが貼られておらず、残念ながら方言辞典の資料にはならなかったようだが、資料本とともに倉庫に大切に保管されていた。

日本最大級の『日本方言大辞典』はどういった経緯で誕生したのか――。 神永曉氏にお話を伺う、第1回目。

方言で見えてくる人の流れ

──『日本方言大辞典』との関わりを教えてください。
入社以来、辞書編集一筋ですが、私が『日本国語大辞典』(以下、『日国』)の第2版に関わっていた時、隣で専従の2名の編集者が『日本方言大辞典』を担当していました。私自身はその後、『日本方言大辞典』の成果を生かすかたちで、『日本国語大辞典』第2版の方言欄や、『お国ことばを知る 方言の地図帳―新版 方言の読本』(2002年、以下『方言の地図帳』)、『標準語引き 日本方言辞典』(2003年)の編集に携わりました。このあたりから次第に、「方言」の面白さを意識するようになりました。
――方言の面白さとは?
私は、『日本方言大辞典』の監修者である徳川宗賢(とくがわ・むねまさ)先生、編集委員の佐藤亮一先生のお二人から、薫陶を受けました。お二人に「方言の面白さ」を教えていただいたと言っていいでしょう。
徳川先生は、御三卿の一つの田安徳川家のご出身で、「世が世なら将軍になっていたかもしれないね」という冗談をよく口にされていました。先生は、「方言は、日本人一人ひとりの心の故郷であり、日本語の源泉である」とおっしゃっていますが、日本語の基盤として方言を捉えていました。“方言みやげ”も収集されていて、そのコレクションの一部は、webで見ることができます(三川町「徳川先生の方言グッズ」)。実はこの三川町の写真の中には私が集めたものが2点混ざってしまいました。でも徳川先生が生きていらっしゃったら、扇子で胸元に風を入れながら、「よきにはからえ」とおっしゃったでしょうね、きっと。
佐藤亮一先生とは、『方言の地図帳』を一緒につくりましたが、言葉が人の移動によって伝わっていくことがよくわかりました。例えば、山形の酒田市は江戸時代、北前船の寄港地として栄えましたが、この地には上方の言葉がたくさん残っています。北前船で上方の商人や船員が多く上陸したからでしょう。方言の分布を調べていくと、かつての人の流れも見えてくるのです。

大岩正仲先生の熱意から始まった

――そもそも方言は、どうやって収集するのでしょうか。
方言研究は、主に3つの方法で成り立っています。ひとつは「郵便法(通信調査法)」。インフォーマント(情報提供者)との間で郵便で調査票をやりとりします。もうひとつが「実地調査」。『方言の地図帳』では、国立国語研究所の「日本言語地図」を利用していますが、その調査は、たとえば川下から川上へと実地で聞いていったそうです。そして最後は、「文献調査」。各自治体や郷土の研究家が作成した資料をもとにします。『日本方言大辞典』は、この「文献調査」によって作られています。
──『日本方言大辞典』の成り立ちを教えてください。
この辞典は、大岩正仲先生の存在なくしては語れません。先生は、『日国』の初版で方言項目約4万をすべて執筆された方で、1000を超える方言資料を手元に集めていました。そして膨大な数の方言カードを作っていたのです。大岩先生の中には、方言大辞典をつくりたいという強い意志があったようですが、志半ば、1972年に帰らぬ人となってしまいます。大岩先生の遺志を無にできない、と徳川宗賢先生らが立ち上がり、『日本方言大辞典』の編集がスタートしました。『日国』の初版発行の最終年が1976年ですから、おそらくこのあたりからスタートしているのでしょう。私の入社は1980年ですが、この時にはすでに編集を開始していました。そして30人近い協力者の奮闘によって十余年の歳月を経て、1989年にようやく完成するのです。全3巻、総項目数20万という日本最大級の方言辞典が、ここに誕生したのです。いまだに、これを超える方言辞典は世に出ていないのではないでしょうか。


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神永 曉(かみなが・さとる) 神永 曉(かみなが・さとる)

1956年千葉県生まれ。小学館出版局プロデューサー。入社以来、37年間ほぼ辞典編集一筋の編集者人生を送っている。担当した主な辞典は『日本国語大辞典 第2版』『現代国語例解辞典』『使い方の分かる類語例解辞典』『標準語引き 日本方言辞典』『美しい日本語の辞典』など。ジャパンナレッジ「日本語、どうでしょう?」の記事を加筆修正してまとめた初めての著書『悩ましい国語辞典』(時事通信社)が発売中。