JapanKnowledgePresents ニッポン書物遺産

ジャパンナレッジに収録された、数々の名事典、辞書、叢書……。それぞれにいまに息づく歴史があり、さまざまな物語がある。世界に誇るあの本を、もっと近くに感じてほしいから、作り手たちのことばをおくります。

文庫クセジュ episode.2

フランス本国のクセジュ創刊からわずか10年。早くも1951年に日本での翻訳がスタートする。そこに込められた思いとは? 『文庫クセジュ』をよく知る関係者にお話を伺う、第2回目。

古典に取り憑かれないのは人生の損失

──1951年といえば、朝鮮戦争勃発の翌年です。第一回NHK紅白歌合戦が始まったり、国産初のカラー映画が製作されたり、と新しい文化も興り始めましたが、まだ日本は戦後の混乱期を抜けていません。紙の価格も高騰し、出版界としても厳しい状況下でした。そんな中で、どうして『文庫クセジュ』を発行しようと?

和久田「もともと白水社は、帝大(現・東京大学)仏文科出身の人間が大正時代に興しているんです。この頃は、ドイツ文化優勢の時代です。例えば法律や医学など、日本の枠組みはドイツの影響を色濃く受けました。そんな中、システムではなく、文化そのものを輸入したい。それも、ドイツではなく、フランスから。それが白水社設立時の思いでした」

芝山「創業から6年目の1921年には、日本初の本格的仏和辞典『模範仏和大辞典』を出版し、1926年にはフランス語・フランス文化を紹介する専門誌『La Semeuse』(現誌名『ふらんす』)を創刊するなど、白水社はずっと、フランス文化の紹介に努めてきました」

和久田「ちなみに日本における文庫本や新書の先駆けとしては、1927年にはドイツのレクラム文庫を模範とした岩波文庫が、1938年には岩波新書が創刊されています。しかし第二次世界大戦を経て、日本はドイツとともに敗戦国になりました。ならば、今後闘うための“武器”として、ドイツ以外の“知”を入れることができないか。おそらく、そうした志のもと、フランスの知の集積である『クセジュ』を翻訳したのではないでしょうか」

中川「当時、日本人にとっては、フランスの知が新鮮だったのかもしれませんね」

和久田「フランスの知は、今までの考え方に対する、強烈なカウンターになったと思いますよ。しかもクセジュのもととなった、『百科全書』の刊行開始が1751年。そのちょうど200年後に日本で翻訳が始まるんですから、運命的なものを感じますね」

芝山「この当時、フランス語の洋書を専門に扱っているところが、白水社だけであり、フランス関係の本の出版を手がけていた、という事情もありました」

1000タイトルを目ざして

──フランスで、『クセジュ』は、当初1000タイトルを想定したと聞きました。

芝山「先日、そのあたりの経緯を聞いたら、フランスでも『1941年には、これほど成功するとも、これほど続くとも、誰も予想していなかったと思われる。1000タイトルというのは、それだけで客観的にみても大胆だ!』なんて言っていました(笑)。なにせ現在は4000タイトル近くになっていますから」

和久田「最初の発想が、文庫をすべて揃えると、百科事典になる、ということですから」

中川「フランスでは、実際入手可能なものは、750点程度のようです。日本でも1000点近い数の本を訳してきたんですから、歴代の編集者、訳者の方々には頭が下がる思いです」

和久田「しかも内容もジャンルも多岐にわたる」

中川「フランスから毎月、新刊が送られてくるんですが、最近はマーケティングや経営論の本まで入っています。クセジュの内容は、より幅広くなっている印象がありますね」

芝山「日本でクセジュを出し続けるのは、正直、大変なことです。1951年に訳し始めて以来、いくつかの危機を乗り越えながら、なんとか毎月出し続けるペースを維持しています。そこには、歴代編集者の和久田や中川の苦労があるわけですが……(笑)」

和久田「長く続いてきた歴史を、私たちが勝手に閉じるわけにはいきませんから。それが、『文庫クセジュ』に関わっている者の使命かな、と」

中川「連綿と受け継いできた歴史……。重いですね。私はこの2012年の春、担当を降りるのですが、私以上に家族がホッとしていると思います。家族にあたったりしていましたから(笑)」




文庫クセジュの記念すべき第一作、ガストン・ヴィオー作、村上仁訳の『知能』。左はフランスの「クセジュ」に合わせたデザインの初版本。右は装丁のデザインを一新した1967年刊の『知能』。

初版『知能』巻末ページの文庫クセジュの1951年当時のラインナップ。外交や経済、物理に天文学、そしてスポーツ、音楽、演劇まで、まさに百科全書の世界。当時、クセジュの値段は一律120円だった。


芝山 博(しばやま・ひろし) 芝山 博(しばやま・ひろし)

1948年、東京都生まれ。早稲田大学第一文学部フランス文学科卒業。白水社常務取締役編集担当。72年白水社入社。営業部を経て編集部へ。編集部では主にイタリア関係の書籍を担当。文庫クセジュでは800点目の『ダンテ』を編集。


和久田頼男(わくた・としお) 和久田頼男(わくた・としお)

1968年、神奈川県生まれ。早稲田大学第一文学部フランス文学科卒業。白水社に入社後、演劇雑誌と文庫クセジュの編集長を歴任。哲学・思想の古典をアーカイブしてゆくシリーズ「白水iクラシックス」も手がけている。クセジュ時代、現在の黄色の表紙にデザインを一新した。


中川すみ(なかがわ・すみ) 中川すみ(なかがわ・すみ)

1960年、東京都生まれ。学習院大学フランス文学科卒業。絵本の翻訳の仕事などを経て、2003年から文庫クセジュ編集部へ。2006年、900点目の刊行を見届ける。この春、「クセジュ10年」(苦節10年)に1年届かない9年で卒業。


浦田滋子(うらた・しげこ) 浦田滋子(うらた・しげこ)

京都府出身。大阪外国語大学フランス語学科卒業。前職はNHKで国際放送局フランス語放送や、NHKラジオフランス語講座の収録、編集に携わる。2012年春から、中川さんに代わり、文庫クセジュの新編集担当となる。




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