ニッポン書物遺産

国史大辞典

episode.7
平成9(1997)年、『国史大辞典』全15巻(17冊)は、最終刊の「事項索引」をもって完結を見た。昭和40(1965)年に編纂がスタートしてから30年以上かけての大事業であった。
完結の瞬間、当時の吉川圭三社長をはじめ、関係者たちの胸に去来したものは何だったのか。吉川弘文館社長の前田求恭さんにうかがう、7回目。

32年の時を経て
『国史大辞典』ついに完結


――吉川圭三社長の悲願の『国史大辞典』。編纂開始から32年後の平成9(1997)年、ようやく全巻が完成します。
この当時、吉川圭三はまだ社長職にありましたが、90歳も過ぎ、体調も思わしくありませんでした。会社に来ることも滅多になく、正直、ご自身、辞典が完成するまで体がもたないんじゃないか、と危惧されていました。すでに編集委員長であり、辞典の大黒柱であった坂本太郎先生(注1)をはじめ、何人かの編集委員の先生は逝去されていました。主役が全員いなくなったら困ると、14巻目の本文が完成した時点で、『完成披露パーティー』を前倒しでやったほどです。平成9年の全巻完結パーティーでは吉川社長に、ダルマのもう一方の眼に墨を入れてもらいました。実際は、辞典の完成を吉川社長自身の目でしかと見たわけですから、気力がそこまでもたせたのでしょう。出版人として幸せだったといえるのではないでしょうか。ご自身は、林英男に社長を譲った翌年、平成12年に亡くなりました。
──吉川圭三社長が寄せた「完結にあたって」では、完結できた理由は、〈ひとえに編集委員・顧問・賛助員の筆舌に尽し難い御尽力の賜〉であると、関係者への謝意で埋められています。
今だからお話しできますが、じつはあの原稿、元々は異なった文章だったんです。吉川社長は、〈この辞典は殉教者によって作られた〉と。〈深夜にわたる異常な精進〉が完成させたのだ、と。私や何人かの先生の具体的な名前を挙げ、切々と書いていました。辞典の編集の最中は、ただの一言も、愚痴も小言も言わなかった吉川社長でしたが、その無言の裏側には、私たちスタッフへの信頼と、スタッフは殉教者であった、という思いがあったのです。私にとっては、その思いだけで充分でした。

「世に利益する」──
熱い精神を引き継ぐ者として

――前田さんご自身は、『国史大辞典』の完結のそのとき、どんな思いがよぎりましたか。
私の中には達成感……いや、もっと言うなら解放感で満たされました。20代前半から関わってきた『国史大辞典』ですが、完成当時は、すでに私も50過ぎ。人生の半分以上を『国史大辞典』に捧げていました。辞典作りの後半は、「辞典ができたら会社を辞めよう」とどこかで思っていましたので、ようやく自由の身になれる、と(笑)。自身のけじめと辞典完成の報告を兼ねて、私は吉川圭三社長の自宅を訪れたんです。ところが吉川社長は、私を睨み付けて「会社を継続させよ」と言うのです。男が男に惚れるといいましょうか。惚れ直したというべきでしょうか。弱輩者ではありますが、吉川圭三社長の意を継がなければならない、そのとき、そう思ったのです。
――林英男さんが5代目社長に就任して以降も、吉川弘文館は、『街道の日本史』(全56巻、6年かけて完結)、『日本の時代史』(全30巻、丸2年かけて完結)、『古事類苑』(注2)の再刊、と次々と大事業をおこします。
まさに、吉川圭三社長がやり残した事業でした。「世に利益する」という初代・半七の起業精神が、中興の祖・吉川圭三を経て、私たち社員の間に熱く流れたということかもしれません。特に『日本の時代史』は、わが社初の通史です。「歴史関係の出版社を自負する吉川弘文館が、通史を出さないのはおかしいじゃないか」というお叱りを、読者の方からさんざんいただいておりました。『国史大辞典』が終わって、ようやく取り組めたのです。『国史大系書目解題』下巻、『徳川実紀』の事項篇、『新訂増補国史大系』の全巻復刊……。ようやく吉川圭三社長との約束を果たせたかな、とほっとしているところなんです。これで心置きなく、バトンタッチできる、と(笑)。
  • 注1 坂本太郎
    日本史学者。昭和20年東京帝大教授となり、26年から東大史料編纂所長を兼任。のち国学院大教授。57年文化勲章受章。実証主義の立場から日本古代史の研究を推進。『国史大辞典』の編集委員の大黒柱的存在でもあった。
  • 注2 古事類苑
    明治・大正年間に編纂されたわが国最大の百科史料事典。巻数1000巻、分装和装本350冊・洋装本50冊。成立は大正3年。明治12年西村茂樹の建議に基づき、中国の類書、西洋の百科事典に劣らない日本の百科事典を作ろうと、近代国家の文化事業として文部省で編纂が始められた。


完結を見ずに、昭和62(1986)年に逝去した、編集委員長の坂本太郎氏。

前倒しで行なわれた平成5(1993)年の完成披露パーティーにて、右が吉川圭三元社長、左が前田社長。スピーチの後、吉川社長がダルマの片方の目にだけ墨を入れた。

『国史』の付録「史窓余話」の最終ページにある、「完結にあたって」。「本辞典がさらに国民の共有財産として将来に受け継がれ、育まれてゆくことを願ってやみません」と結ばれている。

平成9(1997)年、『国史大辞典』が完成。同年菊池寛賞を受賞したときの吉川圭三社長。

平成9(1997)年、『国史大辞典』全15巻(17冊)は、最終刊の「事項索引」をもって完結を見た。昭和40(1965)年に編纂がスタートしてから30年以上かけての大事業であった。
完結の瞬間、当時の吉川圭三社長をはじめ、関係者たちの胸に去来したものは何だったのか。吉川弘文館社長の前田求恭さんにうかがう、7回目。

32年の時を経て
『国史大辞典』ついに完結


――吉川圭三社長の悲願の『国史大辞典』。編纂開始から32年後の平成9(1997)年、ようやく全巻が完成します。
この当時、吉川圭三はまだ社長職にありましたが、90歳も過ぎ、体調も思わしくありませんでした。会社に来ることも滅多になく、正直、ご自身、辞典が完成するまで体がもたないんじゃないか、と危惧されていました。すでに編集委員長であり、辞典の大黒柱であった坂本太郎先生(注1)をはじめ、何人かの編集委員の先生は逝去されていました。主役が全員いなくなったら困ると、14巻目の本文が完成した時点で、『完成披露パーティー』を前倒しでやったほどです。平成9年の全巻完結パーティーでは吉川社長に、ダルマのもう一方の眼に墨を入れてもらいました。実際は、辞典の完成を吉川社長自身の目でしかと見たわけですから、気力がそこまでもたせたのでしょう。出版人として幸せだったといえるのではないでしょうか。ご自身は、林英男に社長を譲った翌年、平成12年に亡くなりました。
──吉川圭三社長が寄せた「完結にあたって」では、完結できた理由は、〈ひとえに編集委員・顧問・賛助員の筆舌に尽し難い御尽力の賜〉であると、関係者への謝意で埋められています。
今だからお話しできますが、じつはあの原稿、元々は異なった文章だったんです。吉川社長は、〈この辞典は殉教者によって作られた〉と。〈深夜にわたる異常な精進〉が完成させたのだ、と。私や何人かの先生の具体的な名前を挙げ、切々と書いていました。辞典の編集の最中は、ただの一言も、愚痴も小言も言わなかった吉川社長でしたが、その無言の裏側には、私たちスタッフへの信頼と、スタッフは殉教者であった、という思いがあったのです。私にとっては、その思いだけで充分でした。

「世に利益する」──
熱い精神を引き継ぐ者として

――前田さんご自身は、『国史大辞典』の完結のそのとき、どんな思いがよぎりましたか。
私の中には達成感……いや、もっと言うなら解放感で満たされました。20代前半から関わってきた『国史大辞典』ですが、完成当時は、すでに私も50過ぎ。人生の半分以上を『国史大辞典』に捧げていました。辞典作りの後半は、「辞典ができたら会社を辞めよう」とどこかで思っていましたので、ようやく自由の身になれる、と(笑)。自身のけじめと辞典完成の報告を兼ねて、私は吉川圭三社長の自宅を訪れたんです。ところが吉川社長は、私を睨み付けて「会社を継続させよ」と言うのです。男が男に惚れるといいましょうか。惚れ直したというべきでしょうか。弱輩者ではありますが、吉川圭三社長の意を継がなければならない、そのとき、そう思ったのです。
――林英男さんが5代目社長に就任して以降も、吉川弘文館は、『街道の日本史』(全56巻、6年かけて完結)、『日本の時代史』(全30巻、丸2年かけて完結)、『古事類苑』(注2)の再刊、と次々と大事業をおこします。
まさに、吉川圭三社長がやり残した事業でした。「世に利益する」という初代・半七の起業精神が、中興の祖・吉川圭三を経て、私たち社員の間に熱く流れたということかもしれません。特に『日本の時代史』は、わが社初の通史です。「歴史関係の出版社を自負する吉川弘文館が、通史を出さないのはおかしいじゃないか」というお叱りを、読者の方からさんざんいただいておりました。『国史大辞典』が終わって、ようやく取り組めたのです。『国史大系書目解題』下巻、『徳川実紀』の事項篇、『新訂増補国史大系』の全巻復刊……。ようやく吉川圭三社長との約束を果たせたかな、とほっとしているところなんです。これで心置きなく、バトンタッチできる、と(笑)。
  • 注1 坂本太郎
    日本史学者。昭和20年東京帝大教授となり、26年から東大史料編纂所長を兼任。のち国学院大教授。57年文化勲章受章。実証主義の立場から日本古代史の研究を推進。『国史大辞典』の編集委員の大黒柱的存在でもあった。
  • 注2 古事類苑
    明治・大正年間に編纂されたわが国最大の百科史料事典。巻数1000巻、分装和装本350冊・洋装本50冊。成立は大正3年。明治12年西村茂樹の建議に基づき、中国の類書、西洋の百科事典に劣らない日本の百科事典を作ろうと、近代国家の文化事業として文部省で編纂が始められた。



前田求恭(まえだ・もとやす) 前田求恭(まえだ・もとやす)

1942年生まれ。株式会社吉川弘文館代表取締役社長。國學院大学文学部史学科卒業。1965年、同社に入社すると同時に、『国史大辞典』の事務局スタッフとして編集者人生をスタート。97年の完成まで『国史大辞典』の制作ひとすじ。その後『日本の時代史』(全30巻)などを手掛けた。2006年より現職。