ニッポン書物遺産

日本大百科
全書

episode.4
『日本大百科全書(ニッポニカ)』の信頼性を高めているのは、約7000人の執筆陣だ。項目によっては、ひとりで執筆するのではなく、見出しごとに各分野の権威が執筆するというコラボレーションのかたちもとられている。『ニッポニカ』の執筆陣の選定にまつわる苦労や秘話を、吉田兼一編集長、進行を担当する桑島修一さんにお話を伺う第4回目

多士済々の執筆陣



 『ニッポニカ』の本文の末尾には、執筆者の名前が入っている。誰が書いたか、一目瞭然になっているのだ。『ニッポニカ』の執筆者は、各分野の専門家、大学教授クラス約7000名。第一線の人間に寄稿してもらうことによって成り立っている。「執筆者=専門家を恃(たの)むことで、利用者への信頼性が増す」と吉田編集長は言う。

 ではいったい、こうした執筆者の選択はどうなされているのか。

 1994年頃から『ニッポニカ』に関わる桑島さんによれば、「それぞれの分野の第一人者に依頼することが基本」だと言う。例えば、執筆者に名を連ねるのは、ざっと拾っただけでも、レビ・ストロースの紹介者としても知られる人類学者の川田順造氏、ドストエフスキーの翻訳・研究などで知られる江川卓氏、スポーツ界からは「フジヤマのトビウオ」の異名を取った水泳の古橋広之進氏……と多士済々、そうそうたる陣容だ。

 では改訂作業の際の執筆陣は?

「書籍版に執筆していただいた方を第一に、改訂を依頼しますが、書籍版からすでに30年。中には鬼籍に入られた方もいます。その際は、別の方を探さねばなりませんが、ほかの記事を執筆した先生から適任者を探したり、関連本を読んで研究したり、あるいは信頼する執筆者に推薦していただくこともあります。お弟子さんにお願いするというケースもありますね。いずれにせよ、信頼するに足る第一線の人物にお願いしなければなりません」(桑島さん)

 たとえば最近新たに執筆陣に加わったのは、ジャーナリストの江川紹子氏だ。執筆した項目は、90年代末に世間を騒がせた【東電OL殺害事件】、DNAが無罪判決の決め手になった【足利事件】など12の事件だ。

「江川さんはジャーナリストとして、ずっと冤罪事件を追ってきました。冤罪事件を『ニッポニカ』に載せるのに際し、この方しかいないと依頼しました。事典なので、事実のみが書かれていますが、行間からは江川さんの“静かな怒り”が感じ取れます」(吉田さん)

 “いま”にこだわる吉田編集長ならではの人選だ。

 改訂や新規立項にあたって、もうひとつ考慮しているのは、「古い価値観の再検証」だ。

「書籍版が完成したのは1988年ですが、文章のあちこちに、たとえば家父長制を良しとするような価値観が残ります。こういった考えは、やはりいまの時代には即しません。改訂や新規立項を通して、徐々に上書きしていきたいと考えています」(吉田さん)



代々受け継がれる校正マル秘資料



 文字で発表する以上、なくてはならないのが「校正」だ。特に、事実を旨とする事典では、校正ミスは命取りである。その校正を担ってきたひとりが、桑島さんだ。

「実は、先輩から代々受け継いで来た、『EG資料』と呼ばれる虎の巻があるんです。EGとはencyclopedia grand(エンサイクロペディア・グランド、大百科事典)の略。表記の統一ルールなど、その時々に必要な資料を逐次追加していったもので、ファイルは十数冊あります。ジャパンナレッジ版の校正作業でも、何かあるとこの『EG資料』を見返しています」(桑島さん)

 WEB版の改訂ならではの難しさもある。

「書籍版の場合は、字数制限がありました。小項目なら400文字程度、中項目なら1000文字前後、大項目なら1万字程度まで、といった具合です。しかしWEBには字数制限がありません。自由すぎて事典の基準がぼやける恐れもあります。読者との緊張関係をどう保つかを考えながら、執筆者との共同作業を続けています」(桑島さん)

 今日も、改訂作業は続けられている――。



EG資料。「人名用漢字」「誤植ペア」「英語」など細かくラベルで分類されている。

EG資料。ルビつき動詞の項。○かならず漢字ルビ、△漢字ルビも可、×原則としてヒラキ、─ルビなし、など記号でわかりやすく分類されている。

EG資料。外国地名や科学用語などニューの付く項目一覧。「ニューデリー」のところ、「ニュー」と「デリー」の間にナカグロの赤字が入っている。

『日本大百科全書(ニッポニカ)』の信頼性を高めているのは、約7000人の執筆陣だ。項目によっては、ひとりで執筆するのではなく、見出しごとに各分野の権威が執筆するというコラボレーションのかたちもとられている。『ニッポニカ』の執筆陣の選定にまつわる苦労や秘話を、吉田兼一編集長、進行を担当する桑島修一さんにお話を伺う第4回目。

多士済々の執筆陣



 『ニッポニカ』の本文の末尾には、執筆者の名前が入っている。誰が書いたか、一目瞭然になっているのだ。『ニッポニカ』の執筆者は、各分野の専門家、大学教授クラス約7000名。第一線の人間に寄稿してもらうことによって成り立っている。「執筆者=専門家を恃(たの)むことで、利用者への信頼性が増す」と吉田編集長は言う。

 ではいったい、こうした執筆者の選択はどうなされているのか。

 1994年頃から『ニッポニカ』に関わる桑島さんによれば、「それぞれの分野の第一人者に依頼することが基本」だと言う。例えば、執筆者に名を連ねるのは、ざっと拾っただけでも、レビ・ストロースの紹介者としても知られる人類学者の川田順造氏、ドストエフスキーの翻訳・研究などで知られる江川卓氏、スポーツ界からは「フジヤマのトビウオ」の異名を取った水泳の古橋広之進氏……と多士済々、そうそうたる陣容だ。

 では改訂作業の際の執筆陣は?

「書籍版に執筆していただいた方を第一に、改訂を依頼しますが、書籍版からすでに30年。中には鬼籍に入られた方もいます。その際は、別の方を探さねばなりませんが、ほかの記事を執筆した先生から適任者を探したり、関連本を読んで研究したり、あるいは信頼する執筆者に推薦していただくこともあります。お弟子さんにお願いするというケースもありますね。いずれにせよ、信頼するに足る第一線の人物にお願いしなければなりません」(桑島さん)

 たとえば最近新たに執筆陣に加わったのは、ジャーナリストの江川紹子氏だ。執筆した項目は、90年代末に世間を騒がせた【東電OL殺害事件】、DNAが無罪判決の決め手になった【足利事件】など12の事件だ。

「江川さんはジャーナリストとして、ずっと冤罪事件を追ってきました。冤罪事件を『ニッポニカ』に載せるのに際し、この方しかいないと依頼しました。事典なので、事実のみが書かれていますが、行間からは江川さんの“静かな怒り”が感じ取れます」(吉田さん)

 “いま”にこだわる吉田編集長ならではの人選だ。

 改訂や新規立項にあたって、もうひとつ考慮しているのは、「古い価値観の再検証」だ。

「書籍版が完成したのは1988年ですが、文章のあちこちに、たとえば家父長制を良しとするような価値観が残ります。こういった考えは、やはりいまの時代には即しません。改訂や新規立項を通して、徐々に上書きしていきたいと考えています」(吉田さん)



代々受け継がれる校正マル秘資料



 文字で発表する以上、なくてはならないのが「校正」だ。特に、事実を旨とする事典では、校正ミスは命取りである。その校正を担ってきたひとりが、桑島さんだ。

「実は、先輩から代々受け継いで来た、『EG資料』と呼ばれる虎の巻があるんです。EGとはencyclopedia grand(エンサイクロペディア・グランド、大百科事典)の略。表記の統一ルールなど、その時々に必要な資料を逐次追加していったもので、ファイルは十数冊あります。ジャパンナレッジ版の校正作業でも、何かあるとこの『EG資料』を見返しています」(桑島さん)

 WEB版の改訂ならではの難しさもある。

「書籍版の場合は、字数制限がありました。小項目なら400文字程度、中項目なら1000文字前後、大項目なら1万字程度まで、といった具合です。しかしWEBには字数制限がありません。自由すぎて事典の基準がぼやける恐れもあります。読者との緊張関係をどう保つかを考えながら、執筆者との共同作業を続けています」(桑島さん)

 今日も、改訂作業は続けられている――。




吉田兼一(よしだ・けんいち) 吉田兼一(よしだ・けんいち)

1963年石川県生まれ。小学館出版局デジタルリファレンス編集長。86年小学館入社後、『女性セブン』に配属。その後、『CanCam』『週刊ポスト』の雑誌編集を担当。文庫編集部、国語辞典編集部を経て、現職。担当した辞事典は『例解学習国語辞典』『小学館百科大事典きっずジャポニカ新版』など。

桑島修一(くわじま・しゅういち) 桑島修一(くわじま・しゅういち)

1956年福島県生まれ。小学館クリエイティブ・データ編集室専任プロデューサー。『ニッポニカ』編集の進行・校正担当。81年校正・校閲会社の三友社(現、小学館クリエイティブ)に入社。『ニッポニカ』は94年刊行の補巻の作成作業より携わっている。




中村英俊(なかむら・ひでとし) 中村英俊(なかむら・ひでとし)

1960年福島県生まれ。『ニッポニカ』メディア(写真・図版)担当。83年の書籍版『日本大百科全書(ニッポニカ)』の始動と同時に、当時所属していた編集プロダクションで「科学技術・工学関係」の写真・図版担当として百科事典編集に携わる。一時、小学館の仕事を離れるが、98年のCD-ROM化にあたり、フリーランスとして編集チームに復帰、現在に至る。